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ふたりぼっちの回想録

2、Daddy! Daddy!! Daddy!!!

私には3人の父がいた。
父は三人いたが、母は居ない。
母は私が生まれた時には死んでしまったと聞いている。

ある時、私の大切な人が言っていた。
子供には、親がふたり必要だと。
それは、父親、母親といった区分けではない。
お互いの役目を補完し合う役目なのだと。
具体的な例を示そう。
片方がある事柄に厳しいければ、もう片方は逃げ道として優しく受け止める。
片方がある事柄に対し、語り役専門になるならば、もう片方は聞き役専門としてある事柄の不安を受け止める…といった具合だ。
では、三人いる場合はどうなのだろう?
数の上ではひとり余りだ。

それはさておき、順を追って彼等の事を話していこう。

ひとり目の父は、幼少時の育ての親だ。
彼は寡黙な人物であった。

幼少期の私は呼吸器系の疾患を抱えていた。
発作を起こす都度、私は己の不安を解消してもらおうと、発作を起こす度、彼に抱きついた。
彼はそんな私を無言で只々、抱きしめてくれるだけだった。
不思議な事にそうされる事で、発作はいつの間にか治った。
彼から特別な何かを教わる、遊び相手になってもらったという記憶はない。
だが、幼心なりに私は感じ取っていた。
彼は彼なりに私を慈しんでくれたと。
思い出の中のひとり目の父。
彼がこの頃の美しいもので終われば良かったのかもしれない。
そうで有れば、「寡黙だが、慈しみ深い父」と、彼の墓石に刻めたのかもしれない。
今、私は彼の墓石に刻まれた文字を読んでいる。
「稚拙だが、慈しみを持った父」
彼の稚拙さを違和感として感じた切っ掛け。
それには、私のふたり目の父の存在が大きい。

