似た者同士➕第ニ話
私の生まれ育った故郷。
そこでのある出来事が、私に特殊能力を目覚ませさせた。
私は他人の感情が色で判別できる。
それは後天的に備わった能力だ。
生まれ育った故郷は、産業と呼べるものが無く、貧しく保守的な村だ。
娯楽施設と呼べるものは勿論皆無だ。
食べ物、生活必需品、それらは基本手作り。
それらを手作りで賄うのは大変な作業だ。
畑を耕し、家畜を飼い、衣服に仕立てる為の布を織る。
核家族だけではとても賄えない作業量だ。
その作業量に、結果が付いてこない事も多い。
作物の不作や家畜の伝染病による死、天災に依り住みかを失う事もある。
その生活スタイル故の結果なのか、産めよ増やせよ方面に傾倒する。
金が無ければ、人に頼るしか無いからだ。
特に血の繋がりは人を頼る為の分かりやすい要素となる。
故に結婚は早い。
私も年頃になると当然の様に結婚話を決められた。
お相手は家畜と家持ちの年上男だ。
更にハンを押したかの様な男寡。
その男寡の奥様は、結婚する際にお舅が婚資をたんまり持たせてくれたらしい。
つまり、男寡はちょっとした小金持ち。
しかし、自己中で無神経な男だった。
今でも時々思い出す。
客間の隣にある備蓄小屋で、父と男寡の会話を。
見つかってしまわないか、ドキドキしながら客間の覗き込んだ。
私の視線の先に彼等の姿は無く、代わりに古びたソファの背から彼等の吸うタバコの煙がぷかぷか立ち昇っていくのが見えた。
彼等は色んな話をしていた。
今思い出せば、色んな話をしていたが、関心事はいつも金の事ばかりだった。
例えば、男寡は早死にした奥様の料理の腕について不満に思っていたが、早死にしてくれたお陰で財産をたっぷり残してくれたと最終的に結論付けしていた。
だから死んだ奥様は、それを相殺していい嫁だと、私の父に自慢気に語っていた。
その話を耳にし、私はその場で凍りついた事を覚えている。
それに対し、私の父は嬉しそうに相槌を打っていた。
更には、娘をヨロシク、娘を宜しくと、壊れたテープレコーダの様に繰り返しているのだ。
私は絶望した。
絶望した理由はこれだけではない。
私には別に好きな男が居たのだ。
従兄弟の子だった。
幼馴染で、物心ついた時からよく遊んでいた子だった。
「ロク、これやるよ」
昔に思いを馳せる私を現実に戻す声が聞こえた。
声の主は「その人」だった。
「その人」の名前はシイ。
「盗んだ金じゃないよ、信じてくれないかも知れないが、私は頑張って更生しようとしてるんだ」
私の顰めた顔を覗き込む様に、シイが勝手に反論した。
「邪推しないで。別のネガティブな事を思い出していたの。」
「…」
「シイ、スープ飲んで行く?」
現実に戻り、右手に握るレードルと、そこに浮かぶスープの匂いで私は思い出した。
私は炊き出しの最中だった。
「お腹は空いて無いよ」
シイが私の申し出を即答で断った。
「…羽振りが良いのね、シイ」
シイに差し出されたお金の札束を見て私は言った。
施設を足抜けし何も持たない子供。
お金を稼ぐ手段は一般的に褒められた手段でない事を取るのが普通だ。
シイと「あの子」もその例に漏れず、盗みや暴力を使い、金を稼いでいた。
ふたりを纏う気持ちの色に暴力的なささくれた色や、人の感情の色濃く出た何かを手にした色がよく出ていたからだ。
私は、その事を指摘しふたりにまっとうになる様、口酸っぱく説教する様になった。
同じ施設にいた頃は、老婆心を出す事は無かったのに、そこの縁が切れてから、おせっかい焼きをしているのだから、人生ってわかんない。
そんな私に対し、シイは鬱陶しい気持ちの色を浮かべては居たが、何処か気後れする感情も濃く出ていた。
一方、「あの子」はと言うと…。
「口出すなら、金も出しやがれ!口しか出さないトコがせこいんだよ!!」
「あの子」に怒鳴られた記憶が蘇える。
そして、またもや、私を現実に引き戻したのがシイの声だった。
「ロクが、要らないなら、燃料としてあそこに投下するよ」
しいが指差した先にはステーキハウスがあった。
観光客向けのステーキレストランだ。
『特段美味い訳ではないが、雰囲気はいい。
旅の思い出として雰囲気にお金を払ったと思えば高くない』
何かのサイトで店の評判を思い出した。
店の門構えに松明が飾られてある。
シイが指先が松明の炎の揺れに合わせる様にクルクル動く。
私はお金をひったくる様に取ると、自分の胸の中に掻き抱く様に握り締めた。
私のその仕草が滑稽に映ったのだろう。
シイは顔を綻ばせた。
「お金をオモチャの道具の様に使って他人を揶揄うって、どうなの?」
私は少し声を荒げて、シイを非難した。
「…私が炊き出しの会場に入った時から機嫌が悪そうだっよね、ロク」
私にそう言い放った時のシイの顔には笑いの名残りは一ミリも残ってなかった。
「心ここに在らずって感じだった」
「…」
「思いを馳せていた事柄を私の登場で邪魔されて不機嫌になったってのが、事実かな」
「…」
「…私は君みたいに『人間の感情の色が見える』特殊能力は無いけど、それくらいは分かるよ」
「ごめんなさい、シイ」
「怒った感情の色が出てた、私?」
シイの問いに私は顔を横に振った。
「あなたが怒ったから、とりあえず謝ったんゃないの。私が謝りたかったの」
「…」
「…八つ当たりしてしまったわ」
「…じゃあ、その金を自分の為に使いなよ」
「…」
「…そしたら、許す」
「ふふっ気持ちは有り難いわ。けどね、私の様に節制生活をしているろね…不思議な事に脳がそれに合わせてくれるのか…敢えて自分の為に贅沢をしてやろうと思っても、出来ないものなの。」
「…へえ…そういうものなの?」
シイの纏う気持ちの色に驚きと微かばかりの哀れみが見えた。
それを認識した瞬間、私は少し自分が恥ずかしくなった。
シイは、施設を足抜けしてから、よくない事でお金を稼いでる。
その良くない稼ぎ方をした金でさえ、シイは楽しんで使っているのを私は知っている。
やり方はどうであれ、自分の力で稼いだものに何処か誇りを持っている様に思えた。
実際、シイの気持ちにはそう言う色が出ていたのだけれど。
『ロク、自分を慈しみなさい…そうでなければ、貴方の行なっている慈善活動さえただの自分自身を削りとる何かに成り下がってしまう。』
私がお世話になっている院長先生の言葉が脳裏に蘇る。
私はそれらを振り払い、シイとの会話にもどった。
