最近のミヨ子さん 面会謝絶
昭和の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた。
たまにミヨ子さんの近況をメモ代わりに書いているのだが、このところは、10年ほど息子のカズアキさん(兄)一家と同居してきたミヨ子さんが、脚力の極端な低下をきっかけに、バタバタと介護施設へ入所するまでとその後を、ずっと述べてきている。
そして前項では、カズアキさんが2回目の面会に行ったところ新型コロナ感染のため会えなかったことを述べた。
それから1週間ほどが経ち、次の週末を迎えようとしていたある日。お嫁さん(義姉)からメッセージが届いた。
「お母さんの様子を施設に聞きました。熱は下がっているけど、今朝は食欲がなかったようです。
ほかにも5人感染者がいるようで、しばらく面会は遠慮してほしいとのことでした」
お嫁さんの気配りには感謝しかない。そもそも同居の間もずっとお世話してくれていた。脚力の低下でそれが難しくなったから施設へ、という流れだったのだから。
なにぶん高齢者施設での感染症の広がりということで、「面会謝絶」はやむを得ないことは頭では理解できる。ただ、ミヨ子さんのコロナ感染がわかってから、どれだけ直接施設に電話して確認したいと思ったことか。しかし、介護専門施設としての対応もあるだろうし、身内とはいえ「部外者」の都合で軽々に様子を聞いたりすべきではない、と自制していた。
自分の母親が靄の向こう、いや違う世界に行ってしまったようだ。
カズアキさんたちと同居中だった2年前のコロナ感染のときは、まだビデオ通話ができた。ミヨ子さんから感染したカズアキさん一家へのお見舞いも兼ねて、「皆さんへ」と冷たくして食べるお菓子を送ったりもした。でも今は、そんなささやかなお見舞いさえできない。そして。
このままミヨ子さんと会えなくなったら。
そんなことばかり考えてしまう。
