最近のミヨ子さん 介護施設入所後、その七
(その六より続く)
8月1日(月)わたしが自宅へ戻る日。
夜の便を予約してあったので、うまくいけばこの日も鹿児島市立病院へ行って、入院中のミヨ子さん(母)と面会できたかもしれなかった。病院規定の面会時間は10分と極めて短くはあっても、だ。
しかし「その五」に書いたとおり、同じ病室に新型コロナ感染者が出てしまい面会は全面的に中止になったので、この日は空港へ向かう以外することがない。
お嫁さん(義姉)が「することなければ」と、ドライブがてらのランチに連れ出してくれた。ありがたい。が、この日鹿児島の最高気温は前日より0.1℃だけ低い37.1℃。車の中に南国の力強すぎる日差しが入り込み、冷房もあまり効かない。
昼食のあと、鹿児島市内に住む孫娘(姪)の家におじゃまして時間を潰す。その途中で、お嫁さんにカズアキさん(兄)から「病院から連絡があった」と電話がきた。
・市立病院から地元の病院への転院は、8月8日に決まった。
・福祉タクシーで移動する。
転院は早ければ8月第二週が明けてすぐかも、という予想もあったが、受け入れ側の病院の都合がこの日なのかもしれない。福祉タクシーということは、車椅子ごと乗せるのだろうか。
「平日だしわたしが(転院の付き添いに)行くからね」
とお嫁さん。毎度ながら頭が下がる。
結局わたしは、ミヨ子さんに会うために帰省したこの数日、ミヨ子さんには1回しか会えなかった。この先もいろいろなことがあるだろうが、もう「様子を見にまたちょっと帰る」と言う選択肢はまずない。次の帰省が、ミヨ子さんがもっと落ち着いたあとに組めてミヨ子さんともそれなりに話せればいいが、「万一のとき駆けつける」ようなケースだと、もう話はできないかもしれない。そしてどんな場合でも、わたしにできることは極めて限られる。
改めて無力感を感じつつ飛行機に乗り、深夜近く家に辿りついた頃、お嫁さんからメッセージが入った。曰く
「まだ自力で起き上がれないので、福祉タクシーにはベッドを乗せる」
やっぱりミヨ子さんの「回復」までへの道のりは長そうだ。目的地にたどり着けるか。家族であっても手を出せないし、見守るしかない。これが現代ニッポンの医療であり介護である。(その八に続く)