「院長に相談してからにするわ、それまで私が預かっておく…シイ、お金は口実でしょ。何か私に聞きたい事がるんじゃない?」
「分かるんだね…さすが。話が早くて助かるよ」
「沸々としたグレーの周りに薄ら、赤色が見えるわ」
「つまり?」
「核心と全く関係無い上手い事柄で、相手を釣って気になる核心に迫ろうとしてる」
「…賄賂って事?」
「…嘘つきの色の出方」
「…はっきり言うね」
「私にそんな事しても無駄よ…ストレートに要求を言って」
シイがため息をついた。
「ロクに駆け引きは通用しないね…分かった言うよ…君の施設の担当の警察官の人に聞いて欲しい事がある。」
「…どんな?」
「最新の身元不明者の情報がないか。身長は私と同じぐらいも170。金髪、青い瞳」
シイの気持ちの色で判別するまでも無い。
私はシイが誰の事を指しているのか、直ぐ分かった。
「あの子」だ。
「サンに何かあったの?」
あの子の名前を私が口にすると、シイは神経質に眉根を寄せ口を開いた。
「…1stストリートにいるホームレス達から聞いた話だ…そこを仕切っているギャングの子分達に追いかけられていたと…それ以来姿を見てない。」
「…何故一カ月も間が空いたの?」
私の質問にシイが不快そうに顔を歪めた。
批判を怖れる色の中に、情け無さと羞恥の入り混じった色が次第に濃くなって来た。
「シイ、私は感情は読めても…事情までは読めないの。恥ずかしがってないで言ってよ。」
「そこそこ私と付き合い長いじゃないか。私やサンの過去や現在の状況から察しがつかない?」
自己中な期待や言い方に私は思わずムッとすると、シイが直後に項垂れて謝罪した。
「ごめん、ホント…恥ずいって感情は厄介だね。これこそ八つ当たりだ。」
羞恥の感情をお互い共有出来た事で、シイに観念した感情の色が湧き水の様に漂う。
あんなに不愉快だった感情が私の中で氷の様に溶けていく。
お互いに別々の人間だから、ぶつかる事は当然ある。
シイは感情の切り替えが早く、自分の非を認めると素直に謝罪する。
不思議な事にシイに謝罪されると許そうと言うきもちがストンと落ちる。
それが私達が長く付き合ってこれた理由のひとつだろう。
「…私もサンも、勝手に施設を足抜けした…行方不明扱いだ。直に警察署に相談に行ける訳ない」
ああ、そうか…そうだった。
情け無さと羞恥の理由を理解出来て私は特殊な安堵感を得た。
「つまり、その…シイやサンの事を伏せて何か情報を手に入れたいって事。」
「出来そう?」
「…センは…ああ、ウチの担当の警察官ね。彼は良い人よ…きっと協力的よ」
「…セン?」
私がうっかり漏らしてしまった警察官の名前をシイが小さな声で呟いた。
シイの感情の色が何か内側に囚われた色をゆっくり発した。
思い出しそうで思い出せない。
そう言う時に出る色だ。
「…大丈夫?」
私の問いかけにシイが小さく頷いて言った。
「じゃあ、良い情報を…期待してるよ」
そう言うとシイは、気を取り直したかの様に私に背を向け出入り口へむかった。
入り口に差し掛かった辺りで、シイが振り向いて私に声を描けた。
「靴を買えばいい」
えっ?
私はよっぽど素直にキョトンとした表情を浮かべていたらしい。
シイが可笑しそうに口元を綻ばせた。
「いい靴は自分をいい所に連れて行ってくれる」
私の地元で、言われていた諺だった。
「使い道を君が決められないなら私が決める。一緒に買いに行こう。」
私は即答出来ず、唖然とシイの綻んだ顔を相変わらず見つめてしまった。
「手元の金は君が決めた通り、院長にあげればいい」
それだけ言うと、シイは入り口から出て姿を消した。
「シイが男の子だったら、その気があるってきっと…勘違いしたわ、私…」
私は、思わず呟いた。
*****
「はははっ…それでは漠然とし過ぎて…当たりを付けられないよ!」
センは可笑しそうに体を揺すりながら私の質問に答えた。
質問は勿論、行方不明になったサンの事だ。
「身長170、金髪、青い目ね…ここは治安が際立って悪い。殺人やら逮捕やら行方不明は日常茶飯事だ…吐いて捨てる程いるよ、先に君が挙げた特徴の奴なんて。」
失敗だ、私はシイの役には立てなかった。
私は肩を落とした。
ガッカリしたのは、上記の理由だけでは無い。
今まで仲良く雑談して来たこの男セン。
彼は思いの外、良い人ではないのかも知れない。
その可能性に軽くショックを受けた。
言う人に言わせれば、私が勝手に彼を自分基準の良い人と期待をかけ、私の予想通りの反応をしなかったから「彼はいい人ではない」と断定するのは子供じみた狭量さだ。
「女の子?男の子。」
センががっくりと肩を落とす私をチラリと見てサンの事を聞いて来た。
私は一瞬答えに窮した。
掘り下げて尋ねて来たセンがこの件について真摯に対応する気が無いと…感情の色を見て、私は分かってしまった。
つまり、彼にとっては今日も天気について話をするのと同じレベルの雑談なのだ。
そんな彼にサンやシイの特殊体質をばらす事に一瞬抵抗を感じた。
その抵抗感の間を、センは首を傾げながら訝しげに私の顔を覗き込んだ。
私は焦って思わず答える。
「どっちかは分からないわ」
「同じ施設で面倒見てたんだろ。」
「特殊な出自なの…あの子」
結局、私はセンにサンの事を話してしまった…なし崩し的に。
センは私に興味深そうな視線を投げて、話の先を促す。
「所謂、民族の特徴のひとつだったかしら…私達の思春期の時期迄、性別がハッキリ分からないらしいわ…あの子から聞いた話だと確か…大昔は私達と変わらない人間だったんだけど、妖怪だが、神?…細かい事は忘れてしまったけど…に変化して、再び人間に戻った。あの子の民族はその末裔で…えっと、人でない者に変化し、戻った時期がいわいる思春期に該当する時期だったから、そっちも変化がかなり遅く…」
「…分かった、分かった、分かった」
センを取り巻く感情の色にガッカリ感や、面倒臭さがみるみる濃くなった。
ああ、彼のこの色。
これは色を見る限りでは…スベッたな、私。
私の感情を裏切る事無い反応をまたもやセンは出して来た。
「仕事にそろそろ戻らないと…楽しい話ありがとう」
「…」
私は最初から、楽しい話題を提供した覚えはない。
今回のやりとりで私は思った。
彼は、サイコパス気質の持ち主かも知れない。
私は死んだ目で、ゆっくりと歩いて去り行く彼の背中を見送った。
その後、私はため息を吐いて施設の仕事に戻る。
…ん?
