「正義」の反対は「悪」ではない?本当のコミュニケーションの鍵🔑とは
あなたは、「正義の反対は何?」と聞かれたら、なんと答えますか?
おそらく、大抵の人は、「悪」、または「不儀」と答えるんじゃないでしょうか。
『正義』というのは、「正しさ」を意味するので、「悪」でも「不儀」でも正解と言えます。
ですが、『正義』の反対とされるものが、実は、もう一つあるのをご存知でしょうか?
それは、『愛』です。
僕は、初めてこれを言われた時、「どういうこっちゃ?」と思ったのを覚えています。
ですが、『正義=正しさ』以外の意味があることを知った時、『正義』の反対が『愛』であることが腑に落ち、そこからは『正義』というものの見方が変わりました。
もし、あなたが、
子どもに自分の思いが伝わらない。
正しい道を示してあげたいのにわかってもらえない。
など、こういったことに少しでも悩むことがあるのであれば、これからお伝えすることは、あなたの役に立つかもしれません。
我が子にそっぽを向かれないために、子どもとの円滑なコミュニケーションを図るために、ぜひ参考にしていただければ幸いです。
『正義=正しさ』以外の意味とは
『正義=正しさ』というのは、自分自身に向ければ、自分を律したり、秩序のある人とされる、とても強い力を持っています。
ですが、この『正義=正しさ』というものが、自分以外の誰かや何かに向けられた時、それは『否定』に変わります。
そして、それを行使すれば、『裁き』にもなります。
仮面ライダー、ウルトラマン、5人組の戦隊もの、プリキュア、セーラームーンなど、あなたも幼い頃などに、一時は夢中になった時期があったんじゃないかと思いますが、彼らに共通しているのは、世界の平和や、日常の平和を守ることですよね。
そんな彼らは、街を壊したり、人々に危害を加え、平和を脅かす怪人や悪者に裁きという『正義の鉄槌』を下すわけですが、彼らの行動というのは、怪人や悪者(相手)のやっていることを『否定する』ところから全てが始まっています。
これは、戦隊ヒーローなどに限らず、人間関係も全く同じです。
『正義=正しさ』という観点から、「〜は良くないことだ」と、誰かや何かに向けると、それが『否定』になるというのは、非常にわかりやすいと思います。
ですが、仕事の仕方や人生の処世術をはじめ、「もっとこうすれば良くなる」といったこともまた、どんなに相手のためとは言え、自分が思っている(掲げている)『正義=正しさ』を相手に向けた瞬間、相手を『否定』することになっているということです。
そもそも『正義』とは、何から成り立っているのか。
ここで、そもそも『正義』とは、何から成り立っているのかについて触れておこうと思います。
我々が、各々持っている『正義』とは、主に、常識や法律などの社会的なルール、道徳的、人道的なことをベースに、各々で定めた価値観から成り立っています。
価値観というのは、これまでの人生の中で、「好きか嫌いか」、「必要か必要じゃないか」、「正しいか正しくないか」、を判断し、自身が得た情報や経験から見出した、自分の中での正解とされるものです。
遅刻することは良いくないことだと、自分では思っていても、人によっては、遅刻は悪いことじゃない、遅刻しても構わないという、遅刻というものに対する正しさが、人によって違いがあるのは、その人の価値観によるものですよね。
ちなみに、どこの国かは忘れましたが、ある国では、パーティーを開いた際、遅れて登場すればするほど、その人はヒーローになれるんだか、遅れるて登場することに価値があるらしく、そのため、「〇〇時にパーティーを始める」と言っても、なかなかメンバーが揃わないんだそうですよ。
「正しさ」を外に求めてしまうのはなぜか
世のため、人のため、我々は、ついつい『正義』という正しさから、自分以外の誰かや何かに求めようとする生き物でもあります。
それはなぜなんでしょうか。
相手の行いが間違っているから。
その対象となる何かが間違っているから。
「だからこそ、何が本当は正しいのかを主張する」というのも一理あります。
ですが、実は、正しさを主張することで、当の本人も気づいていない、別の理由があります。
その理由というのが、
相手も自分と同じ価値観や基準でいてくれないと心地が悪い。
自分の『正義=正しさ』が間違っていなことの証明。
です。
あと、これは、人による部分もあると思いますが、
自分がその相手よりも、立場や権威が上であることを知らしめるためだったり、相手の存在価値を下げるために、正しさを主張するという使い方をする人もいます。
