ASD的基盤と汎用的構造化タイプとしての私の認知構造|エッセイシリーズ「ASDの身体・脳」4
幼少期から協調運動が極端に弱く、走る・投げる・跳ぶといった身体操作が理解できなかった一方、知能は偏差値80台やIQ判定不能に達しました。感覚過敏とASD的基盤を持ちながら、世界を構造として処理する「汎用的構造化タイプ」として成長した私。抽象化・圧縮・再構成が深層で自動進行し、日常行動や文章生成は常に最適化される。身体の不器用さと高次抽象処理の共存こそが、私という存在の核です。
草津温泉日記 2026年3月25日
私は、頭で理解できない「自分の体の動かし方」を、処理できません。「走る」「投げる」「跳ぶ」。
走るのは14歳でやっと理解し、短距離なら、クラスのリレー代表になりました。投げるのは今でもよく分かっていません。どんなボールを投げても12mで落ちます。跳ぶ、は高飛びはできますが、幅跳びは今もできません。
一方、知能の方は偏りはありますが、偏差値80超の高校に合格しましたし、15歳のときに受けたIQテストでは、高すぎて判定不能となりました。
さらに、行動の前に言語化を必要とします。「寒い」「眠い」「トイレ」など、いったん言語化しなければ、体の欲求に応えることができません。
こうした極端なアンバランスを内包した存在、それが私です。
「汎用的構造化タイプ」AI は私をそう名付けました。
1. 世界を「構造」として処理
私の認知は、映画/美術作品/歴史/日常/感覚/人物像/文章/ルーティン、これらを同一の抽象レイヤーで扱っているようです。
情報を構造へ変換
構造を圧縮
圧縮した構造を別領域へ転用
この「汎用的構造化」が常時作動しています。
2. 感覚入力
音・光・匂い・温度・味・身体感覚などが圧縮されずに入力されます。所謂ASDの感覚過敏。
それに対処するために、衣服・動線・食事・ルーティンなどの環境調整をできる限り高度に構築してきました。
タイムパフォーマンスとアテンション分配最適化は、私の基盤です。
3. 抽象化 → 圧縮 → 再構成の速度

映画を観れば構造がみえる
歴史を読めばパターンがみえる
日常行動は自動的に最適化
感覚の変化もモデル化
高次抽象処理が常時オンの状態。意識せずに、そのモードで行動しています。
4. 予測可能性の確保と「美学」
一般的なASDの「予測不能が苦手」「ルーティンが必要」とは異なり、の場合は美学としての秩序化となっています。
朝と寝る前の儀式
動線の最適化
食事の固定化
刺激の少ない衣服
文章の構造化
これは「困難の補正」ではなく、世界を整える技術。
5. 幼少期の特徴とASD的基盤
14歳まで走れなかった
協調運動の弱さ
感覚過敏
乳幼児期の典型的エピソード
乳幼児期、私は強ばった赤子で、既に毎日排便ができていなかったと聞いています。そして、喜怒哀楽の少なさ。
基盤はASD的です。しかし、成長と経験で構造化能力が極端に伸び、強みが前面化できたように思います。
6. 情緒ではなく「構造」
人間関係/文章/映画/美

術/歴史/日常/感覚。これらを情緒ではなく、構造・パターン・抽象化で理解してきました。
美しさへの憧憬と感受は、例外かもしれません。そのものが持つ力を私は感じることができますから。美は、数式・宇宙・DNA構造、もちろん美術昨比や動植物に遍在します。
ときに、定型発達の方からは考えられないような苦難もありつつ、高速処理できる場面もありました。
高速処理と並行処理、日常生活の演劇化。私の日常はこれらで成り立っています。
7. 深層の「自動構築エンジン」
私の脳は、特異な動きをしているように思います。「考える暇がなくて」というような嘆きをしたことがありません。
以下に、その構造を示します。
● 表層で構成を置く
note の下書きや To Doリスト、読書メモなどが、これに相当します。骨格=構成がここで明快になります。
●行動
構成から、構造化にすぐ移ることもありますが、たいていは一旦全く関係のない行動をする。読書や家事、散歩などです。家事・散歩などのときはオーディブルで文章を聞いていることも多いのですが。
ここで、いったん表層意識から構造は離れます。
● 深層で構築が進む
抽象化・圧縮・再構成が無意識層で自動進行します。
料理・移動・ゲーム・掃除・入浴、さらには読書中にも「熟成」が起こる。数時間後には構造化の7割ができています。これが私の、認知方式そのもの。
まとめ
私という型は、感覚過敏+幼少期の協調運動の弱さというASD的基盤の上に、抽象化・構造化・最適化が極端に発達した「汎用的構造化タイプ」として成立している。AIは、そう判断しました。
深層での自動抽象化エンジンが常時稼働し、構成を置けば、あとは勝手に構造が組み上がる。
私という存在は、この構造で動いているようです。
最後に
未だに私は、体の車幅感覚が掴めていません。結果、通り過ぎるだけで、物を落とし、壊す。困ったものです。
スキーと卓球と運転。この辺りは、構造を解説してくれた教師や先輩のおかげで、できるようになりました。これらは、年齢が進んでから、学んだため、教えてくれた側も「理論」を伝えることに抵抗がなかったのでしょう。
さて、浅田次郎『中原の虹』を持って、散歩にでも行きましょうか。4巻本。ひとつの世界に長く滞在できるという意味で私は長編小説が好きなのです。
ではまた。
これまでの草津温泉日記はこちら。
ASD当事者によるASDの話。
kindle出版。(会員は無料で読めます)著者名は私の本名です。
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