センが先程まで居た場所に、スマホがあった。
どうやらそれは彼の忘れ物らしい。
「明日、届けよう」
私は呟き、今度こそ仕事してに戻った。
この時すぐにセンを追いかけてスマホを渡していれば…私はあんなトラブルに対峙する事無かったのかもしれない。
*****
『例の男の護送の件、どうなっている?」
『早くレスポンスを!』
『別の奴に振った』
『ナナ↑』
スマホの画面に次々とメッセージが表示される。
その事態に私は軽く焦った。
ああ、またしても判断を誤った。
スマホを渡すのは明日でいい。
あの時センを追いかけるという億劫さを優先した自分を私は恥じた。
『2人送る』
『トヨト市場跡地』
『カメラ済』
表示されるメッセージが、次第に意味不明になる。
だが、何かがセンと彼の仲間の間で進行しているのは理解できた。
スマホが手元にない事で、センは間違いなく仕事に支障を来たしている。
これ以上、私が現在の状況を継続する事により、その支障を大きくしてはセンに悪い。
意を決して私はセンの所属する分署へ、スマホを届けようと立ち上がった。
「ナナ。護送の件で来た」
凛として声が部屋の中に響く。
私は驚き、手に持ったセンのスマホを落としそうになった。
スマホから聞こえてきた声は、凛とはしているが、若干のぶっきらぼうさが伺える。
そして私は気づいた。
聞き覚えのある声だ。
誰?最近聞いた声だ。
いやいや、待て…それも気になるが、それ以前の話だ。
何故、スマホの電話がオンになっているのだろう。
何故なら、私は何もしていない。
先程までは、スマホの画面上にメッセージのやり取りが表示されていただけだった。
スマホが意思を持った生き物の様に勝手に動き出したのだ。
私が軽くパニックになっている間、電話の向こうで不明瞭だが、何らかのやり取りがなされている。
「だーかーらー! 俺は何もやってねえって!」
ペラい声色だが、大きな声が電話の向こう側から聞こえた。
「マエのある奴が言っても説得力無いな!…三分署まで代わりに頼むわ、ナナ」
「ああ」
「罪もない市民を檻にぶち込むの気かよ!」
「…仮拘束だ!…言い分は次のところでやれ!」
ペラ男と看守?らしき人物との騒がしいやり取りが聞こえる。
その後、複数人の足音が聞こえた。
比較的、静かな場所なのだろう。
足音意外は何も聞こえない。
しばらくすると、賑やかな喧騒が聞こえた。
どうやら外に出たらしい。
「また、俺は閉じ込められるの?…しかも今度は車中で拘束」
「手錠されてないだけ、マシだと思え」
「いけず…こんな所にいちゃ…俺は俺の役割を果たせないでしょ」
「お前の役割って?」
「いいトコに連れてくれる、手伝い」
ペラい声色の男はどうやら、囚人らしい。
ソイツを便宜上、ペラ男と呼ぼう。
バタンと何かが閉まる音。
それからエンジン音が流れる。
どうやら、車の中らしい。
「ね〜え、刑事さん」
「私は刑事ではないよ」
「は?」
「君の護送を委託されただけの人間だ。」
「え、警察でない奴が悪い奴を取り扱うの?そんな事していいの?」
「その悪い奴が多過ぎる為、現職の警官は手が回らない。悪い奴でも軽い雑魚の区内護送レベルなら、他所へ委託する事が…ある」
「‥雑魚?…雑魚って…ちょっと店から物を拝借したレベルじゃねえか!?後でちゃんと返す予定だったんだよ!俺は!!」
「やっぱり、やっていたではないか。」
「は?」
「悪い事だよ。君は先程、檻の中で言った『俺は悪い事はやってない』と」
「う、」
「嘘つきだな。」
「だからって雑魚って、雑魚は酷くない?」
「私はそう聞いてこの護送を引き受けている。それ以外の事は面倒を見ない。」
「面倒って?…何が言いたいの?」
「…雑魚という言葉に傷ついているようだが、それに対するメンテナンスは仕事の範疇外だ」
チっ!
舌打ちの音が聞こえる。
状況からして…ペラ男の方がしたのだろう。
数分雑音が聞こえた後、再度ペラ男の声がスマホから流れた。
どうやら、ペラ男は黙っている事が出来ない性質らしい。
「ねえ、すぐに釈放になるよね、俺?」
「…しらん」
「それじゃ困るの!俺ね、お客さんのところに納品に行かなきゃだから…さっきも言ったよね?俺には俺の役割があるって」
「それは、私の役割が終わってから、ゆっくりどうぞ」
「やっぱ、やっぱり、あるんだ!アンタも!」
「…何でそこに、そんなに食いつく?」
「人は役割を持って生まれてくるんだよ!俺は皆を繋ぐ役割?」
「……余り…掘り下げたくないけど、何を繋ぐの?」
「シ、ア、ワ、セ!」
「……………………へえ」
「んな、面倒臭そうな声出してんじゃねえよ!…アンタ俺の事やばい奴って思ったろ!」
「この仕事してれば、扱う奴、はほぼ高確率でヤバい奴だよ」
「俺をそんな連中と一緒にすんなよ!…俺は悪い事はしてねえよ!」
「…ヤバい連中も、皆そう言うよ………で、それを糸で繋いだりするの?」
「…それを?」
「シ、ア、ワ、セ、を繋ぐのが自分の役割だと言っていたでしょ?…それを糸か何かで繋ぐのが君の高尚な役割な訳?」
ナナの声色に、面倒臭さが色濃く出ている。
「いや〜糸って言うよりも…敢えて言うなら、ジグソーパズルのピース?的な?」
それに対し、ペラ男は相変わらず、調子良い声色で応える。
「………………へえ」
「し、ア、ワ、セ、へのロードマップに皆、気付かずにいるのを、俺がアシストするというか」
「………………へえ」
「…で、逆に聞くけど、アンタの役割って?」
「…君を次の三分署迄、送り届ける事。それで…めでたし任務完了だ。」
「俺悪い事してないのにやっぱり収監されるの?」
「そうだね。その間、道中は役割だのロードマップがどうの喋ればいい。」
「何だよ!今適当に話をきりあげたろ!さっきから面倒臭そうな相槌ばっか打ってんなって思ったら…アンタ、いい性格してんな!っておい!閉めてんじゃねえ!仕切り開けろ!」
軽く何かを締める音が聞こえた。
後はペラい男の声が聞こえるばかりになった。
しかし、その声も何かの遮蔽物に遮られているのだろうか?
色々喚いているのは状況は感じ取れるが、言っている事はかなり不明瞭だ。
私はこの状況に軽く狼狽え、スマホをセンに戻そうと腰を上げた。
その時だ。
「待ってろ」
落ち着いた声がそう言い放つと、バタンと…ドアが閉まる音が聞こえた。
この落ち着いた声色で話すナナという人物…。
さっきも言ったけど、聞き覚えがある。
少し親近感を覚える声色だ。
だが、私はナナという人物の知り合いは居ない。
そうこうして思いを巡らせていると、歩く音が聞こえた。
踏み締める度にジャ、ジャ、とジャリの様な音がスマホの向こうから聞こえる。
その時だ。
「ズキューン!」
鼓膜を破る様な機械音が今度は、スマホの向こうから聞こえた。
音の正体は数十秒後にわかった。
走る音。
何度か耳にしたバタンという音。
その後にキュルル、と鼓膜に突き破る様な不快音が聞こえた。
これは直ぐに何の音か分かった。
タイヤが、強く道路を引っ掻く音だ。
その不快音の直後ペラい男の声が聞こえた。
「あ、あんた、撃ったな、いいのかよ!」
「お前こそ、いったい何をやった…私はケチな泥棒の護送としか聞いてない。」
「お、俺はダチから貰った箱を取り戻しただけだ!」
「貰った箱?…先程は店から拝借したと…言ったろ?どっちが事実?」
「ダチから貰った箱を、親父のダチの店で預かって貰ってたんだよ!何だよ!ひでえな、雑魚だとか、ケチ泥棒とか…」
「二度も同じ事を言わせるんじゃない!私はメンタルのメンテナンスはしないぞ!で、君の名前は?」
「何だよ!さっきの看守からの書類見てねえのかよ!俺の名前載ってたろ!第一さ、さっきまでマトモに俺と目を合わせて会話すらしようとしなかったくせにっ!いや、先ず、人に名前を尋ねる前にお前から名乗れよ!」
途端、盛大なため息が聴こえた。
「君さ…私のマナー違反を責めるのか?私の態度が気に食わない事を責めたいのか?君、論点が平気でずれる人でしょ。」
「論点ズレてるのは、テメーだっつーの!」
「…もういい、私の事はナナとよんで。で、その箱について友達から何かきいてないの?」
「…色々聞く前に死んじまったんだよ…」
プルルっ!
