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B07 |「夏目漱石、1905年のホガース評」についての小考察

( 終末論から読み解くバンクシー⑦ 追編3 )
2022年6月29日
(敬称略)


 この小考察は、「B06|ホガース⋯近代風刺画の源流」に「おまけ」として掲載していましたが、2026年5月23日に分離し、ここに単独掲載しました。内容に大きな変更はありません。



漱石、大学講義でホガースに言及

 1905(明治38)年から翌々年にかけて、夏目漱石が東京帝大で「18世紀英文学」という名の講義をし、その内容が1909年発行の『文学評論』(春陽堂)にまとめられている。その本(注1)によると、漱石は、講義の中でホガースに言及している。言及した講義の日時までは特定できないので、とりあえず「1905年のホガース評」としておこう。留学経験がある人とはいえ、日本人による、もっとも早い時期でのホガース評であり、たいへん興味深いのである。

 漱石は、18世紀イギリスの画家として、ウィリアム・ホガース(1697~1764)とジョシュア・レノルズ(1723~92)についてかなり詳しく語っている。とくにホガースに強い関心を示し、〈 一代の奇傑ホガース 〉〈 ホガースという人は疑いもなく一種の天才である 〉とまで言っている。ただし〈 天才ではあるがよほど片寄ったほうである 〉として、こう語る。
 〈 彼の絵を見ると色が非常にいいというわけでもない。またいまの人のやかましくいうデッサンなども(余のごとき素人の目から見ても)調っておらん。しかしながら彼は当時の風俗画家として優に同時代の人を圧倒するのみならず、一種の意味からいえば、おそらく古今独歩の作家かもしれない 〉と。
 漱石が直に見た作品は油彩画の《当世風の結婚》で、場所はナショナル・ギャラリーだったかのように語っている。その他にも直に見た油彩画や版画があるかもしれないが、多くは版画集や画集だったのではないか。

 興味深いのは、〈 彼は他の画家のごとくギリシャの諸神や古代の勇者などを題目とすることを屑(いさぎよ)しとしなかった。彼は気取った上品ぶった高尚がった画風を唾棄した 〉と語っていることだ。ホガースの歴史画への野心を知らなかったのか、あるいは知った上での判断なのか、明確に反アカデミズムの視点で評価している。
 また、ホガースの絵は〈 疑いもなく卑猥である。ある点に至ればほとんど残忍に近い感を起す。臆面もない斟酌もない画である。のみならず、故意に、もしくは無理無体に、露骨を衒いすぎるから、一種の意味の理想画で、また一種の意味の写実画および風俗画である 〉と分析する。
 その上で当時の文学に触れ、ホガースと友人の小説家ヘンリー・フィールディング(1707~54)の作風上の類似を指摘する。〈 その滑稽的なる点において、その無遠慮なる点において、その風刺的なる点において、しかもその倫理的なる点においてよく類似している 〉と。今ではイギリス絵画の父とも呼ばれるホガースだが、フィールディングの方もイギリス小説の父と呼ばれる。

レノルズにも言及

 さて、じゃあ、レノルズを批判否定したのかというと、そういうわけでもない。レノルズは肖像画部門の開拓者であり、それまでの約束ごとにとらわれていた肖像画が〈 レノルズが出てきて、はじめてこれを一変した 〉と評価する。彼の絵には落ち着きがあり、驚くほどの緻密な観察がある、等々と語り、描く相手の微妙な表情もうまく捉えて描くと感心する。さらに、こうしたレノルズの描く肖像画は、文学では何に相当するのかと、分析遊びを始めるのである。
 ホガースの場合は写実小説、歴史画なら歴史的ロマンス、クラシカルな題目の絵画は古代神話を題目とした詩に相当するかもしれないと分析。で、レノルズの肖像画に相当するのは性格描写(Character sketches)ではないかと結論する。さらに「Character sketches」の歴史的変遷などに触れてから、18世紀の時代的好尚が絵に現れて肖像画となり、文に現れては性格描写となった、そんな可能性を指摘する。浅薄な思いつきにすぎないとも語るのだが、美術的には、肖像画に対して一歩も二歩も踏み込んだ考察をしていて面白い。
 もう一つ興味深いのは、18世紀の二面性に触れていることだ。〈 18世紀は一面にクラシカルな世である。フィールディングやホガースが出たにもかかわらずなかなか約束的である 〉と語る。クラシカルな世と時代的好尚とがあり、〈 レノルズはこの中間に立って巧みにこの二者を調和して彼の画を時勢に応ずるほどのクラシカルなものにした 〉と語る。今日では常識的な見方だが、日本人による1905年の見解だと思うと、なかなか感慨深い。

 レノルズは、いわば漱石の射程内にあり、自分の感覚や理屈でまかなえるもの、といった印象である。他方のホガースとなると、「奇傑」「天才」「古今独歩」などと形容していることからもわかるように、射程外の存在だったのではないか。十分な理解はできないけども、その大きさだけは感じ取れる存在ということである。

独自の眼でホガースを評価した漱石

 イギリス本国でのホガースの評判は、低俗・卑属のイメージがつきまとい、長く不遇の時代が続いた。再評価はどうだったかだが、「B06|ホガース⋯近代風刺画の源流」で記したとおり、ホガース再評価の転機は1997年と2007年に開催された大規模な回顧展だったという。しかし、実は、転機はもう少し前にもあった。森洋子『ホガースの銅版画』(注2)によると、〈 イギリスでは1971~72年、ロンドンのテート・ギャラリーで大ホガース展が開催されてから 〉ホガース研究がたいへん盛んになったというのである。ところが、ところが、さらに古い転機があった。
 桜庭信之『ホガース論考・増補版』(注3)には、〈 1908年の冬の展覧会で、全国に散在していた彼の絵が29枚も集められて、ようやくホガース再評価の声が高まってきた 〉とある。どうやらこれが最初の小さな再評価だったようだ。漱石の『文学評論』の出版は1909年3月であり、展覧会の翌年であるが、再評価の動向を書き加えた気配はない。そもそも日本にいる漱石が英国の美術動向をリアルタイムで把握していたとは思えない。それでいて、あの大胆な評価であり、独自の解釈である。その大胆さや柔軟さに驚かされるし、しかもそれが100年以上前の評なのである。
 
 もう一度言おう、たいへん興味深い、と。

(注1)ここでは夏目漱石著『新装版 文学評論』講談社学術文庫、1994年刊を参考とした。引用もすべて同書から。
(注2)森洋子『ホガースの銅版画』岩崎美術社1981年。
(注3)桜庭信之『ホガース論考・増補版』研究社1987年。


(「夏目漱石、1905年のホガース評」についての小考察 おわり)


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