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自己紹介 |言葉は絵の具と同じ素材

初めまして、miyuuです。
東京都生まれ、アーティスト志望です。

15歳の時、単身で約5年間アメリカを中心に数カ国で学生生活を送りました。ニューヨークの美大をコロナ禍で中退し、帰国後に日本の美術大学を卒業。現在は東京を拠点に制作をしています。


「普通」が壊れた原点、5歳の転入事件

私が最初に「言葉が変わると世界が変わる」と感じたのは5歳のときでした。

インターナショナルスクール時代

私の両親は、私に「いつか海外で活躍してほしい」と思っていたらしく、1歳の頃から当時はまだ珍しかった英語環境で保育行うプリスクールに週5で通い、3歳の頃から今ほど一般的でなく、少人数であり、生徒の8割が外国籍だったインターナショナルスクールに通わせてくれました。

当時の私は、毎日私服で、カラフルなヘアゴムやリボンで母が可愛く髪を編んでくれたり、好きなだけ絵を描いたり、歌ったり、踊ったり、のびのび自由に過ごしていた記憶があります。今思えばこの時が1番自由に生きれて幸せでした。

でもある日、親族の集まりでちょっとした事件が起きました。私を抱き上げた祖父に向かって、自然と「Grandpa!」と呼びかけた私に、親族がざわついたのです。「日本に生まれたのに日本語が母国語ではないのは、ちょっと問題じゃないか」と。その空気に影響されたのか、年長になった私は、突然、仏教系の日本の幼稚園に転入することになりました。

数年間通っていたインターナショナルスクールから仏教系の学校に年長の時に放り込まれて、英語の世界から日本語の世界に切り替わった。言葉だけじゃなく、服装も、ルールも、「良い子」の定義も、全部違った。同じ日本にいるのに、まるで別の国に来たようだった。

この幼稚園では、制服があり、髪型は自由にできず、当然、英語なんて誰も話さない。さらにお茶や作法を学ぶカリキュラムもありました。
突然きた転入生であり、ノリも違えば、日本語のレベルも周りより低かった私は、みんなの輪にも入れず、いつの間にか浮いた存在になっていました。わずか5歳という年齢で、人生で初めて集団での孤立を感じました。

今となっては、母国語でしっかり義務教育を受けられたことには非常に感謝していますが、この体験は私の中にひとつの疑念を植え付けました。
「自分が常識だと思っていることは、学校や社会に植え付けられているのではないか」ということです。

そしてこの体験は同時に、もうひとつのことも教えてくれました。「言語が変わると、世界の輪郭そのものが変わる」ということです。

この二つの気づきは、今の私の表現の根っこになっています。


「普通」とは何か

基本的に、幼稚園から中学校までは、私立でない限り、同じ地区に住む子どもたちが同じ教室で育ちます。高校や大学では、偏差値という物差しで行き先が分かれ、似たような学力、似たような価値観を持つ人たちがまた集まります。

こうして人は無意識のうちに、自分と似た環境の人とだけ過ごし、「ここが世界のすべてだ」と思い込みます。その小さなコミュニティの中で、多数派が「普通」であり、少数派は「変わり者」にされます。

私は5歳の時に仏教系の幼稚園で「変わり者」という扱いを受けました。でもその「変わり者」もインターナショナルスクールでは「普通」で、地区が変われば「当たり前」も変わるし、国が変われば「正解」さえ変わる。自分の知っている常識なんて、世界から見ればほんの一部のルールでしかないのに、人はそれを「正しい」と信じ込んで、時に誰かを傷つけ、誰かを排除します。

この時から、いつか海外に留学したいと思っていました。自分の地元のルールや学校での常識が全く通じない場所に飛び込みたかった。
そんな私は、小学校の夏休みのたびに東京以外や海外のサマースクールに参加していたので、毎年「別の世界」と「日本」を行き来する感覚だけはずっと続いていました。


留学してぶち壊される「当たり前」

中学卒業後、15歳で日本を1人で出て、初めてアメリカのニューヨーク州とマサチューセッツ州に5年間長期留学しました。通っていた高校はボーディングスクール(寄宿学校)という全寮制の高校で、留学生が非常に多く、それぞれ約15人ずつ一軒家に住む形式の寮で生活していました。

私のルームメイトは、ドイツ人、中国人、韓国人、メキシコ人、香港人、ブラジル人、アメリカ人、イギリス人、そして日本人の私。1つの家に9ヵ国の人が一緒に暮らしていたし、学校全体では約30ヵ国以上からの留学生が集まっていたので、毎日がカルチャーショックの連続でした。