ふたり目の父。
サンの実の父親だ。
ひとり目の父と暮らしている時のある日の事だ。
私は大きな発作を起こし、危篤状態となった事がある。
この状態が切っ掛けで、父は私を育てる事を断念し、一族に私を託した。
そして私は運良く危篤状態から脱した。
しかし、体調の悪い中、目が覚めると、いつも通り私の不安を抱きしめて鎮めてくれる父の姿は無かった。
そればかりか、周りは知らない人間が代わる代わる私の顔を覗き込んでくる。
父とふたりの世界は静かだった。
その世界ががいきなり、知らない人間がウロウロする忙しい世界に変化した。
私の知っている世界は終わり、父を取り上げられた様に感じた。
子供であった私はパニックに陥り、何かに取り憑かれたかの様に泣き叫んだらしい。
周りの大人が慰める、祈祷をする等等、手を尽くしても効果なし。
が、不思議な事に年の近い幼馴染のサンに抱きしめられて寝る時だけは、憑き物が落ちたかの様に落ち着いたのである。
それから、私は次第に新しい世界を受け入れて始めた。
平たく言えば、新しい環境に慣れたのだ。
その頃には私も呼吸器の疾患も影を潜めた。
私が落ち着いて来た事もあり、私はひとり目の父と私は数ヶ月に一度の頻度で、父と過ごす事を許可されていた。
それはひとり目の父の新たな一面を知る切っ掛けにもなった。
その切っ掛けはカウントダウンでもあった。
私とひとり目の父の絆が切れる出来事のカウントダウンだ。
それには私が自我のが強くなる年頃だった事も、カウントダウンに強く影響したのだろう。
父は幼い人だった。
それは、自分より格下の相手が自分に逆らう事を、一ミリも看過出来ない種類の幼さだった。
私の生意気さが気に入らなければ、父は容赦なく私を殴った。
それに気付き、面会に異を唱える者も一族内に出た。
しかし、ふたり目の父にとっては、親子の絆を繋ぐ=正義だったのだ。
その正義はその後数回続いた後、崩れ去る。
ひとり目の父に殴られ、私は半殺しの状態に陥る。
そしてそれを、ふたり目の父がひとり目の父と直接対決して私を救うという結末を迎えたのだ。
この事件以降、ふたり目の父は私にこう言った。
「シイ、これからは私が君の父になろう。私は先生であり、父でもある。」
私自身も、素直にこの言葉を受け入れ、教育係でもある彼の教えを砂が水を吸う様に吸収した。
このふたり目の父の存在が無ければ、私は今よりも心貧しい人間になっていただろう。
実際、彼は実直な人間だった。
彼の口より語られる…彼の啓蒙活動のベースとなる基本概念を私は子供の頃からよく聞かされた。
そこには清らかな小川のせせらぎを思わせる様な…心地の良い言葉が連なっていた。
比較は無意味であると私自身、幼心に理解はしてはいていた。
が、ついつい思ってしまうものだ。
ふたり目の父が本当の父であったならば…どれだけ良かったか。
彼は高尚な理念の基に、教鞭を執る教師でもあった。
私の友人にニイという男がいる。
悪ぶってたまに大胆な事を仕出かすが、繊細な要素も多分にある性格の持ち主だ。
彼にその事を伝えると彼はフッと口元を歪ませ自嘲気味に言った。
「教師の子供って以外にダメなのばかりなんだよな…」
十把一絡げに取り扱うのはどうかと思う。
私はその言葉が反論として喉元から出かかった時に私は気付いた。
この親友のニイの父親も教師であった事を。
些細ではあるが、気づきを与えてくれたこの件は印象深かった。
「水清ければ魚棲まず」
遠い国の何かの書物で読んだ言葉だ。
清廉も過ぎるとかえって人から敬遠される例えの諺らしい。
私は最初に書物でこの言葉を知った時、妙な引っ掛かりを心の中に感じた事を覚えている。
友人のニイの言葉と、この引っ掛かり。
写真のピントが合うが如く、ある事に付合したのだ。
ふたり目の父は清廉潔白な人だ。
だが、現実を認識する能力は浅かった。
サンのあの性格は一族内でも、変わり者扱いだった。
私を含む周囲に対し、サンが実害を与える度に彼はこの言葉だけをいった。
「サン、お行儀良くしなさい。迷惑をかけてはいけない」
サンが問題を起こす→前行の言葉をかける
予定調和の如く、その繰り返しだった。
側で見ていた私は、都度思っていた。
まるでメビウスの輪の如くお決まりの同じ事が繰り返されてるな、と。
真摯に対応する気があるならば、サンのトラブルの原因を掘り下げる事を行なっただろう。
本人の自覚があるかないかは不明だが、彼はそう言った類の事が苦手だったのかもしれない。
ただ、静かなる危機に面していた私達一族にとって、そんな彼がリーダーであったという事は良い方向へ作用しなかったのかもしれない。
私達一族は、一族内の結束が固く、排他的な面があった。
彼は、そういった部分にメスを入れ、改革を試みていた。
私達一族の周辺には多くの部族がお互いを牽制し合いながら暮らしていた。
稀に観光客や、宣教師、ボランティア等が各々の目的の為、各部族の生活圏に足を踏み入れる事があった。
現地の人間にとっては招かざる客というヤツである。
その招かざる客のひとりが他の部族の反感を買い、吊し上げられる直前に身を挺して助けた人物が私達一族の中にいた。
言わずかもな、ふたり目の父であるサンの父親だ。
お約束事の様に、ふたりは親友となりお互いのプライベートを、お互いに干渉し合う仲となる。
この親友、広くはないが特定の地域で権力を持つ人物であり、篤志家であった。
ふたり目の父にとってこの親友との出会いは神に与えられた幸運ともいえよう。
なぜなら、自分の子であるサンは親友の計らいに依り、都会の学校に通うチャンスを与えられたからだ。
それだけはなく、ふたり目の父は、他の子供にも同等のチャンスを与える約束を親友から取り付けた。
しかしこれには周辺の部族のみならず、一族内でも良い顔をしない人間も一定数存在した。
おそらく、彼等が反対を述べる特別的な理由等は存在しないだろう。
変化は恐ろしいものである。
長らく変化の薄い状況下にあった人間にとっては、特にそうだろう。
そして、問題点を現実的に認識し、掘り下げる事に疎かったふたり目の父。
厳しい裁定だが、その彼がリーダーとして一族を牽引してきた事。
諸々の理由はあるが、私自身、自分の一族をオワコンを捉えていた。
一族の滅びは避けられなかったと私は思っている。
とは言え、厳しい裁定だが彼がリーダーシップを執った事は、
一族の滅亡を加速させた部分は大きいだろう。

ひとり余り…冒頭で述べた三人目の父について、最後は語る。
私は彼を思う度、タルトというスイーツを思い出す。
一応断っておくが、私は彼と一緒にタルトを食べた事がある訳ではない。
タルト。
この有名なスイーツは三つのパーツに分かれていると私は思っている。
一番下のタルト台。
ミドルの部分に該当するタルト台を埋める中身。
そして、一番上の生クリームやフルーツのデコレーションだ。
タルト台とミドルは存在しなければ、見た目としてタルトと認識されないだろう。
だが、デコレーション部分はどうだろう?
有れば、華やかでより美味なスイーツとなる。
が、存在しないとて、タルトとしての認識に影響は与えない。
あっても、無くても良い部分。
余分といえば余分だ。
だが前述した通り、有れば華やぐ。
不要なものだが、見る人や食する人のテンションに大きな影響を与える。
だがら、デコレーションを施す者のインスピレーションを刺激する。
つまり言いたい事は、余計な物にこそ可能性は大きな広がりをもっているのだ。
ひとり目の父がタルト台。
ふたり目の父がミドル部分。
ならば、余りの部分である三人目の父はデコレーション部分だろう。
三人目の父…彼は色々な意味で私の可能性を広げた人物だ。
私の社会との関わり、結婚観、等等だ。


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