文字を持たなかった昭和388 介護(7) 姑①人と成り
昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴っている。
最近は、ミヨ子が嫁として仕え最期を看取った舅と姑の介護の様子を、「介護」というタイトルで書いている。 昭和40~50年代のできごとである。介護という概念すらなかった「当時の状況①」、「当時の状況②」に続き、舅・吉太郎(祖父)のお世話の様子を綴ったあと(舅①、舅②)、おむつとその鹿児島弁について述べた(前項)。
次は、姑・ハル(祖母)へのお世話について。
いずれハル本人について二三四(わたし)が知る限りのことを改めて書くつもりでいるが、ここでは人と成りの参考として簡単に述べてみる。〈171〉
ハルは明治22(1889)年生まれ。生家は、当時では当たり前の多産で8人きょうだいの6番目、三女として生まれた。小学校は中退だったと聞くが、利発でもの覚えのいい少女で、東京の奉公先でも可愛がられた。しかし関東大震災に罹災し多難な娘時代を送った。その後帰郷して隣村(当時)に嫁ぐが、子宝に恵まれず離婚。再婚相手がミヨ子の舅となる吉太郎(祖父)で、二人の間に生まれた一粒種が夫となる二夫(つぎお。父)だったことは「二十九(縁談相手)」で触れた。
ハルの再婚相手の吉太郎は、田畑や山林など自分の土地を増やすことに一生懸命で、家計のやりくりは無頓着だったため、ハルは幼い息子を抱えて工夫の限りを尽くした。吉太郎は子育てにも頓着しなかったが、これは当時の男性にはよくある話だ。一人息子ということもあり、二夫は自然母親にべったりとなった。
ハルの働きぶりは家庭内ではもちろんだが、むしろ田畑での農作業に発揮された。のちにミヨ子が振り返って
「腰巻もめくり上げて畑仕事をしていたよ」
というほどで、働き者の吉太郎に引けをとらないくらい農作業をこなしたうえに、家事と育児をやり、副職もして家計を支えた。とにかく超人的だが、その詳細はハル自身の一生を描くなかで述べたいと思う。
かといって、ただ働くだけの無教養だったわけではない。学歴こそないが――明治の農村の庶民には、そんな例はざらにあった――、いろいろな機会で見聞きしたことはよく記憶し、とくに昔話や神話などは細かい部分まで覚えていた。奉公先で仕込まれたのだろう、縫物も得意だった。二夫の情操教育という面では、ハルが与えた影響は大きかったはずだ。孫の二三四も、物心ついた頃からハルの「お話」を繰り返し聞いて育った。
そんな、スーパーウーマンとも言えるハルは、能力が高いぶん嫁のミヨ子には厳しかった。ミヨ子にはやりにくい姑だっただろう。もっとも、ある時代までの嫁姑の関係は、緊張感が高いものだっただろう(いまでも、嫁姑といえば大なり小なり緊張を伴うものではある)。
昭和45(1970)年に吉太郎が亡くなった〈172〉。二夫が名実ともに一家の主となり、家の切り盛りはミヨ子が中心にするようになってからは、ハルにはおだやかな老後が訪れた。とは言え、体が動く間は農作業にも加わったし、体が弱ってきてからも屋敷内の畑くらい自分で耕した。
わずかだがそれまでになかった変化がみられるようになったのは、昭和40年代の終わり、二三四が小学高学年から中学へ進もうという頃のことだった。
〈171〉本項で述べているハルの出自等は現時点で確認できた内容にもとづく。出生年についても不明点があるが、ハルについて書く機会に譲る。
〈172〉吉太郎の死去については「二百十六(吉太郎の命日)」で簡単に触れた。