電話の着信音が鳴った。
「はい…分かった …了解」
相もかわらず、落ち着いた声色でナナが冷静にスマホの向こう側で相槌を打っている。
あんな出来事の直後で、すごいわね。
肝が据わっているか、感覚が壊れているか…どっちかね。
そう思った所で、私は気づいた。
スマホが2台あるって事?
囚人のペラい男がスマホの携帯を許されている訳がない。
という事は、このナナという人物が2台のスマホを持っている可能性がある。
1台目は、私の目の前にあるスマホと通話で繋がっているスマホ。
2台目は、ナナが先程仕事で使用していたスマホ、だ。
そして、このナナという人物は、1台目のスマホの存在にナナという人は気付いているのだろうか?
とても些細な事だが私はそれが気になって仕方無かった。
そして、その気になる気持ちが私の中で好奇心へと変貌していく。
こんな気持ちは久しぶりだ。
何せ私の毎日ときたら、施設の子供として在籍していた時から変わり映えしなかったからだ。
その変わり映えしない日々は、質素倹約と切っても切れない要因と縁の深い施設という場所では、想定内のものではあるが。
その日々の中で突然降って沸いたこの出来事。
変化の乏しい生活ので、この想定外の行方に私の心が躍る。
この先の続きが知りたい。
スマホの向こう側で展開される世界を覗き見したい。
その好奇心に私は負け、センにスマホを返す事を先延ばしにする事を決心した。
何と自分本位で悪い人間なのだろう、私は。
自虐的な感情に頭が支配されたのは、その一行だけだった。
後は思考停止状態に陥ったまま、私はボイスレコーダーをベットの側のサイドテーブルの引き出しから引っ張り出す。
会議の議事録作成の為に、私が慣れるまでよく使用していたものだ。
スマホとボイスレコーダーを細心の注意を払いながら、部屋へ備え付けられている納屋へ移動した。
この部屋は角部屋だ。
そのお陰だろうか?
納屋に入っても、電波状況は良かった。
角部屋であるから、納屋の近くに人が来る事もない。
私は安堵した。
ああ、ひとつ忘れていた。
私は抜き足差し足で、部屋のドアに近づく。
それから静かにドアプレートをひっくり返した。
『不在です』
プレートの文字を眺めている自分の顔がニンマリ笑っているのを感じ取れる。
静か室内へ戻ると、私は内側から部屋の鍵をかけた。
*****
「こんな所でアンタの代わりの警官が来んの?…こんなひと気がない所に?」
「…早朝で、工事中の建物だからひと気がないのは仕方ない。」
「言いたいのは、んな事じゃねーよ!…さっきドンパチの後で、ここで人員交代?…隣に役所あんだから、そこで交代すりゃいいじゃねーか。」
「もう決まった事だよ」
「だーかーらーさ、胡散臭すぎんだろう?…第一よ、ここは工事中で無くて、工事が中断になっている市場なんだよ!」
「場所に不安を感じているの?」
「だーかーらーさあ、胡散臭いだろ?なんでこんなひと気無しの不気味な雰囲気の場所に…」
ペラ男が話している途中で、車のブレーキ音が聞こえた。
ペラ男が続きの言葉を発しないという事は、先程の彼等の会話内に出てきた人員交代と思しき人物が到着したのだろう。
バタンとドアの閉まる音。
ザッザッザと砂利を踏み締める音。
音を聞いているだけなのに、私まで緊張してきた。
「ナナ?」
ナナに呼びかける声がスマホ越しに流れてきた。
ペラ男の声でもない男の声だった。
その声は、ナナとはまた違った種類の落ち着いた声だった。
落ち着いた声に年を重ねた人間独特のかすれが聞き取れる。
声の感じからして中年の男性といったところか?
「…また一緒に仕事が出来て嬉しいよ。これもご縁だな」
中年男が言った。
「…………………………そうだね」
中年男の呼びかけに間をおいてナナが応えた。
「…人員交代だ。それでは達者でな。えっと、君の名前をきなかったな囚人」
「ニイ!ニイって言うんだよ!忘れんじゃねえぞ!」
今回のナナの問いかけでやっとペラ男は自分の名前を名乗る気になったのだろうか。
おかげでペラ男の名前が判明した。
私の中で小さな満足感が生まれる。
「何を言う。先程のやり取りの中で私は名乗ったが、君は名乗ってないだろう、ニイ?初対面の相手に勝手な期待をし、それを外して落胆し、今度は勝手に期待に応え無かった怒りの感情に焼かれたりするから、自分の名前を名乗り損ねるんだ。」
「あ、あんた、結構喋るな、つーか、厄介そうな性格してんな…友達いないだろ?」
ナナとニイの距離が縮まった印象を受けた瞬間、砂利を踏み締めながら歩く音が響いた。
「遅いぞ、マン」
中年男が言葉を発した。
「すまん」
どうやら新しい登場人物のようだ。
中年男にマンと呼ばれた新しい登場人物はまだ三文字しか喋っていないが、強烈なダミ声だ。
「よう、調子はどうだ?…ん?」
中年男が誰かに声をかけた。
「…………ん、あ、あ、はあ…」
中年男の問いかけに、ノリの悪い返事を返してきたのはニイだった。
「……ん?ん?…………ははは」
「…は、あ、…」
中年男の乾いた笑い声が響く。
それに対し、相も変わらずノリの悪い返しをするニイ。
当然ではあるが、私は音しか聞いてない。
だが、妙な雰囲気は何となく感じ取れた。
「ナナ、後は俺たちに任せて帰っていい。」
中年男が今度はナナに話かけた。
「…ああ。囚人を預かったニ分署へ、引き渡しが完了したと連絡を入れておくよ」
「…その必要はない」
中年男がナナを止めた。
「ちゃんと報告を入れないと、報酬や次の仕事依頼に影響する」
ナナが反論した。
「…ナナ、ナナ。」
中年男の声に猫撫で声の様な色が乗る。
「大丈夫だ。ニ分署には俺から連絡入れるよ。だから、心配するな。お前から俺たちへの引き渡しは問題なく済んだ…今朝は大変だったな。問題は…」
ズキューン!!!!
