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初心者が選ぶステキな短歌ベスト30首

最近、短歌をよんでいます。
主に短歌の入門書や歌集を”読んで”、たまに見よう見まねで”詠んで”みたりしています。色々よんでると、5・7・5・7・7の31音に自分の些細な気付きや感情、美しい景色を記録し表現する短歌は写真を撮るのと少し似ている気がしますね。いいもんです、短歌。

というわけで、今日は短歌入門者のわたくしノンシャランが好きな歌を30首ほど上げてみました。
わたしをフォローしてくださってる方々の大部分は、ちょっと前までのわたしと同様、短歌と「昔、国語でちょっと習ったな」ってくらいの距離感だと思うんですが、それがこの記事を読んで「え、短歌ちょっと面白そうやん」ってなったら嬉しいです。

ではどうぞ!


1首目。

君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで

読人知らず『古今和歌集』905年

言わずと知れた日本の国歌ですね。
でもこれが短歌(時代的には和歌と呼ぶべきか?)だって知ってました? わたしは知りませんでした。短歌の入門書を読んでたら唐突に君が代が出てきて、「え、オマエ短歌だったんか!」って独りツッコんでしまいましたよ。という驚きも含めてのランクインです。
なお、最初に持ってきましたが別に「一番好きな歌」という訳ではありません。特に愛国者とか極端に右寄りとかってこともないです、一応。


2首目。

金星の王女わが家を訪れてYMOを好んで聴けり

笹公人『念力家族』2003年

短歌に興味を持ってたまたま最初に手に取って読んだのが笹公人さんの『シン・短歌入門』(2023)でした。それでかは分かりませんが、わたしは笹さんの歌が好きです。
このYMOの歌はわたしに「あ、短歌って完全にフィクションでも良いのか。面白いな」って思わせてくれた一首。それまではなんとなく、実際に見た風景だったり感じたことを詠むものだと思い込んでいたので新鮮でした。荒唐無稽な内容を文語で詠むバランス感覚みたいなものも好きです。


3首目。

修学旅行で眼鏡をはずした中村は美少女でした。それで、それだけ

笹公人『念力図鑑』2005年

再びの笹公人さん。
前の短歌は文語でしたが、こちらは口語。
にしても、”それで、それだけ”って良いなー。わたしがもう50年早く生まれて短歌を始めていたら、絶対先に”それで、それだけ”って詠う。


4首目。

たとへば君 ガサっと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか

河野裕子『森のやうに獣のやうに』1972年

この歌も先の”それで、それだけ”と同様、初句の”たとへば君”のところがずるい(好き)。
旧仮名遣いで書かれてるから何だか小難しく見えますが、内容は口語的で、しかも特定の”君”へのストレートな提案(要求?)で、しかも結構 字余りで(でも語呂は良い)。「こういうのもアリなのか」って感じさせられたところが好きです。


5首目。

雨だから迎えに来てって言ったのに傘も差さず裸足で来やがって

盛田志保子『木曜日』2003年

インパクトありますよね。びしょ濡れ裸足で来る絵面にも、”来やがって”の結句にも。
ちなみに、この歌だけ読んだときは恋人か配偶者を想像してたんですが、実際には妹を詠んだ歌だそうです。かわいい妹さんですね。


6首目。

ああ接吻くちづけ海そのままに日は行かず鳥翔ひまいながらせ果てよいま

若山牧水『海の声』1908年

これもインパクトある。意訳すると「キスの最中、時間が止まりゃ良いのになぁ」って、J-POPの歌詞みたいな感じなんですが、それを”鳥翔ひまいながらせ果てよいま”って、昔の人もすごいこと言いますね。


7首目。

ゆふぐれに櫛をひろへりゆふぐれの櫛はわたしにひろはれしのみ

永井陽子『なよたけ拾遺』1978年

「夕方、くしを拾いました」というだけなんですが、何だかきれいで寂しげに思えるのはなんででしょうね?
”くし”は苦や死を連想させるから拾ってはいけないと、縁起が悪いと言いますが、、この歌とは別に関係ないかな。


8首目。

ドアに鍵強くさしこむこの深さ人ならば死に至るふかさか

三森祐樹『鈴を産むひばり』2010年

思わず「そうかもねぇ」と呟いてしまった一首。
日常に新しい視点をくれる豆知識およびアイデア系の短歌。こういうのは結構好きです。


9首目。

フォルテとは遠く離れてゆく友に「またね」と叫ぶくらいの強さ

千葉聡『そこにある光と傷と忘れ物』2003年

これもアイデア系。
この歌を詠んだ千葉さんは横浜の高校で国語の教師をされてるとかで、いつかうちの子の学校に赴任してきたりせんかなぁ。
ちなみに、教師とか学校とか業界のあるあるネタを詠んだ歌は色々あって、そういう歌を職場詠といそうです。


