文字を持たなかった昭和 帰省余話4~几帳面
昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)を中心に庶民の暮らしぶりを書いてきた。
そのミヨ子さんに会うべく先ごろ帰省した折りのできごとや気づき、会えなかった1年半近くの間の変化などを、「帰省余話」と題して書き連ねている(1~体調、2~食いっぷり、3~理解力)。本項は、新たに気づいたミヨ子さんの意外な一面について。
以前から何回か書いているとおり、ミヨ子さんは数年前から長男の和明さん(兄)一家と暮らしている。和明さんとこの3人の子供たちはそれぞれ独立したので、いまは3人暮らしだ。ずっとパート勤めで忙しかったお義姉(ねえ)さんも「そろそろ自分のやりたいことも大切にしたい」と、恐らく結婚後初めての専業主婦となり、以前より余裕ができたようだ。
お義姉さんは多忙だった頃でもよくミヨ子さんを観察してくれていたが、帰省のときに何回か聞かされたことのひとつに
「お母さんは几帳面だよね」
というのがあった。
二三四(わたし)はその都度「?」と思ったのだが、当時はお義姉さんのお母さんが健在で
「(ミヨ子さんに比べて)うちの母は片づけが苦手で。(実家に帰ると)薬の袋なんかもあちこちに置いてあって、ちゃんと飲んでもらうのが大変」
といったグチと「セット」で語られることが多かったので、「それに比べればまあ几帳面と言えるかもね」ぐらいの感想しか持たなかった。
しかし今回の帰省でミヨ子さんと長時間過ごす機会を何回か持ち、ミヨ子さんの行動を観察するともなく見ていて気がついた。確かに、しかも相当几帳面なのである。
例えばトイレで使う紙。いっしょに一泊旅行したときを含め、それとなく中の様子を見守っていると、ホルダーから引き出した紙をきれいに畳んで使っている。例えば食べ終わったミカンの皮。散らばらないよう、見苦しくないよう、これまたきれいに内側に折ってから捨てる。例えば食事の際のエプロン。使い終わったら折り目どおりに畳む。
とくに印象的だったのは掛け布団だ。ミヨ子さんは――というかおそらく高齢の方はどなたも――昼間でも眠くなることがあるので、「ベッドで横になったら」と勧めると自分のベッドに行くのだが、起きてきたとききれいに整えた布団に入るのに、布団の端と端を合わせて折り返し、その下の毛布も布団に合わせてきれいに折ってからベッドに上がる。「どうせ」布団を掛けてしまうのだから、適当に潜り込めばいいのに、と思うが、それはしたくないようなのだ。
娘としてはありがたいことに、ミヨ子さんは小さな和室をあてがってもらっていて、アコーディオン風の引き戸になった押入れもある。その中もきれいに片付いている。「どうせ」ミヨ子さんしか使わないし見ないのだから、開けっ放しにしておくほうが物を取り出しやすいだろう、と
「開けておこうか」
と声をかけると、必ず
「いや、閉めて」
と言う。
二三四の記憶の中の、そう、重要な働き手でもある農家の嫁で、子育ても家事も回していた現役主婦の頃のミヨ子さんは、けして片づけ上手ではなかった。明治生まれの舅や姑を含む3世代6人暮らしだった頃、夫婦や子供の衣類、いただきもののあれこれ――田舎のこととて冠婚葬祭は多かった――、農協や公共料金などの支払い関係、しょっちゅう発生する繕いもの、そしてわずかばかりの自分の化粧品など、台所関連以外でミヨ子さんが管理するおよそすべてのものが納戸の小部屋に詰め込まれ、積み重なっていた。
霞が関ビルができ、空間の高層利用が進みつつあった頃、夫の二夫さん(父)は納戸の様子を引き合いに出して
「人間が空間を三次元に利用していこうという時代に、二次元でしかものを考えられないから、こんなに散らかっているんだ」
と愚痴をこぼしたこともあった。もっとも二三四は
「片づけな苦手なのはお父さんもどっこいじゃないの」
と、口に出せないが心の中で詰ったものだったが。
それはともかく、納戸のあのごちゃごちゃした印象が強烈過ぎて、二三四はミヨ子さんが「几帳面」だとは露ほども思えずにいたのに。
年齢を重ねるほど、ことに認知機能が低下して自分を覆っていた「鎧」が外れていくと、その人の本来の性格が顕著に表れると言われる。「三つ子の魂百まで」とも共通する。ミヨ子さんは、じつはすごく几帳面だったのだ。
納戸がごちゃごちゃだったのは、ひとつは物を捨てられなかったから。よくある「いつか使うかも」という心理に、戦前から戦後の物資不足の経験が加わったためだろう。だが改めて考えれば、当時ミヨ子さんは忙しすぎたのだと思う。忙しくて、ひとつひとつのモノや書類をていねいにフォローする時間、なにより気力が追いつかなかったのだと思う。
二三四(たち家族)はそれに気づかず、ミヨ子さんを整理下手の気が回らない主婦ぐらいに思っていた。若さ、そして無知は残酷だ。当時のミヨ子さんを遥かに超える年齢に達したいま、自分も片づけ物がおっくうになってきて、少しはミヨ子さんの状況と苦労に思い至れるようになったことは、幸いかもしれない。
あとはミヨ子さんへの感謝を、どのくらい伝えられるかだ。それほど悠長にしてはいられない。