発泡音だと直ぐにわかった。
私は少し前に既に同じ音を既に聞いていたからだ。
「…あ、あ、………ああっ!!」
喉からやっとの思いで絞り出された声が響く。
声質の感じからして、ペラ男…ニイの声だと思われた。
「囚人が交代要員の俺たちに強い抵抗を示し、隙をつき…ほぼ廃墟に近いこの市場跡地にて」
砂利を踏み締める音が再度聴こえた。
「落ちていた角材で、俺たち交代要員に襲いかかった」
相も変わらず冷静な声で、中年男が続ける。
「握れ」
スマホ越しに聞いても恐怖を抱いてしまうような冷たい声だった。
「ひっ…うっ………」
ニイの怯えた小さな声がスマホから流れる。
「ひっ…うっ……ガッっハハっ!!!!」
ダミ声の主であるマンという男が、からかうかの様にニイの声を真似た。
「マン!早く角材をコイツ握らせろ!」
先程の冷たい声と打って変わり、中年男がイライラと怒り混じりの声でマンに対し、クレームを付けている。
…察するに、どうやらこの中年男は少しでも自分の予定や想定通りに事が運ばないと、不機嫌になるタイプの人間らしい。
「マン!お前の指紋はつけるな!」
「わ、わかっているよ!」
焦った声でマンが返事をしている。
威厳、図太い…強さ、私がダミ声に対して、勝手に抱いたイメージ。
ダミ声男も人間なのだから、焦る事はそりゃあるのでしょうが、焦りの乗ったダミ声が…一方的に私が勝手に抱いたイメージを地味に崩していく。
「ニイ、お前はこの角材で抵抗を示した為、仕方なく我々は君に向かって発砲した。」
「あ、あ、っく、う」
ニイという囚人はそれなりに小心者らしく、ピンチになると上手く対応できない性格の持ち主と見えた。
先程の饒舌さは何処へやら、ずっと吃っている。
そしてのそのニイの上げる怯えた声が面白いのか、ダミ声が嬉しそうな奇声を発する。
「よくある事だ。誰もがそう思う」
冷静な中年男の声が響く。
私は緊張して思わず唾を飲み込んだ。
この交代要員の人達…細工をしているんだ。
ニイに何かの罪をなすり付けようとしている。
ニイは一体何をしたのだろう?
『お前、何をした?』
『俺は、箱を取り戻しただけだ!』
ナナとニイの会話が頭の中にもう一度再生される。
私の逡巡を止めたのは、冷静なイメージの強かった中年男が動揺たっぷりの声色を発したからだ。
「…正気か?ナナ!」
「…相棒に私とニイから離れる様、指示しろ。」
ナナの冷静な声色が続く。
「私が発砲しないと思うか?」
「…頭を冷やせ、ナナ」
「頭を冷やすのはお前の方だ。私に何かの隠蔽工作に加担しろというのか?」
「…色々やって来た仲間じゃないか。」
「…おまえは、勘違いしている。」
ナナが中年男に伝えた後、カチャという音が聞こえた。
私は銃の事には詳しくない。
だけども、スマホの向こうにいる誰かがいつでも発砲出来るように構えたのだという事は理解できた。
「私はお前とは初対面だよ。どの悪い仲誰と勘違いしている?」
「…待て、待て…ナナっ!」
中年男が焦りに満ちた声を発した。
どうやら、先程のカチャっという音はナナの仕業らしい。
おそらく、中年男にナナが自分の銃の照準を合わせているのだろう。
「…ニイ、こっちに来るんだ」
ナナが、ニイに呼びかけた。
途端、忙しなく砂利を踏み締める音がスマホから流れた。
砂利音に混じって、怯えた声とパニックに満ちた呼吸音が聞こえる。
ニイが、ナナの側に来たのだろう。
「考え直せ、ナナ…ソイツは生きてこの街を歩く事は叶わない運命だ。ソイツを助ける真似をするとお前の安全も保証できない。」
中年男の説得に、ナナは応じようとしない。
先程同様、スマホにはニイのものと思われる、怯えた声とパニックに満ちた呼吸音が聞こえるだけだった。
「…ナナ、俺はお前を助けたい。ソイツを連れてこの市場跡地から出てみろ…俺の手に負えなくなる。お前を助けられなくなる。」
「私は名前も知らんヤツの言葉なんか信じないよ…いいからそこを動くんじゃない」
ズキューン!
発砲音が響いた。
思わず、私の心臓も飛び出しそうな程驚いた。
「…ああああああっっっ!!!!」
ダミ声の叫び声が響く。
その叫び声は痛みを強く含んだ声色だった。
先程の発砲音でダミ声の…マンが怪我したと推測できた。
「車に向かって走れ!」
ナナの声が響く。
後は忙しい砂利の音が響くだけだった。
お馴染みのバタンという音。
それからエンジン音。
ナナとニイがあの場から抜け出せた事を私は悟った。
*****
「な、な、何で俺なんか助けてくれたんだよっ!」
「何でだろう…?その前に君さ、本当に何をしたの?」
「……だ、だ、だから、」
「…だ、だ、だから?」
「は、は、箱をダチ取り返しただけだって!」
「それは、知っている。私が聞きたいのは、もっと掘り下げた内容だ。」
「…へ?」
ニイが間の抜けた声を出した。
途端、ナナが盛大なため息をついた。
「さっきのふたりは間違いなく本物の警官だ。私と違い、バッチがあったろ?」
「…ああ!嫌な感じだったぜ!大体ここのおまわりってのは、俺達チンピラを見かけりゃ、平気で棍棒で殴ってくんだ!俺の甥っ子なんてまだ10にもなんないガキだぜ?ちょっと道端でぶつかっただけ蹴飛ばしやがったんだ!!!」
「ニイ、ニイ」
ナナが落ち着かせる様な諌めるような口調で、マシンガントークを続けようとするニイを止めた。
ニイが軽く舌打ちする音がから流れる。
暫しの沈黙後、口を聞き始めたのはナナだった。
「あのふたりはお前を亡き者にしようと企てた。口封じだ…それも理解出来るか?」
「……………………お、おうよ」
「私も君の護送任務は面倒臭さは感じてはいた。しかし、面倒な対象者を殺そう等とは思いもつかない…君はあの悪徳警官共のにとって不都合な何かを握ったんだ。無意味に蹴飛ばされた君の甥っ子と、今回君が警官共に殺されかけた事は全く別物だ。あの警官共は面倒だから雑魚は安易に殺したい…というよりも、積極的に自分達にとって不都合な何かを握っている君を亡き者にしたい」
ニイの呻き声がスマホから流れる。
「その不都合を掘り下げたい…箱を奪い返した時の事を話してくれ」
「怖かったんだ…」
「…は?」
「俺は…タイムカプセルに夢を抱いていて…」
「手短に。」
短い付き合いだが、私もナナの声色に面倒臭さがありあり出ているのが分かる。
「な、なんだよ!…その言い方!」
「悠長に君のメンタル部分から長々と話をされても困る。状況は逼迫している。わかっている?」
「何だよ!折角助けてくれたから思い切って全部ぶち撒けようと思ったら…」
「愚痴でなく状況の説明を」
「どうせ、俺みたいな雑魚が何言っても信じないだろ!」
「もういい。説明する気が無いなら黙っててくれ」
「ムカつくぜ!…雑魚雑魚言うなら助けなきゃよかっただろ!」
「やり直しだ。」
「…へ。」
「君の言うと言う通り、私は君を助けない事にする…市場跡地へUターンだ。」
ギュルルっ!
タイヤと道路が摩耗する不快音がスマホ越しに聴こえた。
不快音はナナの気持ちを象徴しているかの様に感じた。
「な、何逆走してんだよ!いいのかよ?んな目立つ事したら…直ぐ見つかるぞ!あ、アンタだって…連中に何されるかわかったもんじゃないからな!…わかった!悪かった!悪かったよ!それだけはヤメテ!」
ギュルル!