これらの理由から、相手を屈服させたり、相手にも自分の正しさに同調、または、従ってもらうことで、自分が安心したいだけなんです。
さらに言えば、己の『正義=正しさ』を振りかざすことで、感情の欲求が満たされます。
感情の欲求:嬉しい、楽しい、安心安全から得られる感情意外にも、愛されたい、認められたいなどの、無意識に求めている感情。
「安心したい」のは、安定感(安心安全を求める欲求)を満たすためですし、「相手を屈服させる」のは、重要感(己の存在や価値を認めてほしいという欲求)を満たそうとしています。
正しさを、誰かや何かといった外に求めるのは、誰かや何かのためのように見えて、実は、自分のためだったりもするのです。
子どもにそっぽを向かれないためにはどうしたら良いか
己の掲げる『正義』のことを、僕は、『自己正義』と呼んでいますが、『自己正義』をぶんぶん振り回せば振り回すほど、子どもの心の距離は離れていきます。
なぜなら、これまでの内容からも分かるように、どんなに正しいことを言っていたとしても、それは、相手にとっては「否定」になるため、自分のことを何かにつけて「否定」する相手とは、仲良くなれないと思うのが自然なことでしょう。
「否定」というのは、子どもの肯定感が損なわれていくだけでなく、親は自分を理解しようとしない存在として、または、味方ではないという解釈が無意識に刷り込まれ、
いざという大事な場面で、面と向かって話し合おうにも、自分の思いや気持ちを言わなくなり、親の言うことは、適当に聞き流し、言うことを聞いているフリをするか、無視をするという手段を取るようになる。
その最たる状態というのが、子どもが「ひきこもり」になった時です。
このような事態にならないようにするにはどうしたら良いのでしょうか。
このような事態に陥らないために、心に強く留めておきたいのは『愛』による関わり方です。
『愛』というのは、言い換えれば「受容」です。
「受容」というものは、「受け入れる」ということですが、これに該当するものは、大きく分けて3つあります。
認める(肯定)。
信じる。
赦す。
です。

これだけを見ると、悪事や間違っていること、やってほしくないことなどを容認するように受け取れるかもしれませんが、そうではありません。
容認ではなく、相手側にも『正義』からなる正しさがあってのことであることを知ろうとするということです。
極端な例を出しますが、犯罪を犯す側も、当人にとって、当人なりの正しさという何かしらの理由が必ずあります。
今日のご飯のためだったり、自分の命を守るためだったり、楽をするためだったり、何かしらの理由が必ずあります。
本来あるべき『正義』という正しさから見れば、その人の甘さだったり、「コイツ、一体何いってんだ!?」と思うこともありますが、どんなに理解や共感の出来ないことも、まずは、相手の『正義』からなる正しさを知ろうとする努力が重要です。
なぜなら、人というのは、「否定」から入れば、その相手は攻撃されていると思い、身構え、自分の身を守るために戦おうとするので、こちらの言葉がなかなか届かなくなります。
ですが、相手のことを否定せず、受け入れる姿勢が相手に伝われば、相手は安心し、この人の話を聞こうという姿勢になりやすくなります。
本当のコミュニケーションはここから始まります。
『正義』(否定)の反対は、『愛』(受容)であることが、つながり出したでしょうか。
まとめ
今回は特に情報量が多いと思うので、本記事のまとめに入りたいと思います。
『正義=正しさ』というのは、自分自身に向ければ、自分を律したり、秩序のある人とされる、とても強い力を持っているが、
自分以外の誰かや何かに向けられた時、それは『否定』に変わり、それを行使すれば、相手を『裁く』ことになるもの。
そして、我々が抱く『正義』とは、己の価値観から成り立っているものであるため、人によって違ってくるものである。
己の『正義』を自分以外の誰かや何かに求めるのは、それが、どんなに相手のためであったとしても、実は、自分のためにやっていることだったりする。
間違っていること、やってほしくないことなどを主張することは、決して間違いではないが、本当のコミュニケーションは、相手の『正義』を理解、共感しようとする、『愛』から始まる。
今回お伝えしたことは、子どもとの関わりだけでなく、夫婦の関係や恋愛における男女の関わり、職場などの人間関係にも、大いに役立つものですので、ぜひ役立てていただければと思います。
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