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14年前に解散した、椿屋四重奏と名のついたバンドに会いに行く

14年ぶりに“椿屋四重奏”という名のついたバンドに会ってきた。
なぜなら、14年前に行われたライブをもって解散してしまったから。

2023年、椿屋四重奏がデビュー20周年を記念して開催したライブがありました。そして、今年(2025年)アンコールツアーが開催されています。

オリジナルメンバーであるVocal,Guitarの中田裕二さんとDrumsの小寺良太さんに、Bass隅倉弘至さん、Guitarカトウタロウさん、Keyboard高野勲さんを加えた編成の“椿屋四重奏2025”。

私は7本ある公演のうち、2025年3月9日に開催された仙台公演を観に行きました。

ちなみに、“椿屋四重奏”という名のついたバンド、というまわりくどい書き方になったのは、あくまで、“椿屋四重奏”というバンド名は、元メンバーのBass永田貴樹さんを含むときに使うため。

これまで、椿屋四重奏もしくは椿屋四重奏という名のついたバンドを観るチャンスは2021年と2023年にあったものの、諸事情によって見送ってしまいました。

ようやく巡ってきた3度目の正直。最後に観たカウントダウンライブから、実に14年ぶりの再会となります。

このnoteは、ライブレポというよりは椿屋四重奏とファンの絡まって解けない因果みたいな話をします。投稿日時点ではツアー中なのでセットリストは書いていませんが、仙台公演のラストアンコール曲については触れました。

ラストアンコール曲については、2025年3月10日に椿屋四重奏2025としてラジオ出演した、Date fmの『SOUND GENIC』にてしっかり話しています。

また、「初めて椿屋四重奏のライブに行けた!」という人に向け、親戚のおせっかいおばちゃんの気分でリンク情報をつけています。若い人が椿屋好きっていってくれるとうれしくなっちゃうからさ……!

ここまで読んで気になった方は、ぜひ最後までお付き合いください。

※内容等、気になる点がある方は、コメント欄かnoteのお問い合わせフォームでご連絡いただくと助かります!

(以下、敬称略)


解散前を超えていく演奏

この日のライブは圧巻だった。解散前と比べても引けを取らず、むしろ進化していた。今まで聴いたことのなかった複雑な曲終わりや繋ぎのアレンジもあり、年を重ねたことによって増す艶やかな表現で、解散前を超えてく。

「俺たち成長したね〜」
と朗らかにいう中田に、極め続けるといくつでも伸び代ってあるんだな……と実感させられる。

仙台は椿屋四重奏が結成された場所なので、第二のふるさとよろしく、和やかな雰囲気が漂っていた。

(宮城県出身のメンバーがいないのになぜ?という方はナタリーさんの記事がわかりやすいです)

「ばかっ……!」

MCにて「もっと怒っていいんだよ、胸の内をさらけ出していいんだよ」と中田。
すると客席から「ばかっ……!」との声が。

「え、すごい泣いてるじゃん、大丈夫?」

「俺、恋愛でもなかなか言われたことない」「トレンディドラマ?きゅんときた」と笑って返す中田。周りのメンバーは、お客さんを心配しつつ微笑ましく見守っている。

普通、ライブのMCで観客に「ばかっ……!」と言われたらびっくりしてしまう。でも、今回のライブに関しては、共感した人が多かったはず。少なくとも私は「よくぞ言ってくれた」と思った。

叶うならばお別れする時間がほしかった

冒頭でも書いたが、椿屋四重奏は、14年前に行ったライブをもって解散してしている。解散自体はいたしかたないと思うのだが、深く傷あとを残した理由は、事後報告だったから。

バンドの解散や事後報告になってしまった詳しい理由は、音楽雑誌『音楽と人 2011年3月号』や椿屋四重奏コンプリートブック『群青』にておさめられている。

改めてインタビューを読み返すと、「あのとき、あのタイミング、あの年齢ならそうせざるを得なかったのかもしれない」と個人的には思った。一部引用では伝わりずらく、全て読んでみたら理解できるので、気になる方は購入してみてほしい。

そもそも、バンドの今後は、バンドメンバーが決めること。いちファンが口出しすることではない。でも、叶うならばお別れする時間がほしかった。

誤解を恐れずにいうなら、解散ライブはファンにとっての大切な儀式になる。葬儀や卒業式、解散ライブ…残された人が気持ちを切り替えようと試みるための儀式なのだ。

「解散ライブに行きたかった」
「解散ライブには行けないけど、近隣のライブに参加したかった」
「学生だけど親にお願いしてライブに行きたかった」
「…解散と知っていたら」

