花女15| 『改訂版 女たちのいけばな』 最終回
2025年10月6日/記
(敬称略)
今回で『改訂版 女たちのいけばな』を終わらせてもらうことにした。新聞連載では続きがあって、43回から54回まで、勅使河原霞について書いている。彼女は、優れた感覚をもったいけばな人であっただけでなく、父蒼風との間で親子愛と自立をめぐる葛藤があった。戦後の女性いけばな人の一例を示していて、なかなか興味深いのである。
ただ、今回は割愛する。というのは、彼女は、「前衛いけばな」時代にはまだ若くて、少しだけ関わりをもつだけだった。また、1970年前後から湧き起こってくる「現代いけばな」活動にはあまり関与しなかった。前衛いけばなとポスト前衛いけばなの、いわば端境期の存在になる。新聞連載で書いてみた結果、私が設定した流れの中に置きづらいことが分かった。別の文脈に置いて語った方がよい人なのである。それで、この改訂版では半田唄子をもって一区切りとしたい。
もちろん、女たちのいけばなは、その後も続く。現代いけばな運動が躍進し、例えば谷口雅邦などの活動もその流れの中から始まった。ただ、新聞連載は、現代いけばな時代にまでは至らなかった。
実は、連載が3年を超えた頃だったか、編集長が言いにくそうに〈三頭谷さん、そろそろ・・・〉と電話をしてきた。いつの間にか『日本女性新聞』史上では最長の連載になってしまったのである。さすがに悪い気がして、身を引くことにした。というか、むしろ、よくここまで書かせてくれたと言うべきだろう。この長期連載があってこそ、今回の『改訂版 女たちのいけばな』が成立しえたのである。
🔴下降気流を受け入れ、逆転、大望を抱く
(初出「日本女性新聞」2018/3/15 第55回 ―新聞連載の最終回―)
長い連載だった。最初が2015年1月1日号だったから、3年3ヵ月続けたわけである。近代いけばなを女性中心に見つめ直すというのが基本方針だった。明治以降、大きく衰退する可能性のあったいけばなを大繁栄に導いたのは女性の参入であり、近代いけばなの主役は女たちだったはずだ。ところが女性のいけばなの活動はほとんど記録されていない。誰を選び、どう捉え、どのように書いたらよいのか、よく分からないのである。しかたがないので闇雲に探索を試みた。
明治以降の書籍や新聞を調べ、華族や芸者の記事といったものも追っかけた。九条武子から日本橋のぽんたまで、いけばなは様々な階級の女たちに広がっていたからである。平塚らいてう(らいちょう)らと『青鞜』を創刊した藤浪和子(旧姓・物集)が、いけばなを嗜み、一家言をもっていたことを知った。また、平一鶯の場合、一般女性史の研究書の中に名前が出ていたので気になり、調べた。
どこに着地するのか、書いている私自身が予測できないという連載だった。半田唄子と中川幸夫の場合も、情報を集めて分析してみると想定外の結論に至ったのである。ともかく、研究していて手応えがあり、3年余りも書き続けられた。
1984年、自分がまだ美術評論家として駆け出しの頃、「女たちによる感性のモザイク111」という、女性ばかり111人の展覧会を企画した。ジャンル横断的な展覧会であり、いけばなからも4人参加してくれたが、いけばなの人と関わったのはこの時が初めてだった。偶然、女性というテーマの下でいけばなに遭遇したわけである。まさか同じテーマで連載をすることになるとは、当時は夢にも思わなかった。連載を終えて、34年前の展覧会のことが懐かしく思い出される(注1)。
過去が懐かしくなるようだと一区切りの時かもしれない。それに私はちょうど70歳。普通は60歳が還暦だが、自分流には今が還暦のような気分である。これからは新しい一歩を踏み出すことになる。
