文字を持たなかった昭和408 おしゃれ(4) 足元

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴っている。

 これまで、生い立ち、嫁ぎ先の農家(わたしの生家)での生活や農作業、たまに季節の行事などについて述べてきたが、少し趣向を変えておしゃれをテーマにすることとし、ミヨ子の体型や風貌に続いて、ふだん着としてのモンペ上に着る服について書いた。

 次は足元である。

 ミヨ子たち農家の主婦にとって、ふだん着はほとんど作業着と同義だったから、足元も農作業用の履き物が多かった。

 とは言え田んぼと畑ではもちろん違う。田んぼも、水を張った状態と水を抜いてある状態では違う。水を張った状態の代表田植えのときのいで立ちは「七十八(田植え、その三――ヒル)」が参考になるかもしれない。水を抜いたあとの稲刈りや、畑仕事のときは、ミヨ子はズック靴を履くことが多かった。

 嫁いで以来働きづめのミヨ子の足は、150cmちょっとという身長のわりにとても大きくがっしりしていて、男のようだった。それについては「四十六(働きづめの体)」で述べている。

 ズック靴はのちにゴム長靴に変っていくが、ゴム長は蒸れるのと、足に力が入りにくいという理由で、ミヨ子はあまり好まなかった。大きなサイズの足に合う女性用のゴム長があまりなかったせいもありそうだ。

 家にいるときのミヨ子は、二三四(わたし)が子供の頃は下駄ばきが多かった。下駄だと地面から一定の高さがあるので、足が汚れにくいのだ。そのうち下駄そのもの需要が日本全体で減っていき、下駄があまり出回らなくなると、ゴム草履に変った。ゴム草履と言っても、いまでいう「ビーサン(ビーチサンダル)」のような材質ではなく、もっと丈夫な材料で、鼻緒部分も一体型に整形したものだあった。屋敷の畑でのちょっとした作業程度なら、下駄やゴム草履のまますますこともあった。

 昭和50年代には、サンダルというか、足の甲を合成皮革で覆って、踵を少し高くした履き物も出回るようになった*。当時の都市部なら、近所へのお使いやゴミ出し、庭掃除などに履いて出るようなあれである。

 しかしこの履き物は、ミヨ子にとってはあくまで「よそ行き」だった。そもそもこの履き物の甲を覆う部分の内側には、クッションというか薄いスポンジなどが張ってあることが多かったが、履いているうちにこれがまず破れてしまう。耐久力がなく、いまふうに言えばコスパが悪いので、ミヨ子はあまり好まなかった。

*スリッパのように足の前の方だけを差し込む形のこの履き物を、地域の女性たちは「つっかけ」と呼んでいた。突き当たるという意味の動詞「つっかかい」を名詞化したものだろうか。
追記:標準語で、履き物を無造作に履くことを「つっかける」という。鹿児島弁というよりこちらの使い方が名詞化されたのかもしれない。
例:下駄をつっかけて庭に出る。/サンダルをつっかけてお使いに行く。

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