曇りガラスの向こう側 #024「かき氷」
「ちょっと待ってえな、つづる君。すずをそのままで出歩くのはちょっとなあ」
屋敷の広々とした玄関で、ひながつづるの足を止めた。肩の上で誇らしげに胸を張る「すず」を指差す。
「京都の街中で、そんな猫だかインコだかわからん生き物を連れて歩いてたら、一瞬でSNSに上げられてまうよ」
つづるが困り顔で肩を見ると、すずは小首を傾げ、つづるが持っていた帆布のショルダーバッグをじっと見つめた。
次の瞬間だった。すずは自らバッグの中へ飛び込むと、くるりと身を丸める。するとどうだろう。黒い毛並みの質感はそのままに、どこか「作り物」めいた独特の光沢と、動かない愛嬌を帯びた――誰がどう見ても最新のアニメグッズにしか見えない「ぬいぐるみ」へと姿を変えたのだ。
「ミュイッチュー!」
バッグの隙間から、ドヤ顔と言わんばかりの鳴き声が響く。ひなが恐る恐るその背中に触れると、確かな弾力があるのに、生き物特有の拍動が消え、ポリエステルか何かの詰め物が入っているような手触りに変わっていた。
「……すご。言葉、全部わかってんね。ええ子やねえ」
ひなの言葉に鉄平は呆れたように笑い、つづるの背中を叩いた。
「よし、これなら大丈夫や。行くで!」
一歩外へ出ると、京都の夏の太陽は凶器のようにその陽をつづるたちに浴びせるのだった。アスファルトから立ち上る陽炎が視界を歪め、肌にじっとりと張り付くような重い熱気が三人を包み込む。鎌倉の、潮風を含んだ暑さとは明らかに位相が違っていた。
「これが盆地の洗礼や。でも見てみ、この通りの引き方。どこまで行ってもまっすぐ、直角。鎌倉とはちゃうやろ?」
三人は二条城の巨大な堀に沿って歩いていた。高く積まれた石垣と、その向こうに覗く重要文化財の甍。つづるはその風景を、自習室で見た地図と照らし合わせる。
「……本当に。すべてが規則正しいね。この街自体が巨大な、一つの理として完成されている感じがするよ」
「お堅い話はそこまで。ほら、着いたよ!」
ひなが立ち止まったのは、二条の静かな住宅街の路地裏にある一軒の京町家だった。そこには「涼」を求める人々が静かに列を作っている。
待つこと三十分。運ばれてきたのは、もはや芸術品と呼ぶべき「かき氷」だった。
ひなの前に置かれたのは、季節の果実をふんだんに使った色彩豊かな一杯。鉄平は濃厚な抹茶。そしてつづるの前には、白銀の雪山のような、純粋な天然氷の塊。
「……すごい。この削り出し、とても綺麗だ」
スプーンを入れると、抵抗なく氷の層が崩れた。口に含んだ瞬間、それは冷たさだけを残して、鮮やかに消えていく。
「あーん、幸せ……。この氷の質感、見て。一筋一筋が光を反射して、ほんまに美しい。いや美味しい〜」
ひなは幸福そうに目を細める。鉄平も抹茶を頬張りながら、つづるの反応を伺うように言った。
「どや?これは別物やろ?」
「……うん」
ふと見ると、バッグの中から「ぬいぐるみ」姿のすずが、器の結露を不思議そうに見つめていた。ひながいたずらっぽく笑い、氷を一欠片だけすずの鼻先に近づける。
「すずも、一口食べてみる?」
すずは冷たさに驚いたように「ミュイッチュー!」と涼やかな声を上げたものだから店内の客の目線が三人に集中した。鉄平がすかさずうまく誤魔化した。
「ミュイッチァー、美味しいのー、こりゃ最高やー!」
一週間後には、この美しい街が戦場になるかもしれない。つづるは、溶けて消えた氷の冷たさを、忘れないように深く胸に刻み込んだ。
