文字を持たなかった昭和 続々・帰省余話21 おまけ~自転車
昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。このところは、先月帰省した際のミヨ子さんの様子をメモ代わりに書いたあとおまけの話題を追加してきたが、本項で最後だ。
17 おまけ「こんにちは」で「思い立って郷里の町まで足を伸ばした。あちこち回る中で、母校の小学校にも足を踏み入れた。」と軽く触れたが、じつはこの日の「足」の確保には難儀した。
人口約26,000人と小規模ながらいちおう市とつく地方自治体、どこかしらで自転車を借りられるだろうと期待したのだが、レンタサイクルは皆無だった。かろうじて元国民宿舎だったホテルにあるらしいことはわかったものの、駅からそこまでが遠い。もとより宿泊者用でもある。自転車屋さんが1日くらい貸してくれるかも、と数少ない自転車販売店にも当たったがこれまた撃沈。
市の観光課の対応もつれなかった。いちき串木野市にもし観光に力を入れる気があるなら、来訪者の足の問題もぜひ改善してもらいたい。
さて、東シナ海に沿って南北に長い地形の郷里の、海(西)側は水田地帯でもある。ミヨ子さん、そしてわたしが住んでいた集落はその水田地帯と山林地域の境界ぐらいにあり、さらにわが家(があった場所)は坂の途中にあるので、自転車で回るのは想像したよりきつかった。上り坂では、立ちこぎを入れたり押して上ったりを挟んだりもした。
ただ、久しぶりの自転車で――もう10数年も自転車には触っていない――少し不安もあった割には、おおむね問題なく回れた。というより、昔自転車で回ったところばかりだから、体が覚えていた、というのが正しいかもしれない。
とくに、「鉄道みち」と呼んでいた、JR線脇の道。高校時代、最寄り駅までの往復はこの道を自転車で通った。往復ともに長いなだらかな坂があり、てっぺんまでの上りは立ちこぎで、下りは勢いに乗ってシャーっと走らせたものだ。
今回も同じように「鉄道みち」を下りながら風を受けて走った。周りの風景は、驚くことにほとんど変わっていない(もちろん家が新しくなったりという変化はあるにせよ)。40年ほどもタイムスリップした気分だった。
平地が少ないこの町だが、水田地帯は自転車を走らせやすい。水を張りつつある田んぼには鷺が舞い降り、飛び立つ。子供のころは鷺を見た記憶がないのは、強い農薬を使っていたということだろうか。人の姿が少ないのは、まだ農繁期でないせいか、兼業農家は平日ほとんど作業しないせいか、そもそも人口が減っているためか。
こんなふうに風景を眺めながら考えるのも、自転車ならではだろう。徒歩では時間がかかりすぎるし、そんなに長時間歩けない(それにすでに暑い)。車だと見過ごしてしまうものが多すぎる。
レンタサイクルは望みがないことがわかり、いっそ新品の自転車を兄の家庭菜園の作業小屋に「キープ」しておくことも考えたが、それは「却下」された。その代わりということでもないだろうが、この日の自転車は兄が幼馴染みのマモルちゃんから借りてくれたのだった。
そんな人間関係も含め、故郷はいいものだとしみじみ思う。もちろん、たまに帰るから、ではある。