いけばな界の状況は悪い。しかし美術界も、見かけ上はともかく、内実は悪いのだ。表現上の閉塞感が広がるなかで、一部の現代美術作品の値段は極端に高騰したものの、多くの美術家が気力を失ってしまった。批評も事実上崩壊している。その他いろいろな原因で若者の心が美術から離れようとしている。ここでは詳しく書かないが、私は近年「美術の終末、芸術の終末」という長論文を書いていて、財団法人・岩田洗心館のウェブ紀要に連載している(注2)。関心のある方はそちらを覗いていただきたい。
時代が上昇気流にある時は、いろいろなことがあっという間に実現する。今は明らかに下降気流、もはや大望を抱くことはできないのだろうか・・。逆転の発想が必要であり、上昇時代に染まったものの見方を捨て、下降を受け入れるべきなのではないか。上昇時代が最善ではない。下降時代の醒めた目で上昇時代を観察すると、余計な虚飾や驕りが目に付く。それらを脱ぎ捨てて、本物に近づくのはこれからなのである。厳しい時代だからこそ、いけばなの本物の魅力を証明することが大切であり、そこから新しいいけばな文化が始まる。これは下降時代の大望と言ってよいが、ここに私たちはもっと力を注ぐ必要がある。
☆長い間ありがとうございました。みなさんに感謝。(三頭谷)
(注1)ブログ『+G視点のいけばな』「00|序論 +G視点の自分史的背景」で「女たちによる感性のモザイク111」について言及している。
(注2)「美術の終末、芸術の終末」シリーズは、岩田洗心館ウェブ紀要掲載の10論文をこのブログに転載している。
(新聞連載『女たちのいけばな』 おわり)
🔵『改訂版 女たちのいけばな』あとがき
この改訂版は、初回に述べたとおり、『+G視点のいけばな』からの続きである。とくに「01|いけばな文化は、女性排除で始まった」は、改訂版の序章という位置にある。まだ読まれていない方は、是非、読んでいただきたい。その末尾で、〈 次回は、平塚らいてうの言う「元始」までさかのぼって、考えてみるつもり 〉だと書いた。実は、その方針を急遽変更して、改訂版の執筆に変えたのである。
改訂版を書き終えた今、もとの進路にもどるかどうかで、正直、迷っている。美術や自分史的なテーマなども頭をよぎる。しばらく考えてから決めるつもりだ。
新聞版の最終回に、今は「下降時代」だと書いた。当時、お弟子さんの激減が大問題となっていたし、いけばな界はどうなるのかと思い悩む人も多かった。ただ、それらは、その人たちの肌感覚によるものであって、激減の具体的な数値や推移については知らないのである。
流派の大幹部たちなら、自分の流派の現状くらいは知っていたはずだ。が、企業秘密のようなものだから原則非公開であり、そのため、いけばな界全体となると、詳しく知る人はいないわけである。まして歴史的推移の把握などは無理である。以前、文化庁が取り組んだが、下請けに丸投げの、ずさんな調査であり、あれは経費の無駄使いだったと思う。
それで、実態を知りたくなって、新聞連載の終了後、総務省の統計などをもとに、いけばな人口の推移を分析し、ブログ「いけばな人口激減の考察」①②に書いた。激減は予測していたが、その惨憺たる数値には、分析した自分がまず唖然とした。この論文も、是非、読んでいただきたい。
新聞連載を終えてから7年半がたったが、事態はより深刻で、いけばな文化は瀬戸際にある。ただ、私たちに直結する近現代いけばな史を見れば、ずいぶんとダイナミックに展開してきたことが分かる。そうした歴史に学ぶなら、起死回生の道あり、と思えてくる。もちろん大改革、柔軟な思考、懸命な努力を必要とするわけだが。
ともかく、見かけよりもはるかに逞しい生命力をもつのが、いけばなという文化である。予想外な形での再上昇が始まるものと信じて、この『改訂版 女たちのいけばな』を書き終えることにする。
☆☆読んでいただいた方々、そしてみなさんに感謝。(三頭谷)
