100万回泣ける本
以前、このような記事を書きました。
この時の読書会で紹介された本の中に『100万回生きたねこ』がありました。かなり有名な絵本ですが、私は未読だったので、この機会に読もうと近所の図書館へ行きました。
絵本のコーナーへ行くと、すぐに見つかりました。人気本なので、ボロボロかと思いきや、結構綺麗な状態だったので、借りて帰りました。
1977年10月20日 第1刷発行
2004年10月29日 第79刷発行
とあります。おお! やっぱりロングセラーやねえ。図書館ではボロボロになるたびに買い替えているのかも知れません。いいですねえ。うちの近所の図書館。やるやん。
さて、私は最近、「朗読講座」だの「読み聞かせ講座」だのに、せっせと通っています。というわけで、初読ではありますが、おもむろにこの絵本を掲げて、朗読の練習をしました。
どんどん読み進んでいくと、なんとなく、結末が見えてきました。
「あー多分、こうなってああなってそうなるんやろなー。ええ話やけど、それで泣くまでは行かんやろなー」
と思いつつページをめくって、すいすい読んでいたのですが…
28ページで涙で声が詰まって読めなくなりました。
あれ〜?
声に力が入りません。
なんで〜?
ストーリーは、私が予想した通りでした。「やっぱりこうなるやん」と思いつつも、どうしても声が震えてしまいます。
最後は声が出ず、黙読でした。この本の「読み聞かせ」は私には無理だと判明しました。
実は、24ページの
「ねこは、白いねこと たくさんの 子ねこを、
自分よりも すきなくらいでした。」
のところと、
26ページの
「ねこは、白いねこと いっしょに、いつまでも 生きて
いたいと 思いました」
のところも、ちょっと泣きそうになって、こらえていたのですよねー。
「自分よりもすき」「いっしょに いつまでも」…キラーワードです。
この本は、「いい話だけど、泣かなかった」という人も多く、私もそっちだと思っていたけれど、やられました。
「昔読んだ時は泣かなかったけれど、最近読んだら泣けた」という人もいました。
私も、若い頃に読んでいたら、泣かなかったような気がします。
では、今、なぜ泣けたのか?
一言ではいえません。
とてつもなく深いことが書かれていることだけは感じられました。
「なぜ泣けたか?」の解明は無理だったので、私は、なぜ最後、「ねこは もう けっして、生き返りませんでした」と書かれてあるのか、考えました。
ありきたりかも知れませんが、ねこは、自分の愛する「片割れ」を見つけたから、もう「片割れ」を探しにこの世に生まれることを繰り返さなくても良くなったのではないか、と思いました。
初めて誰かを好きになって、「いっしょに いつまでも 生きていたい」と思ったから、あの世で、2匹で楽しく暮らすようになり、この世に帰ってくる必要がなくなったのか、と。
違うのかなあ。
あんまりにも恋愛至上主義的な解釈かも知れませんが、そういうことを言っているような気がしてなりません。
ただ、もっとよくよく考えてみると、「白いねこは100万回生きた猫のことを本当にすきだったのか問題」が浮上してきました。
子猫を作っているくらいだから、嫌いではないのでしょうが、なんか随分消極的な愛のようにも感じます。
もしも白い猫が亡くなる前に、100万回生きた猫の前から姿を消していたら、100万回生きた猫はどうしたのでしょう。
もちろん、必死で探したのでしょうが、それでも見つからなかったら? そして、見つからないまま今回の人生(猫生かな?)が終わっていたら、また100万一回目のこの世での人生が待っていたのでしょうか?
でも、白い猫は姿を消したりしなかった。100万回生きた猫と共にずっと暮らし、100万回生きた猫のそばで亡くなりました。と、いうことはクールに見えただけで好きだったのかなあ。
結局、なぜ、私自身がこの本で泣けたのかは、わからずじまいでした。
読んで2、3日経ってから、もう一度、読んでみました。「今度は、二回目だし、話わかってるし、泣かんぞ」と気合を入れて。
しかーし。
なんと一回目よりも早い段階で涙が出てきました。具体的には、12ページのお婆さんのところです。最後の方のページのセリフを思い出して、泣けてきました。
その後も、何度読んでも泣けます。多分、100万回読んでも泣けるでしょう。
だから、私がこの本の「読み聞かせ」をするとしたら、100万一回目以降になると思います。

