最近のミヨ子さん(実践、ビデオ通話)
昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴っている。
たまに、母の近況をメモ代わりに書いているが、前回(実家跡にて)に続き今回もそれ。
兄から電話をもらい母と話した翌週、こんどは義姉がSNSを使ったビデオ通話をかけてくれた。もともとは兄が提案してくれたのだが、義姉のスマホを使えば昼間お互い都合のいい時間帯にかけられるから、ということだった。母に「指導」したがる兄がいないときのほうが、母もゆったり会話できそう、というのも理由だ。
通話が始まった。スマホはどうしても上から覗き込む角度になるので、お互いなんとなく下膨れの顔だがしかたがない。
「暑いね」「元気?」のあと
「梅雨が明けて、このところ天気がいいから着物(和服)に風を通したよ」とわたし。
「よかったね」と母。
「風を通したのはお母さんにもらった着物だよ、覚えてる?」
「んーー、思い出せない。そんなことがあったかねぇ」
「マサヒロ(甥。兄の息子)の結婚式のとき着ていったでしょう? お母さんとも写真撮ったよ」
「んーー、思い出せない」
……まあいいか。続けて母が言う。
「着物もねぇ……。しつけ糸をかけたままの(新品の)着物が『家』にあったんだけど、こっちに来るときに置いてきちゃった。(建屋を取り壊すとき)大工さんたちが着物もいっしょに捨てただろうねぇ。前もってどこかに置いておければよかったけど…」
前回などでも触れたように、兄たちとの同居を始めてしばらくしてから、実家の建屋は撤去したのだ。兄宅もスペースに限りがあり、持ち物は最低限しか持って行けなかった。そのことを母はこれまでも度々口にしている。
娘時代に戦争を経験した昭和一桁生まれ。もともと裕福でない出自だったこともあり、母の「モノ」への執着は強い。新しいモノは容易に使わず(衣類なら袖を通さず)いつまでもしまいこんでいる。挙句にどこに何をしまったか忘れて、同じようなものを新しく買ってしまう、ということは以前からあった。
そうやって大切にしまっておいたもののほとんどは、建屋といっしょに処分された。わたしも「惜しかった」と思うが、当人の気持ちはいかばかりだろう。
「ひとやすみ 着物」に書いたように、せめて形見代わりの一枚ぐらいは大切にわたしが持っておこう。