返事として返ってきたのはまたもや不快音だった。
「…な、なあっ!ホント悪かったって!…頼むから元の道に戻ってくれよ!」
「…市場跡地へ向かっているんじゃない。」
「…じゃあ、何処へ向かっているんだよ!」
「…新しい車に変えられる所」
ナナが冷静な声でニイの質問に応える。
4行目前迄の会話は鮮明に聞こえたが、ナナが途中で別の道に入ったせいだろうか…途端に電波が悪くなった。
「…あ、あ、安全なのかよ?そこはっ!」
「今の時間なら、ね。少し静かにしてくれる?運転に集中したい。」
軽く喚き散らすニイと冷静にニイを諌めるナナ。
その3行目迄の会話を最後に会話が再度不鮮明になった。
電波が荒れた場所に彼等は入ってしまったらしい。
スマホからはグジュグジュ…と、ふたりの会話らしきものが後は流れるだけだ。
私は軽く途方にくれ、スマホとレコーダーを交互に見つめる。
そこで私は自分の状況に気付いた。
そうだ…そうだった。
私は全ての仕事の存在を忘れて、突然降って湧いたこの「覗き」もどきに心を奪われてしまっていた。
己の低俗さに軽く顔を赤らめる。
が、その卑しさへの気づきさえ、私のこの「覗き」もどき、を自主的にやめようとする要素にはならなかった。
私は自分の部屋を出て、近くの休憩室を覗く。
私の期待通り、そこには誰も居なかった。
私は急ぎ、備え付けの電話の受話器をピックアップする。
そして、事務室に電話をした。
「はい」
案の定、相手はワンコールで出た。
事務所の主のような存在のお爺さんだ。
院長先生が他の施設の人達との会合で、この時間を不在にしているのはわかっていた。
事務室は基本的に、院長先生とお爺さんと私しか居ない。
「ロクです。すみませんが急に気分悪くなって今日は休んで横になりたいの。急にごめんなさい、今日は仕事を休ませて欲しいの。」
「それはそれは…お大事にして下さい。」
「…ありがとうございます」
お爺さんが余計な詮索をしてこないキャラで良かった。
私は、院長に会合が今日入っていた事、
そのせいで院長先生が不在である事、
そして、お爺さんの性格に感謝をしつつ、自分の部屋に戻った。
*****
「キチっとした部屋だな、あんたらしいと言うか。」
「出会ってから、1時間も経過していない相手の事がわかるの?君、特殊な能力者?」
「能力者…?」
「私の知り合いに、色だけで…いや、なんでもない。忘れて」
ん?…今の会話は何だったんだろう。
ナナは何の話題を提供しようとしていたのだろう?
若干、親和性を感じるような気もする。
しかし、ナナが話題を打ち切った事を、ニイは全く気ににしてないようだった。
ニイは早速、別の話を始めてきた。
「シャワー借りてもいいか?」
「………綺麗に使え…ニイ、君は先程、市場跡地で何に突っ込んだ?」
私が改めてスマホに意識を傾ける。
彼等が今いる場所は、先程の車内と違い電波の良い場所らしい。
ニイとナナの会話がクリアな状態で、私の耳に届いた。
以前の様に彼等の会話をクリアに拝聴出来る状況に私は心から感謝した。
「あ、さっきさ、能力がどうのこう言ってたけどさ…アンタ…全体的にキチッとした喋り方するから…キチっとしたこの部屋の雰囲気とマッチしてんなって意味で…そう発言しただけだぜ。それ以上の深い意味はないぜ。」
「…失礼した。知人に特殊な能力を持つ人間がいるから、変に勘繰ってしまった…膝下、洗ったらっどう?」
ん?ん?
蘇った親和性が私の中で活発に動き回る。
彼等は目の前の状況の方が大事らしく、その話題は宇宙の果てに行ってしまったようだ。
「くさっ!付いた時はドロドロしてたのに…今はカピカピになってるぜ…うっクッサ!」
スマホでは視覚がカバーできないから仕方ないけど、ニイの膝下を派手に汚したらしい。
それが、市場跡地でついたものか、私がここを離れている間についたものかは不明だけど。
「さっさと洗ってこい…給湯器の温度は変えても構わないが、元通りの40度に戻す事を忘れないように。」
「…元?…43度になってるぞ?」
「……………………………ああ、そう」
ニイの言葉に対し、ナナは間を空けてから返事をした。
私はその事が、ふと気になった。
前にも同じ事があった。
確か…市場跡地だ。
『確か…ナナだったね。』
『……………………そうだね』
あの時も、この時と同じ様に返事に間があった。
間が空いていた。
たったそれだけの事だが、妙に気になった。
「アンタ、いい奴だよ!」
水が流れる音…いや、お湯が流れる音をBGMにニイが叫ぶ様に言った。
こんな事になってびっくりだ!
最近、色々ツイテなくて、でもアンタのおかげで助かったぜ!
ニイが独り言の様に大きな声と…汚れた部分を洗っているのだろう。
水の音が暫くスマホから流れてきた。
ナナはそれに対し、相槌を打つでもなく、ずっと無言だった。
ナナは一体何をしているのかしら?
気になって私はスマホに自分の耳をを押し当てるように頭を近づける。
カチャ
カチャ
金属音が聞こえた。
不思議な事に無機質な機械的には聞こえない。
オートマチックに機械が作動している音では無く、誰か「何か」をした音の気配がありありと感じた。
私はふと、自分自身を可笑しく感じてしまった。
私は人の感情の色は見える。
しかし、音に関しては、皆と同じ様に「特殊な何か」を感じる能力はない。
それなのに、スマホから流れる無機質な音に何かを感じ取ろうとしているのだ。
ああ、でも今は何故私の能力はなぜ「視覚」であって、「聴覚」では無いのだろう?
全く、役に立たない…と独り言を呟いた。
もちろん、心の中で、だ。
独り言は勿論、くしゃみすら出来ない。
あちらの音が聞こえると言う事はこちらの音も聞こえると言う事だからだ。
meet機能で、ミュート出来れば、便利なのに…と思った時だ。
カチャ
カチャ
ガチャリ!
最後のガチャリ!という比較的大きな音で、私の意識は自分の内面から金属音という外部へシフトした。
私の意識が金属音に向くと、急にニイの独り言がペチャペチャと雑音に変化する。
雑談も、BGMの水音も、相変わらずスマホから流れている。
この金属音の正体は何だろう?
再度疑問が頭をもたげた時だ。
「手を上げろ」
冷静なナナの声がスマホから流れた。
「銃を床へ投げろ」
「…ぐっ!」
誰かは不明だが、敵らしき人物が同じ部屋に居るのだ!
いつからいたのだろう?
最初から?
わからない。
スマホから流れる声音の上では、ナナは部屋の中に敵がいる事を全く驚いてない。
ふと、先程の違和感が蘇った。
給湯器の件でニイの会話に対してのナナの反応。
妙に間が空き過ぎた様に感じた。
もしかしてナナは給湯器の会話の中から、敵がいる事に気づいたのだろうか?