10首目。

誤植あり。中野駅徒歩十二年。それでいいかもしれないけれど

大松達知『アスタリスク』2009年

いや、よくはないでしょうね、売主的には。最近、妻が実家仕舞いに駆り出されてまして、この手の話題には敏感にならざるを得ません。
ちなみにこの歌の作者の大松さんも高校教師なんだそうですよ。先生が”それでいいかもしれないけれど”なんて投げやりな態度じゃ困るんだよ、全く😡


11首目。

結局は傘は傘にて傘以上の傘はいまだに発明されず

奥村晃作『鴇色の足』1988年

こちらも学校の先生の歌。しかもこの奥村先生、先の大松先生の高校の恩師だそうで、、不思議なご縁ですね。
そして歌も不思議。「ただごと歌」というらしいですよ。日常の気付きや風景を素直に詠んだ歌、って意味なのかな?
早くA.T.フィールドみたいな未来の傘が実現しますように。


12首目。

これでいい 港に白い舟くずれ誰かがわたしになる秋の朝

雪舟えま『たんぽるぽる』2011年

先ほどの「ただごと歌」達とは正反対(?)のただごとではない歌。
歌集『たんぽるぽる』も手に取ってみたんですが、謎の心象風景(でも可愛い)を言葉にしたような短歌がズラッと並んでおりほとんど理解できませんでした。。もうちょっと短歌脳を鍛えてからいつか出直すとします。
で、この歌もよく分からなくはあるんですが何やらキレイな風景が頭に浮かびますし、”これでいい”とパワフルに言い切られてはこちらも「うん、まあいいか」となるので好きです。


13首目。

かんたんなものでありたい 朽ちるとき首がかたんとはずれるような

佐藤弓生『眼鏡屋は夕暮れのために』2006年

そうですね。本当にそうですね。


14首目。

もういやだ死にたい そしてほとぼりが冷めたあたりで生き返りたい

岡野大嗣『サイレンと犀』2014年

これも、そうだね。学生の頃とかサラリーマンやってた頃はよくこう思ってました。


15首目。

あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ

小野茂樹『羊雲離散』1968年

先日、初めてこの歌を読んだときは子育ての歌かな?と思ったんですよ。
昔の写真とか見返して「小さな頃はかわいかったな。またこんな風に笑ってほしいなァ」ってね。まあ、うちの中学男子の話ですけども。
実際は恋の歌で、若い頃の友人(恋人?)と再会して恋が始まった、とそういう歌だったみたいです。いずれにせよ爽やかで良い歌。


16首目。

さくらさくらいつまで待っても来ぬひとと
 死んだひととは同じさ桜!

林あまり『MARS ☆ ANGEL』1986年

これは紛うことなき恋の歌ですね。年齢のせいかストレートな恋の歌が琴線に触れることは少ないんですが、この歌は散る桜の情緒ある1行目とキッパリ未練を断ち切る2行目のギャップが好きです。


17、18首目。

世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし

在原業平『古今和歌集』905年

くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる

正岡子規『竹乃里歌』1900年

古い歌2首。(いや、さすがに古今集とまとめて”古い”って言われたら正岡子規は怒るかもだけど。。)こういう花とか風景を歌うなら文語と旧仮名遣いがしっくりきますね。
ところで、文語と旧仮名遣いって写真で言うところのモノクロみたいなもんかなー、とフッと思ったりしました。格調高くて、かっこいいし雰囲気ありますよね。昔はそれが普通だったわけですけど、現在敢えて文語で詠んだりモノクロで撮るのってそれなりに意味とか覚悟が求められるものなんでしょうか?


