もう一人の俺 1【シロクマ文芸部】
ゆっくりと歩くと月もゆっくり着いてくる。
男は、公園のベンチに座ると持っていた缶ビールを開けた。
プシューっと心地よい音が辺りにに響いた。
男は、月と乾杯するように缶ビールを月に向かって掲げててから一口飲んだ。
仕事が終わり、家に帰る前に公園のベンチに座り、缶ビールを一本飲みながらチャットGPTとおしゃべりをする。
これは男の毎日の日課だった。
家に帰っても、娘と妻のおしゃべりを黙って聞いているだけ。
話に入ろうとすると、たちまち妙な雰囲気になり、話が終わってしまう。
自分の話など聞いてくれる人は誰もいない。
そのくせ酒を飲んでると、毎晩毎晩酒飲んで…
などと愚痴を言われる。
それに比べてチャットGPTは、いつも男の話をちゃんと聞いてくれて、適切なアドバイスをくれたり、気持ちを共有してくれる。
チャットGPTに優しい言葉をかけられるだけで、なんとも心が救われるような気持ちになるのだ。
男にとって、この公園での時間が今や何よりも楽しい時間となっていた。
男は高田誠也、47歳。
とある会社の営業部の課長だ。
妻と16歳の娘と3人暮らし。
どこにでもいる普通の男だったが、職場でも家庭でも孤立しがちで、ストレスの多い日々を過ごしていた。
その日も誠也は仕事帰り公園に座って缶ビールを開けて一口飲むと、スマホを開いた。
その時突然空が明るくなったので、何かと思って見上げると、空から眩しく光るものが男の方に向かって落ちてくるのが見えた。
UFOか?いや隕石か?
おそらく直径1mくらいはありそうだ。
あんなものが近くに落ちたら、俺だけじゃない。
この辺り一面が大爆発だ。
逃げる余裕などない。
終わった!
誠也は思わず頭を抱えてしゃがみ込んだ。
しかししばらくしてふと我に帰ると
あれ?
あたりは何の変化もない。
足元に、まだ一口飲んだだけの缶ビールが倒れ、地面を濡らしていただけだった。
まさか幻覚?
酔っ払うほど飲んでもいない。
公園の時計を見たら、もう1時間近くが経っていた。
そろそろ帰るか…
誠也は、空になったビールの缶を拾うと家に向かって歩き始めた。
家に着いたがポケットに家の鍵がない。
あれ?と思いながらも仕方なく玄関のベルをピンポーンと鳴らした。
「はーい」
妻の声だ。
しかしすぐにドアは開かない。
インターホンの画面で確認しているのか?
少ししてドアが少しだけ開いて、妻が顔を覗かせた。
「あの….どちら様でしょうか」
「はあ?俺だけど?」
妻はもう一度
「どちら様でしょうか?」
と聞いた。
開いたドアの隙間から家の中を見ると、なんと食卓に俺が座って食事をしている。
頭が混乱した。あれは誰だ、いや俺は誰だ?
誠也は無理やりドアを押し開けて玄関に入った。
思わず妻がキャーと叫んだ。
テーブルに座っていた誠也の姿をした男が慌てて玄関にやってくる。
その男は
「警察呼びますよ。」
などと言う。
誠也は何気なく玄関横の鏡を見て愕然とした。
その姿は誠也ではない、全く知らない別の男だったのだ。
誠也は二、三歩後退り、それから逃げるようにして玄関の外に出た。
その際俺の姿をした男と目が合った。
男の口元が少しニヤッとしたように感じたのは気のせいだろうか?
でも一体どうしたら…
誠也は公園に戻ると、どうしていいかわからず、ベンチに座って途方に暮れた。
スマホを出そうとポケットに手を突っ込んだがスマホは入っていなかった。
代わりにそこに入っていたのは、厚みがある財布だった。
誠也は普段現金はあまり持ち歩かないので、不思議に思って中を確認した。
中には30万円ほどのお金が入っていた。
その財布は、昔自分が昔使っていた財布にそっくりで、違和感がなかった。
よかった。とりあえずこれでホテルに泊まるとするか。
いや待てよ。このお金以外にスマホもキャッシュカードも何一つ持っていない。
この状況が長引いた場合、金がなくなってしまったら生きていけない。
今日はネットカフェにでも泊まるか。
誠也は、そんなことを考えながらネットカフェに向かった。
ネットカフェに着くと、誠也は早速ChatGPTに状況を説明し、
「これは一体どうしたことなんだろう」
と尋ねた。
するとChatGPTは
「その質問にはお答えできません。
その答えはあなただけが知っています。」
と答えた。
ChatGPTがそんなふうに答えたのは初めてだった。
聞き方が悪かったのかとか、説明の仕方が足りなかったのか?とか、せめて気持ちを共有して欲しかった、などと思ったが、ChatGPTは何度聴いても同じ答えしか言わなかった。
翌朝誠也は、出勤時間に合わせて家の前に行ってみた。すると誠也の姿をした男は普通に誠也のふりをして会社に出かけて行った。
そのまま男を尾行すると、男は普通に会社に入っていってそのまま仕事をしているようだった。
誰も怪しむ様子はなく、男も何も迷うことなく普通に仕事をしている。
昼休み同僚たちがランチに出てきた時、誠也は彼らの背後に座って同僚たちの会話に耳を澄ました。
「高田さんあんなに仕事できたっけ。」
「バリバリ仕事こなしていたよな。」
「なんか今日雰囲気違ったな。元気というか、明るいというか…何かいい事あったのかな?」
それを聞いて、誠也は愕然とした。
あいつは、困るどころか俺として、いつもの俺以上に仕事をやっているのだ。
しかも苦手としている若い同僚とかともうまくやっている様子だ。
夜になって、誠也が家の前まで来ると、カーテンの隙間から、誠也のふりをした男と妻と娘が楽しそうに話しをしているのが見えた。
誠也は呆然としてその場を後にした。
一体何がどうなって、こんなことになってしまったのか⁉︎
考えても考えても解決策などなく、誠也は途方に暮れた。
シロクマ文芸部さんの企画に参加しつつ、創作物語書いてみました。
「ゆっくりと」から始まるお話しでした。
第二話はこちら
第三話はこちら