スマホの向こう側ではナナが敵に命令する声と、敵の呻き声が流れた。
「次は手錠をこっちへ投げろ。持っているんだろう?警官だしね?」
敵は言葉では何も反応しなかった。
代わりに、不服そうなため息が聞こえてきた。
ガチャリ!
大きな音が響く。
床は金属製なんだろうか?
金属の手錠と金属がぶつかって、こちらもびっくりする様な音が響く。
シャラっ!
涼やかな金属音が今度は流れた。
「そこの柱に抱きつけ」
ナナが柱を抱っこさせて、敵に手錠をさせ、自由を奪うつもりでいると推測できた。
ボカっ
スカっ
殴る音が響く。
どっち?
どっちがやられた?
すごく気になった反面、より呑気な事が頭を過ぎる。
殴る事を「ボカスカ殴る」って表現するけど、本当に殴る音も「ボカスカ」という音に聞こえるものね。
私の今後の人生に何の価値も生まない発見に気付いた後、殴られた相手が判明した。
「…お、お、お、折るかっ!…くそっ化け物!」
ダミ声が響く。
どうやら、ナナが勝ったらしい。
しかし、覚えのあるダミ声だと思ったら、直ぐに答え合わせが出来た。
「…君が小賢しくも抵抗するからだろう。マン」
マン。
市場跡地に居た男だった。
どうやら彼は、どうにかこうにかしてナナのアジト?迄侵入し、その結果、ナナから天誅をくらわされたらしい。
そもそも、今舞台となっている所がどうゆう場所なのか判明してないし、敵方がどの様な伝手で、その舞台に辿り着いたのか一切不明ではあるけど。
私なりに考えを巡らせている間に、もしゃもしゃ、っとしたくぐもった音がグラデーションを描く様に大きくなっていく。
音がナナとマンの側に近づいて来てる事が分かった。
「ナナ!…給湯器の温度がどうのこうの言ってたけど…うわっ!」
どうやら、もしゃもしゃの正体はニイの大きな独り言の様だった。
スマホの向こう側を舞台だとしよう。
しかし、当然ながら本物の舞台ではない。
当然、音響調整も何もないのだから、ニイが大きな声で独り言を言っても、そりゃあ…しっかりとそれを拾える訳でも無いのだ。
もしゃもしゃ、不明瞭な音になる訳だ。
私が音響について勝手に納得をしていると、ナナの声が聞こえてきた。
「給湯器の事はもういい。」
相も変わらずナナが冷静な声でニイに応えた。
その声色からは、少し前に人をボカスカ殴った余韻は微塵も無かった。
「…こっコイツっ…っこコイツ…さっき、市場跡地にいた…オッサン!」
ニイが興奮気味に叫んでる。
先程の市場跡地でのやり取りでもそうだったが、彼は、興奮すると吃るようだ。
「…こっコイツっ…っこコイツ…って、今回は真似しないの?…マン?」
ナナにとってもそれは印象深い出来事だったのだろう。
軽くニイの口調を真似てマンに尋ねた。
しかし、市場跡地でのマンが披露したモノマネと違い、ナナのモノマネには揶揄う声色は一切無く、寧ろ真面目な声色だった。
何だか、不思議なテンションの人ね。
「…おまっ…お、お前っっ…」
マンが興奮した声色を発した。
テンパってしまい、上手く喋れない…そんな感じだ。
「…君のスマホは念の為、拝借しておくよ。」
「…っく…くそっ…ざっけんなっ!」
「…マン、君って、他人からメンヘラって言われない?」
興奮して上手く喋れないマンと対照的に、ナナは声色もそうだが、冷静に言葉を発している。
「…うわっ、なっ、なっ、なんで?…何で居んの?」
ニイの声が割って入る。
「…私の事、色々とマンの一味にバレてる様だね…長居は無用だ、ニイ」
忙しい足音がふたつ重なっていく音が流れる。
「アイツ、何で居たんだ?」
「色々、情報漏れてるんでしょ…とは言えマトモな人材を私達の尾行に充てがう余裕は…あちらには無さそうだね。」
ナナの意味深な台詞に私は思わず息を飲んだ。
「マンにもドロドロが付いたんでしょ?アホな事にそれを敵の所で洗い流したりするから、間抜けな事に私に勘づかれるんだ。」
「給湯器の温度がどうのこうの言ってたやつ?」
「うん。君も彼も、熱いの苦手らしいね」
ああ、成程ね。ナナのあの『妙な間』に納得がいった。
それから数十秒の間、二人の会話に間が空いた。
先に口を開いたのはニイだった。
「さっきさ…お前、マンに向かってメンヘラがどうのこうの言ってたよな?」
「え………ああ、確か…言ったか。君とマンが感動の再会を果たした時だよね?」
「勘弁してくれ…面白くもねえ冗談だぞ」
「で、どうしてメンヘラがどうのこうの聞いてきた?」
「…いや、お前、マンに手錠かけたろ?」
「…私はかけてない…彼は自分でかけた。」
「…どっちでもいいけどよ…あの緊迫のシーンにメンヘラなんて単語が出てきてさ、一瞬…俺は、『え?』ってなっただけだよ。」
「私がマンと何の話題を話していたか気になるって事?」
「ああ、なんか不思議な感じだし。」
『他人から、メンヘラって言われない?』
ナナはマンに向かって急にこの騒動と関係ない事を問うてきた。
うん、私も気になるわ。
何故、唐突にあんな質問を?
「似てるって思っただよ。」
「誰が誰に?」
「マンと君。」
「はあ?!」
ニイの素っ頓狂な声がスマホから流れる。
私も思わず声が出そうになった。
ニイと同じく「は?!」という言葉が。
私は慌てて、両手で自分の口を塞いだ。
「あんた、あんたさっ、俺とは初対面だろ?…マンって言うデブ親父は古い付き合いなのかよ?」
「いや、今日初めて会ったよ」
「お、俺のこともっ、あ、あのデブ親父の事もっ今日初めて会った…初対面なんだろ?…全然知りもしない人物同士を似てるって、まさか…顔か?顔が似てるって意味か?」
「違うよ…」
たったの三文字だったが、その三文字にナナの呆れが強く出ていた。
顕になった感情から…私は急にナナが人間らしく感じた。
「唯の私の感想ではあるけど…君も彼も臆すると上手く喋れなくなる…そうでない状況だと、無駄な事をペラペラ喋るのに、己の身の危険を感じるシーンでは命乞いすら出来てなかったじゃないか。」
「…何処でそんなシーンが…」
「…君は市場跡地。彼はさっき私に骨を折られても、上手く喋れてなかった」
「…お、お、折ったのかよ」
「ああ。…私の知り合いでねメンヘラな奴がいた。ソイツは口達者な奴だったが、自分より格上と認識した奴には…気後れを感じるせいなのか…何一つモノをいえなかった。君も、あのマンと呼ばれていた男もソイツと同様の特徴があると思ったんだ。」
「…はあ?」
「とりとめもない話だよ…今回の事件とは何の関係もない。」
「…聞いて損した…って、誰がメンヘラだ!誰が!!っヒイっ」
とりとめもない、というナナの話を、私もキョトンとして聞いていると、語尾のニイの悲鳴が私の鼓膜を破った。
「頭を低くしろっ!」
珍しくもナナの怒声が飛んだ。
ズキューン!
ズキューン!
