牟田義仁写真展「copypasta」
新宿サードディストリクトギャラリーで牟田義仁写真展「copypasta」を鑑賞した。
東京のストリートフォトをまとめた展示だったが、なにか牟田氏らしからぬ雰囲気を感じて展示コメントを読んだらめちゃめちゃふるっていて、つい面白く感じてしまった。
それではストリートスナップではどうか。いっそのことファインダーを覗かずカメラに任せてみようというのが今回の試みである。ノーファインダー。もう偉大な先人たちがやり尽くした感はあるが、ウォーカー・エヴァンスやウィリアム・クラインのそれとは違って、エドワード・マイブリッジのように。午年なだけに。ん?
写真はカメラが撮るものだと信じている。写真家である私は、そのカメラのために奴隷のように働けばいいと思っている。そうして世界をカメラが複写する。そのあとの貼り付け作業は私がやる。コピー&ペースト。コピペ。copypasta!
牟田氏には全く申し訳ないのだが、つい最近出版された金村修氏の『写真批評』を思い出してしまい、行き着くところは同じだなぁなんて、傲岸不遜にも上から目線を注いでしまったというお粗末。おまけに、つい最近もnote記事でちょっと通じるような内容に触れていたものだから、ますます自分の中でツボってしまった。とりあえず、コメントを読んだのが作品を鑑賞したあとで本当に、本当に良かった。
写真は「表現」や「創造」の敵です。だって機械が撮ったのですよ。そこに「表現」や「創造」の要素が入り込む余地はありません。「創造」という言葉もいやですね。わたし達は創造主という神じゃない。どちらかといえば神はカメラで、写真家はその下僕です。そして写真はまた想像力の敵でもあります。写ったものしか見ることができないのですから、そこに想像の力を発揮する余地もありません。よく写真を見ていろんなことを想像して語る人がいますが、もっと画面をよく見ろと言いたいですね。お前のつまらない想像なんてどうでもいい。重要なのは画面に写っているものだと声を大にして言いたいです。ただそうなると写真を語る言葉というのは、犬が写っているとか、ビルが写っているとかそんな退屈なトートロジーでしかなくなるのですが、そういう退屈さもまた写真の面白いところです。
さておき、牟田氏の作品はカメラ任せのコピペと言いつつも、プリントの冴えた佇まいやセレクトのリズム感など、なんというか「ちぇ、上手い人はラフにとっても上手いや」なんて口をとがらせたくなる、そんな良さが溢れていました。精進せねば。
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