文字を持たなかった昭和333 梅干し(5)赤紫蘇
昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴っている。
このところは保存食品として手作りしていた梅干しを取り上げることにして、庭の梅の木から梅の実を落とし、下漬けするところまで書いた。
下漬けしている間に赤紫蘇の準備をする。お店で買う場合、下漬けしている2週間くらいの間に赤紫蘇が出回るタイミングになるようだが、ミヨ子が生まれてから嫁いだ頃はもちろん、子育てのピークだった昭和40年代も、地域の農家では、赤紫蘇はほぼすべて庭や畑に生えているものを採って使っていた。
ミヨ子の家(嫁ぎ先)の場合、青紫蘇も赤紫蘇も屋敷内の畑に生えていた。種を蒔くわけでも手入れするわけでもないが、時期が来ると紫蘇は自然に大きくなり、梅の下漬けをする頃には葉をふさふさと繁らせた。振り返って考えるに、一家が1年消費するだけの大量の梅を漬けこむのに必要な量の紫蘇が、人の手を経ずに、決まった時期に自然に確保できていたなんて奇跡的だ。
二三四(わたし)は自分が知らないところで、種を蒔いて手入れしていたのかもしれない、とも思ったが、紫蘇は(青紫蘇も)必要量だけ葉っぱを摘み取って使うので、茎や枝は常に残っている状態だった。だから年中同じ場所に植わっていたのだと思う。
庭の畑で育った赤紫蘇はもちろん無農薬である。そのために虫食いでもあるがやむを得ない。
梅を漬けている間に赤紫蘇を摘む。これは軽作業だし集中してやらなくてもよいので、ミヨ子や姑のハル(祖母)、そして二三四も、雨が降らず手が空いているときに三々五々畑に出て摘んだ。赤紫蘇と言っても暗い紫色に近く、たまに緑色の部分も混じっていた。
摘んできた赤紫蘇はきれいに洗って水けを切る。インターネットの指南では「水気を拭く」とあるが、一枚一枚拭くような手間はかけていなかった。ふきんや手拭いで拭くとすぐに濡れてしまうし、紙タオルが出回るのは数十年後だ。
洗った赤紫蘇は塩で揉む(この作業はあく抜きらしい)。出てきた紫色の汁は捨て、もう一度塩で揉む。使う塩の量は紫蘇の20%ほどらしい。これもけっこうな塩分量ではある。
このあといよいよ梅の紫蘇漬けへと進むのだ。
《主な参考》
自家製 梅干しの作り方 | やまむファーム (ymmfarm.com)
