vocalconsort initium ; 11th concert 《いのりの深層》
◯三宅悠太: なみだは(寺山修司のテキストによるコンセプションⅠより)
◯堅田優衣: Ave Maria ─ 涙とともにある人に
◯細川俊夫: Ave Maria
◯ Gustav Mahler / Clytus Gottwald: Im Abendrot (Adagietto aus der 5. Sinfonie)
◯柴田南雄: 宇宙について
出演者
佐藤拓(民謡監修)
谷郁(指揮)
柳嶋耕太(指揮)
vocalconsort initium(合唱)
メンバー
ソプラノ 伊藤咲 浦川愛* 大澤桃佳 鏑木綾 木村優実 齋藤春香* 高松栞* 徳田裕佳 鍋島彩 西谷奈菜 浜部里美*
アルト 稲波ひかる* 神原愛* 久保田里奈 鈴木隆介 瀬戸翔吾 田中寛 中村沙耶 松本夏実 矢向仁希 湯田佳寿美
テノール 金沢青児 菊地海杜 小林紘努 佐藤拓 高松宏弥 保坂朋輝* 町村彰 三品亮輔 渡辺研一郎
バス 新垣眞広* 井上優 大村燎平* 小菅亮太朗 小藤洋平 佐藤伸行 忠末恵佑* 中原勇希 仲光甫 中村径也 早川聖也* 原田敬大
*《宇宙について》のみ出演
主催:vocalconsort initium
助成:アーツカウンシル東京[東京芸術文化創造発信助成(単年助成)]芸術創造活動
いつも特色あるプログラムを披露している合唱団の定期公演。都合により最初の2曲は聴けず、残念。
細川作品…谷氏の解説にある通り「海を思わせるような重層的な響き」が立ち上がる。後半の「罪びとである私たちのためにお祈りください"ora pro nobis peccatoribus"」の箇所では、大勢の人が波間を泳いでいく情景が浮かんでくるようだった。
マーラー / ゴットヴァルト作品…有名なアダージェットに、ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフの詩“Im Abendrot(夕映えの中で)”が添えられる。開始間も無く、先に歌い出していた高い声域に、バスがそっと加わって支える部分はドラマティックだった。詩は、旋律の動きに呼応するように巧みに配されている。
柴田南雄「宇宙について」…第1楽章から第4楽章までは種々の創世神話や神学論をテクストに、楽章ごとに異なる書法によって書かれている。第1楽章「インドの天地創造の神話」は、西洋の古楽。グレゴリオ聖歌のようなふしが歌われるけれども、すぐにハーモニーを伴うので、古楽らしい色合いは薄らぐ。第2楽章「東アジアの天地創造の神話」では日本書紀冒頭をテクストとして、十二音技法による音楽が展開する。ゆったりとした男声の動きと、機動的な女声の対比がおもしろい。旧約聖書をテクストとする第3楽章「メソポタミアの天地創造の神話」は西洋古典音楽、そして神学テクスト(ニコラウス・クザーヌス)による第4楽章「神の探究について」は後期ロマン派風の様式による。
いずれも内容と書法との間に必然的な結びつきはない。東京六大学混声合唱連盟の委嘱によって書かれているとのことなので、種々の書法に一通り触れさせるための一種教育的配慮に基づく構成なのだろうと想像した。すなわち、これから現代の合唱作品に取り組もうとする人に、手ほどきを提供しようとしているのではないかと。
そういった特色を強く感じたのは、第5楽章「山田の「おらッしャ」」である。ここでは、2つくらいの基準音が鳴り続けている。合唱団は客席を取り囲む配置となるため、メンバー同士が離れてしまう。そういった状況の中で、基準になる音が聴こえていることによって、新しい作品に馴染みがないメンバーにも手がかりが得られるようにという配慮なのではないか。
なお、この楽章では小さいグループがあちこちで輪になって歌う場面がある。その姿は隠れキリシタンの人々が密かにおこなう儀式を彷彿とさせる。
種々の民謡がそこかしこで歌われるシアターピース的な第6楽章「諸民族の祈りの歌」は、それぞれが歌う/歌わないの選択を含めて創意によって演奏することとなっている模様。
今回のリアライゼーションにあたっては、佐藤拓氏が民謡監修を担当している。佐藤氏はXで次のように綴る。
民謡監修って民謡っぽい発声を教えることではなくて、ある音楽がその人の身体と出会った時に自然と立ち上がる「場」を用意しつつ、そこから生じる声を発見・獲得する試みを提供することでした
演奏に先立ってのトークでも同趣旨のことを語っていらした。そのことば通りの歌唱が実現していたと感じられたのは、個々のメンバーが、適度な緊張感を保ちながら実に伸びやかに歌っていたからである。程よく力の抜けた、しかしきちんと自律的に整えられた声。そうした声たちで満たされた空間の心地よさ。そこからなだらかに終章の第7楽章の華厳経へと遷移していきコーダに至る。
聴いていて、一般的な演奏会における合唱の演奏とは大きく性質の異なるものを経験したという感触があった。本作は、演奏するための音楽作品というよりは、練習やリハーサル、さらには本番の演奏会を通じて、思索と実践の場となるよう設計されているのではないか。いわば、一種のワークショップのためのフォーマットというべきか。とは言っても、かなりの技術を要する作品と見受けられた。
今回の演奏は本作のリアライゼーションのお手本となるものだったのではないかと思う。メンバー全員が高度な演奏技術を備え、かつ音空間をどう作っていくかを主体的に思索していることが感じられた。そして、聴いているこちらも、いつのまにかワークショップに参加しているかのような感覚に至った。深い思慮にもとづいてはいるが、決してペダンティックになることなく、自然に深いところへといざなってくれる。そんな作品とじっくり向き合う時間であった。(2026年6月 豊洲シビックセンターホール)