〈カルチャーショックの例〉
・シャワーを週に1回しか浴びない人がいる
・宗教を信仰している生徒は祈る時間が決まっていて、授業の途中抜けてお祈りをする
・周囲に隠さず学校で堂々と手を繋いで歩いている先生同士の同性カップル
・食堂で好んで1人で食べてると、教師にイジメられていると心配される
・宿題を友達とコピーし合うのが当たり前の人
・数学の授業中やテスト中に超高性能の計算機を使うことを推奨されること
・授業中にご飯を食べても、出前を頼んでも許される
・教室で先生と生徒が友達みたいに呼び捨てで呼び合っている
・腕毛を生やすのがセクシーという概念の国の人がいる

アメリカ以外にも、韓国、イギリス、カナダに短期留学しており、英語で授業を受けて、英語で喧嘩して、英語で泣くような思春期を送りました。

「留学経験がある」と聞くと、英語ペラペラで自信満々で明るくキラキラしていると思われがちですが、実際のところ、15年間日本で育った人見知りの私にとって海外生活は難関レベルのサバイバルでした。言葉の壁、価値観の違い、人間関係に悩む日々も多く、授業は全て英語で行われるのでついていくのがやっとで、プレゼンテーションで頭が真っ白になって失神しかけたり、さらにコロナ禍による人種差別など、決して順風満帆な留学時代ではありませんでした。

食事のマナーも、挨拶の仕方も、先生との距離感も、何もかも違う。だけど、誰も正解を押し付けないし、違っていることに興味を持ってお互いに理解しようとする。日本でずっと窮屈に感じていた「周りに合わせなきゃ」という縛りから、少しずつ解放されていきました。

「普通」なんてものは存在しない。あるのは「自分が信じてきた普通」と「誰かが信じてきた普通」が、たまたま違うというだけ。留学して一番学んだのは、その違いを認めて一緒に生きる柔軟さだった気がします。


どんどん私の固定概念をぶち壊してほしい

実は一番強烈に自分の「当たり前」が揺さぶられるのは、海外にいる時じゃなくて、日本に帰国した瞬間でした。

例えば、空港から家に帰る電車の中。吊り広告も、壁も、モニターも、どこを見ても「脱毛しろ」「痩せろ」「二重にしろ」「白くなれ」「毛穴を消せ」という言葉で埋め尽くされていて、まるで「そのままのあなたではダメだ」と言われている気がしたんです。このタイプの広告は海外では見たことがなかったです。

海外では、どんな体型でも、どんな肌でも、「これが私だ」と堂々としている人が多くて、むしろ「自分を好きでいること」が魅力だった。でも日本に戻ると、あらゆるところで「理想の型」に無理やり押し込められそうになる。

逆にアメリカに行った時には、人生で初めて人種差別を受けました。街を歩いているだけで、通りすがりのホームレスに「国へ帰れ」と罵声を浴びせられたり、コロナ禍の頃には、近所のアジア系の人が営むタピオカ屋さんでドリンクを飲んでいたら、白人の子供集団がいきなり扉を開けて「コロナをうつすなよ!」と叫んで走り去っていったこともありました。電車で物を投げつけられたことだってあります。

でも、私はこれを「アメリカ怖い」とは思いませんでした。これは国の問題ではなく、教養の差の問題だと感じたからです。同じアメリカでも、友人やホストファミリー、信頼できる先生は「そういう差別を恥ずかしいこと」として認識しています。無知な人はどの国にもいるし、差別は知識と経験の不足から生まれるのだと、身をもって知りました。むしろ、そういう現実を目の当たりにして、私は一層「人をラベルで見るのではなく、一人の人間として見る目を持ちたい」と思うようになったのです。

良い面も悪い面も含めて、世界のリアルを自分の肌で感じ、「誰かに決められた普通」ではなく「自分が信じたい普通」を作り直していく。海外に行くことで、新たな知見が増え、自分の人生がどんどん豊かになっていくのを感じました。
もちろん、これは決して日本を批判したいわけではありません。むしろ、私が生まれ育った日本の文化や価値観があったからこそ、外の世界で新たな文化や多様性を知り、「他人の決めた価値観に振り回されず、自分の考えで生きたい」と思えるようになったのだと思います。さらに、海外での経験を通して、日本でのありがたみに気付かされたことも多くありました。


なぜ絵の具ではなく、言葉も使うのか

色と形で作品を作っているのに、なぜnoteを書くのか。よく聞かれます。
絵で表現しきれないから、ではありません。むしろ逆です。私にとって言葉は、絵と同じ素材です。絵の具やキャンバスと並んで、日本語という素材があって、それを組み合わせて並べる。そういう感覚に近いです。

5歳であの転入を経験したとき、私は「社会が作り上げた普通」に初めて疑問を持ちました。でも同時に、もう一つ体に刻まれたことがあります。それは、言語が変わると、世界の手触りそのものが変わるということでした。英語で過ごしていた頃の自由な空気と、日本語の環境に移った瞬間に肌に感じた窮屈さ。あれは単にルールの違いではなく、言葉が世界の輪郭を決めているという感覚だった。

そして留学中、英語で授業を受けて、英語で喧嘩して、英語で泣いた5年間を経て気づいたのは、自分が本当に考えるとき、心の深いところで動いている言葉は日本語だということでした。

