文字を持たなかった昭和 五十八(初めての育児)
昭和35(1960)年2月、長男を出産後数日入院したあと、ミヨ子は家に帰った〈63〉。待望の男の子が生まれたことで、病院での出産にはいい顔をしていなかった舅や姑も大喜びだった。なにせ跡取りができたのだ。生まれた子は和明(かずあき)と命名された。
授乳は母乳のみだった。乳児用の粉ミルクはもう市販されていたが、売っている場所が限られているうえ家の近くにはなく、そもそも母乳以外で育てることなど考えてもいなかった。幸いミヨ子はお乳がたくさん出た。
ベビー用品も、いまのように選りどり見どりで、お金を出せばいくらでも手に入ったわけではなく、肌着、おむつからすべて手作りだった。おむつは古い浴衣などをほどいて〈64〉、出産前からミヨ子も家事や畑仕事の合間に縫って準備していたし、縫物上手な姑のハルや、実家の母ハツノもこしらえてくれた。
産後の肥立ちに留意し、いきなりきつい農作業をするようなことはさすがになかったが、家事や屋敷の庭先での軽い畑仕事などは、赤ん坊が寝ている間に少しずつ始めた。
〈63〉自家用車はまだなく、タクシー(かなりの時期まで「ハイヤー」と呼んでいたが)に乗ることもなかった時代、5~6キロは離れた病院からどうやって帰ったのだろう?
〈64〉着古した浴衣はほどよく柔らかくて赤ちゃんの肌にやさしく、おしっこもよく吸うと言われていた。手ぬぐいより大きめで輪っか状に縫われたような布おむつが干されている風景は、赤ちゃんがいる家庭に必ず見られた。タコ足状の丸い物干しが売られるようになってからは、おむつが円形に広がって干されているところもよく見かけた。
