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今日のミヨ子さん(新型コロナ感染)

 母ミヨ子が現役主婦だった頃(わたしの子供時代)のお盆の習慣について続けて書き、8月14日にお墓参りするミヨ子さんの写真も使わせてもらった。

 だがお墓参りに行ったその日の夜ミヨ子さんは発熱し、翌日新型コロナの陽性が判明した。

 通っているデイサービス施設で感染者がみつかり、念のため施設から自宅まで唾液検査キットを持っていく、という連絡を義姉が受けた矢先だったらしい。ちょうどお盆期間の週末で休日当番医もいっぱい、保健所も電話がつながらず、八方手を尽くしてある病院での検査にこぎつけたそうだ。

 4回目のワクチン接種を終えていたおかげか、ミヨ子さんの症状は軽症で熱は比較的早く下がりいまは咳程度らしいが、高齢者にとって肺炎は命取りになりかねず、咳も早く治まってくれるよう祈る思いだ。幸い食欲はあるらしいので、とりあえず胸をなでおろしてはいる。

 心配なのは、ミヨ子さんと同居している兄夫婦と連絡をとる中で、最近認知機能の低下が窺えるとわかったこと。物の名前、季節や時間の感覚、直前に話したことなどについて、「え?」という反応がたびたび見られるらしい。

 もともと活発におしゃべりするタイプではなかったが、昨秋コロナの合間を縫って帰省したとき、記憶――とくに直近の――にあいまいなところがあっても会話はふつうに成り立っていた。1年も経たずして、そんなに変わるのだろうか、と心が痛む思いだ。

 思い当たるのは、noteにも書いたように、同居していた義姉のお母さんが今春亡くなったこと。二人は性格がまったく違っていて、共通の話題らしきものはほとんどなく、おしゃべりらしいおしゃべりもなかった。それでも、ミヨ子さんにとっては、同年代の「お母さん」と毎日いっしょにいて、相手の言動や周囲の対応を観察することは、けっこうな刺激になっていたのではないだろうか。

 ミヨ子さんは他人と競ったり、自他を比べたりするタイプではないが、「息子夫婦のもうひとりの母親」という、唯一無二の女性の存在は意識して当然だっただろう。じっさい、わたしが帰省した折には、たまに「(あちらの)お母さんは…」と、ちょっと愚痴っぽく話すこともあった。簡単に言えば、ライバルだったはずだ。

 その「永遠のライバル」が突然去って、張り合いをなくしたのではないか。

 「永遠のライバル」に代わる何かを見つけられたら、少しは変わるのだろうか。それともこのままゆっくりと――あるいは急速に――いろいろなものがわからなくなるのだろうか。

 わたしは両親の祖父母4人の晩年を間近で見てきた。父方の祖父を除く3人は、いまでいう認知症の症状と身体の衰弱が両方現れ、年月の長短はあれ亡くなる前は長期間寝たきりだった。自分が知っていた祖父母が徐々に変わっていくのを、切ないような苛立たしいような気持で見守るしかなかった。

 まだ自宅で介護するのが当たり前の時代だったし、母方の祖父母の家にはしょっちゅう出入りしていたので、吸い飲みでお茶を飲ませたり、やわらかめに炊いたごはんを食べさせてあげたりはしょっちゅうだった。床ずれができないよう体位交換するのを手伝ったり、当時は手近な布でこしらえるしかなかったおむつを取り替えたり、徘徊の後始末をしたことも数えきれない。

 だから、年をとるというのはどういうことか、自分なりに解釈し、それを修正、補強しながら大人になった。自分の親が老いていくことへの覚悟もしていたつもりだった。

 しかし、母親の変化を前に非常に戸惑っている自分がいる。

 ふつうに考えて、母が「もとに戻る」ことはないのだろう。そんな中で、わたしは何ができるのだろう。母が、わたしが何かしてあげていることを、仮に理解できないとしても。

 話が先にいってしまった。結局兄夫婦も陽性が判明したとのことだが、幸い二人も軽症らしい。ミヨ子さんの不調にいちはやく気付いて病院につきそい、その後自分も体調がいまひとつなのに、いつも以上に細やかに食事のしたくをしてくれている義姉には、本当に感謝している。みんな軽症のうちに治ってくれますように。

※写真はちょっと見元気そうなミヨ子さん。

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