英語はアルファベットの26文字で全てを表現します。でも日本語には、漢字、ひらがな、カタカナがある。たとえば英語なら"egg"は一通りしかない。でも日本語では「たまご」と書くか、「卵」と書くか、「タマゴ」と書くかで、読んだ人が受け取る印象がまるで変わる。同じものを指しているのに、文字の選び方ひとつで温度や手触りが変わる。これは絵の具の混ぜ方で同じ「青」の印象が変わるのと、私の中ではほとんど同じ感覚です。

一度外に出てから日本語に戻ると、一つの単語が持っている奥行きに驚くことがあります。たとえば「切ない」。英語には、これにぴったり当てはまる言葉がありません。sadでもlonelyでもbittersweetでも足りない。胸の奥が締まるような、でもどこか美しい、あの感覚をたった三文字で掬い取れる。そういう日本語の凄みを、私は海外にいたからこそ知りました。逆も然りですね。

留学で「普通は作られたものだ」と知ったこと。そして言語によって世界の見え方が変わると体で覚えたこと。この二つは、私の中では地続きです。社会が「普通」を作るように、言葉もまた現実の輪郭を作っている。だからこそ私は、言葉を「伝達手段」ではなく「素材」として扱いたいのだと思います。


絵の前では黙る。だから、ここで書く。

一つだけはっきりさせておきたいことがあります。
私はこのnoteで絵の説明をしません。「この絵はこういう意味です」「この色はこの感情を表しています」ということはなるべくかかないようにしております。作品は私の手を離れた瞬間に私のものではなくなる。鑑賞者がそこに何を見るかは、鑑賞者の自由です。

では何を書いているのか。

人はなぜ、深く愛そうとするほど相手に逃げられるのか。なぜ自分の弱さを武器にしてしまうのか。「個性的」と呼ばれる人の内側では実際に何が起きているのか。恋愛、人間心理、芸術との向き合い方、海外と日本の価値観の違い。これらを観察し、分析し、自分の言語で再構築したものを書いています。私の絵の解説ではなく、私というフィルターを通して見えた世界の記録です。

私の中には、感じ取ったものをそのまま色やかたちにしたい衝動と、それを分析して構造化して言葉にしたい衝動が同時に存在しています。もし文章を書く場を持たなかったら、この「説明したい、構造化したい」という欲求が絵に流れ込んで、私が本来描きたいものとは違う作品になっていたと思います。私の内面は言葉ではなく、色、形、空気、温度みたいなものでできている。絵を描くときは、それをそのまま純粋にぶちまけたい。だからこそ、分析や構造化の欲求は言葉の方に全部預けておく必要があるんです。

言葉は、絵の自由を守るための避雷針のようなものです。言葉の方で論理や分析の欲求を満たしているからこそ、キャンバスの前では一切の説明を手放して、純粋な感覚だけで描ける。

そしてもう一つ、絵の前に立って心が動く人もいれば、言葉を通して初めて深く入ってこれる人もいる。同じ内面世界でも、届け方が違えば届く相手が変わる。私にとって言葉は、絵だけでは出会えなかったかもしれない誰かと繋がるための、もう一つの手段でもあります。


世界を知るほどに、固定概念は壊れ、新しい言葉が生まれていく

私は、自分が理解できないものに出会ったとき、それを放っておけない性格です。なぜこう感じるのか、なぜこの人はこう動くのか、なぜこの社会はこうなっているのか。経験した出来事を自分のフィルターを通して消化して、そこから見えてきた知見や概念を、自分の言語で再構築する。

その過程そのものが、私にとっての表現です。それが色やかたちになることもあれば、日本語の一語一語になることもある。どちらも同じ衝動の別の出口です。


私はこれからも「常識」や「普通」に疑問を持ち続けたいと思っています。誰かが決めた正解にただ従うのではなく、自分の目で見て、耳で聞いて、心で感じて選び取った「自分にとって信じられること」を軸に生きていきたい。

このnoteには、そうやって生きてきた私が考えていることを書いています。恋愛のこと、アートの裏側、海外と日本の価値観の違い、自分自身のこと。どれもまだ答えは出ていません。ただ、私が言葉にしようとしているものの中に、あなたがまだうまく言えずにいる何かと重なるものがあるかもしれない。

私の日本語は、日本だけで育った人の日本語とは少し違うかもしれません。かといって、英語が母語でもない。どちらの言語圏にも完全には属さない場所で、自分なりの言葉を手探りで組み上げてきました。だからこそ生まれる、どこにも分類できない言葉の手触りがあると思っています。

私自身がまだ自分自身を探している途中の人間だからこそ、私のnoteが、同じように迷いながら生きる誰かの小さな灯りになれたら嬉しいです。
最後まで読んでくださってありがとうございます。もし共感していただけたら、フォローやスキで応援してもらえると励みになります。


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