文字を持たなかった昭和341 梅の実のある風景(2)砂糖梅

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴っている。

 最近では、保存食品として毎年手作りしていた梅干しをテーマに書いてきた(「梅干し(1)梅の木(11)保存、おまけ」)。ついでに梅の実にまつわるエピソードをしばらく綴ることにして、前回は梅干しを入れた「日の丸弁当」について述べた。

 今回は「砂糖梅(さとううめ)」である。

 砂糖梅とは読んで字のごとく、砂糖(白砂糖)をまぶした梅干しだ。自家製の梅干しに砂糖を振りかけただけのもので、たいていはお茶請けである。地域の人びとは、鹿児島弁の習慣により短縮して「さとうめ」「さとんめ」と呼んでいた。

 お茶請けが手作り、というより漬けものなどの手作りの保存食品をお茶請けにしていた時代、もちろん梅干しそのものもお茶請けになった。ちゃんとした来客のときはともかく――何をもって「ちゃんとした」というのか、基準は曖昧だが――、ご近所どうしで行き来して、用事のついでに世間話するとき、お茶(煎茶)は欠かせない。誰か来たら何はともあれお茶を出す。と言っても上等なお茶ではなく、家で飲むお茶を、茶葉を替えて出すくらいだ。

 そんなとき、ほんとうに何もなければ「素茶(すぢゃ)じゃっどん*」と恐縮しつつお茶だけを出すが、どの家でも梅干しのひとつもない、ということはあり得ないので、最低限でも梅干しか漬け物を添えた。

 そして梅干しだけのとき、砂糖を振りかけて「お菓子っぽく」して出すことがあったのだ。

 砂糖の甘さと梅の風味が合わさって、独特というか微妙な味わいになる。少し置いておくと梅に含まれるの水分とともに紫蘇の色が砂糖に移り、ほんものの梅のお菓子っぽい風情が漂うのもおもしろかった。

 しかし、いくら砂糖を振りかけても、梅干しは梅干し。強烈に酸っぱくて、しょっぱい。二三四(わたし)は砂糖梅はあまり得意ではなく、周りの砂糖を頼りに一粒いただくのが精一杯だった。

 そもそも、戦後しばらくまで砂糖(白砂糖)そのものが高級品扱いだったはずだ。戦時中はいわずもがな、戦前も地方の農村で「甘いもの」はそう易々とは手に入らなかった。その延長で、梅干しに「わざわざ」砂糖を振りかけてお茶請けとして出す、という行為は、相当なおもてなしと言えた。

*鹿児島弁「(お茶請けなしの)お茶だけですが」。素足、素うどんの「素」である。ミヨ子が住んでいた地域独特の言い方かもしれない。


いいなと思ったら応援しよう!