それぞれのファンの葛藤、それが「ばかっ……!」なのだ。

解散のタイミングと震災と

加えて解散後、2011年3月11日に東日本大震災がおきた。

私は当時、宮城県沿岸部に住んでいたので、その凄惨さをありありと感じていた。ありがたいことに1週間程度で電気が復旧し、避難先の小学校で携帯の充電ができるようになる。

そんなとき、情報収集で使っていた旧Twitter(現X)で、2011年3月17日に『ひかりのまち』がアップされたことを知る。

急いで中田が曲を作り、小寺と解散前にサポートギターだった手島大輔と共にスタジオ入りして演奏した楽曲。

この曲は後に、正式なレコーディングに入り、2011年3月25日からチャリティーソングとして配信され、売上全額を東日本大震災の義援金として寄付した。そして、2011年4月17日に行われた宮城県塩竈市の炊き出しとライブにて初めて人前で演奏される。

楽曲制作から配信、ライブまでのスピードに、東北を強く思う気持ちが感じられるだろう。

そんな誠実さがつまった曲だが、正直なところ、私は最初に聴いたときは複雑だった。私には、バンドの解散も、震災も、受け止めるにはまだ若すぎた。

「一番支えてほしいタイミングでバンドを解散して、何がひかりのまちなんだよ……」これが私の椿屋四重奏に対する「ばかっ……!」である。

こじらせた『ひかりのまち』への想いは、のちに時間が解決したのだが。

スポットライトに照らされて

アンコールが終わり、バンドメンバーがはけた…と思ったら、ステージに残る中田と小寺。

まばゆいスポットライトの下、『ひかりのまち』を演奏したのである。

大半の人がオリジナルメンバーで直接聴くのは初めての『ひかりのまち』。色々込み上げながら奏でた曲は、客席にも涙を波及させ、椿屋四重奏2025の夜を優しく包んでいった。

すべてを含めて椿屋四重奏だった

「不器用なバンドだったと思います」そう中田は言った。

ただのファンから見ても不器用さは明らかで、そんな不器用な中田裕二が作る繊細な楽曲が好きで、ソロになっても聴き続けてきた。

結成も、楽曲の変化も、メンバーの脱退も、解散も、ソロ活動も、そして復活を待ち続けた時間も、すべてを含めて椿屋四重奏だった。

だからこそ、ファンは長い時間、椿屋四重奏に恋焦がれていたのだ。そして、今回のツアーを迎えた。

椿屋四重奏のファンへの感謝の気持ちは、その場しのぎの言葉ではなく、圧倒的な演奏で返していく。それがとても憎らしくって清々しい。

ライブに行けてよかった。本当によかった。

ワガママを言わせて

この14年間、自然災害や伝染病を乗り越えてきたからこそ、健康で生きていることは軽視できない事実。

バンドメンバーもファンも生きていて、心も身体も健康だった。解散後も中田と小寺は音楽活動を続けてくれた。みんな今回のツアーのために動いてくれた。そんな奇跡と努力があったからこその再会だ。

中田と小寺はもちろん、永田や脱退したGuitar安高拓郎、サポートやツアー毎に入ってくれたバンドメンバー、支えてくれたスタッフの方々に、令和まで椿屋四重奏の歴史を繋いでくれて本当にありがとうと伝えたい。

けれども、十分な奇跡と努力を受け取ってもなお、ワガママな私は彼らにお願いしたいのだ。

これからも中田裕二の音楽を聴いていたい。りょうちんが楽しそうにドラムを叩くのを観ていたい。たかしげがベースを弾きたくなったときはゲストで出演してほしい。できれば、急にいなくならないでね。

今後、椿屋四重奏のプロジェクトが立ち上がるかはわからないけど、また再会できたら嬉しいな。

そのときまで、ともかくお互いにお幸せでいようね。

ご興味あったらこちらもどうぞ

▼椿屋は聴いていたけど、中田裕二ソロは離れていた方へ。椿屋四重奏2025『椿屋酔夢譚』のセットリストから、中田裕二ソロ楽曲に近いものを個人的にセレクトしてみました。

▼私の椿屋遍歴について、つらつら書いています。

▼2011年周りの私の音楽体験について。(震災について描写あり)

▼2021年の再結成(と再解散)は配信で観ていました。

▼2023年3月11日に行われた『ミヤギ・コースタル・セッション』のライブレポ。

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杉浦百香(もか)@ライター この記事が、共感できるな・おもしろいなと思って頂けたら、「スキ♡」を押してくれるとうれしいです。(♡はnote会員以外でも押せます)SNSでのシェアも大歓迎してます!