もう何度も耳にしている。
発砲音だ。
問題は誰が撃ったか、撃たれたかだ。
それから複数名が走る音が聞こえる。
「お、お、おい、だいじょうぶかよ!」
「…ううっ」
ニイの呼びかけにナナが呻き声で返事をする。
ああ、何てことだ!
撃たれたのは、敵ではなく、彼等の方なのか。
私は絶句し、急に心配になった。
「お、おい!…だ、大丈夫っ」
例によってニイが吃り始めた。
「手だから大丈夫だ…命に別状はない」
痛みに苛ついているのか、吃るニイに苛ついているのかは不明だが、ぶっきらぼうにナナが言い放った。
私は胸を撫で下ろした。
命に別状はない…よかった。
「取り敢えず…この建物の中に入ろうぜ。」
「…何をいう。駐車場にシルバーのホンダがあるだろう…それに乗り換える!」
「…て、て…手当しないとヤバいだろう?菌が入って熱が出るか、かもしんないだろっ!」
ニイが吃りながらも、強気な口調でナナに反論している。
「撃たれるのは、初めてじゃない…いいから、車…」
力の無い声でナナが反論した。
「…ああ、も、もうウルセー!だ、黙って俺の言う通りにしやがれ!」
「…おい…」
力のないナナの声が聞こえたのを最後に音響が不鮮明になる。
私は、スマホを気にしながら、慌てて部屋を出た。
階段を急いで駆け降りる。
それから事務室のドアをバタン!と開いた。
さっき話をした事務所の主のお爺さんが置き物の様にソファに座ってる。
使い古されたソファで、同じ傘下の施設から回された品だ。
肘掛けの所がバカになってしまい、体重をかけ過ぎと、ガバっと外れるのだ。
お爺さんは、その肘掛けに軽く腕を置き、コーヒーを口に運んでる最中だった。
目を皿の様に見開き、口をポカンと開けて、ドアを蹴破る様に開けた私をポカンんと凝視している。
「…どうしたの、ロク…あの…具合は?」
「とても、良くないわ」
私はハッキリとお爺さんにそう告げた。
「…そう、ね、熱がある?…何だかメラメラ燃える、炎の様な勢い…だね」
「…ええ、そうね。抗生物質が必要だわ」
お爺さんがより動揺した態度を見せた。
ウチの施設では少しだけ抗生物質を常備してるが、絆創膏の様に求められればホイホイと与える事が出来る物ではない。
薬なのだから当然といえば当然なのだが。
私は状況を色々無視し、抗生物質を収納している鍵付きの棚を開けた。
「念のため、いただくわ」
自分でも、驚く程、落ち着いた、凛とした口調だった。
「………お、お、お大事に」
「…ありがとう」
私は颯爽と事務室を出ると、急ぎ自分の部屋へ踵を返す。
お爺さんは、私が事務室に入室し退出するまで、終始ポカンとした表情で私を見ていた。
********
「良かったな、天が俺たちの味方をしているんだ、きっと」
「ああ、これは、感謝しなくては…っ」
ナナの、声もない悲鳴で語尾が掻き消されたのを認識できた。
私が、抗生物質を取りに行った為、席を外している間、事態が好転している様に思える。
私が部屋に戻った瞬間、ニイが『良かった』と明るい声を発していたからだ。
「サンキュー爺さん。」
「礼を言うよ」
ニイとナナの声が重なって聞こえた。
どうやら、初登場の第三者がいるらしい。
「こんな手当しか出来なくて、すまんね…」
老人独特のしゃがれた声が聞こえてきた。
「爺さん」がその人物らしいが、どう言う経緯で助けて貰ったかは、私が席を外してしまった為、不明だった。
まるでRPGだ。
いつの間にやら移動し、誰と巡り会い何かのイベントが発生しているのだ。
きっと今回は爺さんに手当をしてもらったのだろう。
私の手に握られている抗生物質は役に立つチャンスはないらしい。
ふと、私は再度自分の行動が可笑しくなった。
どうやって、彼等に抗生物質を渡すつもりなのだろうか?
ガラにもなく熱くなって行動を起こした自分が滑稽だ。
その時だ。
「爺さん、トイレ借りていい?」
「ええ…ああ、そこの突き当たりだ」
ニイの申し出に爺さんが快く応じた。
またもや、どうでもいい疑問が湧いてくる。
トイレを借りたいの申し出後の案内は、ほとんどが「突き当たり」という単語を含んでいる気がする。
どうでもいい事が次々と頭の中に巡ってくる。
私なりにこの状況に順応し、余裕が出ているのだろう。
そのどうでもいい事に思いを馳せる私の意識を、スマホの向こう側に戻したのはナナの声だ。
「…トイレから外に一番近い場所は!?」
珍しくも、声に薄い動揺が乗っかっている。
「………ええ?………あの、玄関突き当たりでの非常口…」
爺さんが言い終わらない内に物を乱暴に動かす音が響いた。
走りる音。
乱暴に何かを開く音。
そして、大きな溜息が聞こえた。
「おい、見てないで助けろよ!」
ニイの声が聞こえた。
うん?ニイは何かふざけた事をしたのかしら?
そう思ったのは、彼の声色に情け無さから来る照れが乗っていたからだ。
「判断を誤ったな。」
「…なっ!…嫌味は後にしろよ!お、俺が…一番後悔してんだぜっ!五分前に…時間を巻き戻したいと願うぐらいにっ!くそっ…さっさと助けろ!」
「早とちりするんじゃない。私が判断を誤ったんだ。やはりあの時、車を市場跡地へUターンさせるべきだった。君を助けるべきじゃなかった。そうすれば、君はこれから窓から落下して死亡せずにすんだんだ。この恩を仇で返すクソ野郎なんか…」
ニイがトイレの窓から脱出を試み、お騒がせな事態となった事が理解できた。」
「…ああああああっ!!…ごめんなさい、もうしましぇん!!」
ガタンっ
ドスっ
「‥助かったぜ、ありがとな…」
「ふん、二度と…私から逃げようとなどと考えるな!」
「……………………ふふ、ふはは…は」
ニイが可笑しそうな笑い声を上げた。
「何がおかしい?」
ナナが無感情な声で、ニイの不可解な笑い声に抗議している。
私も、急に笑い出したニイが不思議…いや、不気味でならなかった。
「…アンタの『私から逃げようとなどと考えるな』って台詞…」
「そんなに可笑しいか?」
「ああ、さっき…俺をメンヘラって言っていたたけど、アンタのその台詞の方がよっぽど…それっぽいぜ!」
ナナが大きな溜息を吐いた。
「私は…ここ迄お前に手を出してしまった。だから、最後迄責任を取らなくては…それを含め『私から逃げようとなどと考えるな』といったんだ」
台詞がより、ニイの言う通りのメンヘラっぽくなってきている。
勿論、ナナはそう言うつもりで言ってないのだろうけど。
思わず、私は吹き出しそうになった。
ナナ…この人すごく真面目な人かも、と思った時だ。
「…お前、傷」
ニイの驚きを含んだ声が聞こえた。
「…手の傷、殆ど、治りかけてないか?…あ、おい!何で隠すんだよ!」
「………………余り、人に言うなよ!」
「え?」
「この事にはもう触れるな!」
怒った様な、戸惑った様な声で、ナナがぶっきらぼうに要求してきた。
(続く)