19首目。

不逢恋あわぬこい逢恋あうこい逢不逢恋あいてあわぬこいゆめゆめわれをゆめな忘れそ

紀野恵『さやと戦(そよ)げる玉の緒の』1984年

「新古典派」と呼ばれる端正な短歌を詠まれた方の歌。
言葉遊びみたいにも見えるけど、声に出して読んでみると確かに滑らかで雅な感じがしますえ。


20、21首目。

えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力をください

笹井宏之『ひとさらい』2008年

好きだった雨、雨だったあのころの日々、あのころの日々だった君

枡野浩一『ますの。』1999年

言葉遊び遊び的な歌をもう2首。
こんなのがサラッと作れたらオシャレですね。


22、23首目。

業平の一途な恋が黒板に品詞分解されてゆく午後

海老原愛(牧水・短歌甲子園)

大きな手せまってきたら虫かごのゼリー生活始まるんだよ

天田千英菜(小四、イベント「歌人が学校に」にて)

こちら高校生と小学生の歌。
こんな風に、たまにアマチュアがプロ顔負けのヒットをとばすところも写真との共通点かもしれません。


24首目。

終バスにふたりは眠る紫の〈降りますランプ〉に取り囲まれて

穂村弘『シンジケート』

先の歌の”ゼリー生活”といい、この歌の”降りますランプ”といい、使える文字数に制限がある短歌ならではの面白い表現に出会えます。
ゼリー生活にも降りますランプがあれば良いのにね。。


25首目。

この夜がこの世の中にあることをわたしに知らせるケトルが鳴るよ

佐藤りえ『フラジャイル』

何か考え事でもしてたんでしょうかね? 恋か?仕事か?人生か
この一首だけだと分かりませんが、歌集で前後の歌を読むと連想させるものがあったりなかったり。。webやアンソロジー(複数の歌人の短歌を集めて一冊にまとめた書籍のこと)で読むのと歌集として通して読むのではだいぶ印象が変わることもあります。シングルとかコンピレーション・アルバムで聴くのとオリジナル・アルバムを一枚通して聴くのの違いみたいな感じです。


26首目。

だれからも愛されないということの自由気ままを誇りつつ咲け

枡野浩一『てのりくじら』1997年

こちらは読む人の年齢や立場によって解釈が変わってきそうな、青春系の一首。
中年のわたしは「そうだよな若いって自由だよな、いいなぁ」と思ったけど、まだ何者でもない若者は”誇りつつ咲け”をエールとしてとらえるんでしょうね。がんばれ、若者👍
ちなみに、この30選で枡野浩一さん2首目です。


27首目。

抜かれても雲は車を追いかけない雲には雲のやり方がある

松村正直『駅へ』

こちらも青春っぽい歌。
短歌甲子園なんてのがあるくらいだし、短歌とか歌集って若者向けのものが多いんですかね? なんとなくお爺ちゃんお婆ちゃんの趣味ってイメージでしたが。どうやら間違っていたみたい。青春は爽やかで、いつになっても良いもんですね。

一方で、アンソロジーとか入門書を何冊か読むと、愚痴っぽい歌(非正規雇用で生活が、、とか、社会に馴染めないんです、、みたいなの)が結構多くて、その辺はちょっとわたしには合わないなーって感じました。「石川啄木や若山牧水の時代から短歌ってそういうものだよ」と言われれば、確かにそうなんでしょうけども、、だったらせめて詩的に美しくまとめるとかユーモアに昇華するとかね、できたら良いなぁと。わたしがもう少し若ければ(もしくは歳がいってお爺ちゃんになれば、成人した孫を見るような気持ちで)素直に共感するんでしょうかね?
きっと今のわたしは日本のこの社会に然程 不満も不安も関心もないんだろうね。ありがたいことです。


28、29、30首目。

のぼり坂のペダルを踏みつつ子は叫ぶ「まっすぐ?」、そうだどんどんのぼれ

佐佐木幸綱『金色の獅子』1989年

バンザイの姿勢で眠りいる吾子あこよ そうだバンザイ生まれてバンザイ

俵万智『プーさんの鼻』2005年

生きるとは手をのばすこと幼子の指がプーさんの鼻をつかめり

俵万智『プーさんの鼻』2005年

愚痴系短歌はイマイチ受け付けなかったわたしに、ガンガン響きまくったのがこちらの育児詠。子育て短歌たち。
俵万智さんの歌集『プーさんの鼻』『オレがマリオ』『未来のサイズ』は子の誕生から学校の制服を着るようになるまでがたくさん詠まれていて、ちょうどわたしのこの十数年と重なる部分が多くて個人的な共感の嵐でした。



以上、「初心者が選ぶステキな短歌ベスト30首」でした。

初心者のわたしの目に届くくらいですから有名な歌が多いと思います。が、網羅的なセレクションにもなっていないです。おそらく。
DJ的に自分の好きな歌を並べただけですが、それなりに自己表現になってる気もしますね。「わたしはこういうのが好きな人間なんです!」っていうね。短歌にせよ写真にせよ、キュレーションが一つの表現になるって面白いです😎

このポストを見てもっと短歌をよんでみたいと思った人には、こちらの書籍がオススメです。


そんな感じ。ではでは。

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