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東京 神社巡り | 住宅街に現れる森に囲まれた神社 ― 太子堂八幡神社 ―

 三軒茶屋の太子堂の裏通りを歩いていると、突然住宅街の中に樹木が生い茂った森が見えてきます。その樹木のなかに鎮座するのが『太子堂八幡神社』です。まさに住宅街にあるイヤシロチですね。平安時代から歴史を重ねてきた神聖な神社です。

歴史

 創建年代は不明。ただ、今から千年ほどの昔の平安時代の終わり頃、陸奥(宮城・岩手)の豪族安倍氏の反乱(前九年の役)源頼義・義家親子が征伐におもむく途中、鎌倉道に面したこの神社に戦勝を祈願し、杯を交わし休憩をしたと伝えられています。

 正確な文献の資料はありませんが、このことから永承六年(1051年)以前には、この地の守り神として歴史が始まっていたと考えられます。

 御祭神は、当初はこの地を開拓した先祖をこの地の守護神としていたと考えられますが、後に源氏の氏神となった八幡神が、源氏の関東での領地拡大に伴い、その地の守り神として祭神として祀られるようになったと思われます。

 円泉寺の記録によれば、文禄年間(1592〜1596年)に八幡神社として建立されたとあります。豊臣秀吉が小田原の北条氏を滅ぼし全国統一をした頃に、社殿が神社らしく整えられたことにより、その時代の創立とされたと考えられています。

 昭和11年~12年にかけて、当八幡神社も小さな社から現在の立派な社殿や、鳥居、神楽殿・社務所が新築し整えられ、神社前の道路も改修されました。幸いにも空襲の被害にも遭わずに済み、現在に至っています。

なお、太子堂という地名の由来となった円泉寺が別当寺(神仏習合の時代)でありました。

御祭神

誉田別尊(ほむたわけのみこと)
第15代 応神天皇(おうじんてんのう)

誉田別尊(応神天皇)

八幡さまのこと 

 八幡さまは、大分県宇佐の地「私は、この国と皇室、国民全てを守るために現れた、誉田(ほんだ)天皇(応神天皇)広幡(ひろはた)・八幡麻呂(やはたまろ)である」(古墳時代)と告げられた神さまです。そこに鎮座したのが八幡神社の総本宮=宇佐神宮です。

 応神天皇の時代、朝鮮半島との交流を盛んに行いました。そのため、多くの渡来人より、養蚕・機織・稲作の灌漑技術や、漢字などの進んだ文化が取り入られ、国力が発展・増大しました。

八幡新坐像(赤穴八幡宮)

 その応神天皇の御霊とされる八幡さまは、東大寺の大仏建立に「日本のすべての神様を率いてその大事業を成功させましょう」(奈良時代)と、大きな工業力(鋳造技術)を発揮しました。

 そして仏教を信仰する人々よりは八幡大菩薩と仰がれ、民衆救済の神さまとしても信仰されました。平安時代には、新しい都の守護神(石清水八幡宮)となり、やがて源氏が氏神(先祖神)として、鎌倉時代には鶴岡八幡宮が建立され、幕府政治の要となりました。その後、産業・文化・武門の神として武家、庶民にますます篤く崇敬されてきました。

 現在も、特に厄除、家内安全、交通安全、安産、商売繁盛、学業成就、五穀豊穣、殖産興業など、人々の苦難を救い、あらゆる願いに応える多くの御神徳を備えた神さまとして仰がれ、全国の神社の中でも最も多く八幡宮・八幡神社がおまつりされています。 

 八幡さまのお使いは、「白鳩」です。平和を守る武門の神の使いとしても、平和の象徴とされる鳩は誠にふさわしいものといえます。

手水舎

稲荷大明神

御神木

御神木

出羽三山神社

社務所

辨天社


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