三月になったらね #シロクマ文芸部
三月になったらね。
卒業する前に連絡先を教えてほしいとお願いした僕への返事だった。
あまり接点がなかったけれど、彼女のことが気になっていた僕は、どうにかこうにか勇気を振り絞りやっとの思いで伝えたのだ。
その答えが「三月になったらね」。
断られるでもなく、少し考えさせて、でもなく、「三月になったらね」。
妙に具体的だと不思議に思っても、追求することもできずにただ僕は三月を待った。
三月になってついに卒業式を迎える。
三月になったよ。僕は胸中にそんな思いを抱えてなんだか落ち着かなかった。
「お待たせ」
式の後に呼び止められて、彼女は少し申し訳なさそうに言うと、「はい、これ」と僕に紙を差し出す。
彼女に渡された四つ折りにされたメモを開くと、住所が書かれている。県外の住所だ。
「これって、」
「引っ越しするんだ、っていうか、一人暮らしね。この前はまだ、部屋が決まってなかったんだぁ」
「え、」
「大学、県外に行くんだよ」
「……あー、そうなんだ。知らなかった」
ありきたりな返事しかできない。
県外の大学に行くことさえ知らない関係なんだと、急激に思い知る。
それでも、住所を教えてくれた彼女の本意は。
「手紙、書いてね」
彼女はどこかいたずらっ子のように言う。
「……手紙?」
「そうそう。手紙。メールとかじゃなくて、手紙」
携帯電話がすっかり普及して、連絡手段はほとんどメールになったこの時代に、手紙。
「うん、わかった」
なのに僕は、ごく自然に了承した。
どうして手紙を書くなんて言ったのだろうと後悔したのは、初めて彼女に手紙を書こうとしたときだった。
四月になって、僕と彼女がそれぞれ新しい生活になった頃だ。
メールならもっと気軽に送れるのに。
彼女にメールを送ったことさえないのに、そんなことを思った。
メールと手紙。なにがどう違うのかと考えるよりも、手紙の内容を必死に考える。
そのわりに、内容はほとんど大学のことばかりで、出来上がったのはなんの面白みもない手紙。
こんな手紙に意味があるかと破り捨てるのをこらえて、しかし実際にポストに入れたのは、それから一週間も経っていた。
「ねえねえ、もうすぐ初めて手紙をくれた頃になるね」
「……そんなことまだ憶えてるの?」
呆れたように言いつつ、僕自身もまだ憶えている。
必死に書いた手紙は今振り返っても変わるはずもなく、とても稚拙で、とても恥ずかしい。
「もちろーん」
彼女はあの瞬間のままいたずらっ子のように笑って、ひらひらと、封筒を振って見せた。
「えっ、ちょっと、なんでそんなの出してるの?!」
「見つけたからでーす」
「見つけなくていいし、見つけても僕に見せなくていい」
「えー、この封筒がなにかわかってるの?」
わかっている。わかりすぎている。
中に入っているのは大学生になったばかりの僕が書いた、稚拙で、恥ずかしい文章が書かれた、僕が初めて彼女に送った手紙。
そんなものを今また、読まれたら、顔から火を吹き出しながら地中深く潜ってしまうだろう。
「ねえ、また手紙、書いてほしいなぁ」
「……同じ家に住んでるのに?」
楽しそうな彼女をよそに、僕は眉をひそめてしまう。
世の中にはスマートフォンが普及して、その頃には僕たちもメッセージアプリで連絡を取るようになった。
けれど僕たちは手紙のやりとりを続けた。
それはなんだか世の中の誰も知らない隠れた行為のようで、僕はひっそりと楽しんだ。
そのおかげで、とでもいうのか、僕は手紙を書くのが格段にうまくなった。彼女限定ではあったけれど。
しかし、もう何年、手紙を書いていないだろうか。
手紙を書く必要がなくなったのは——、
「だから、だよ。初々しい手紙、また読みたくなっちゃった」
「……うん、わかった」
僕はまた、あのときと同じように了承した。
すぐに、少し付け足して。
「三月になったらね」
したり顔をつくった僕に、彼女はわずかに驚いたような表情を見せてから、すぐに笑った。
「一年待たなきゃダメかぁー。私はせいぜい数週間だったのになぁ。うーん、まあ、楽しみにしてようっと」
来年の三月になったら彼女に送る手紙の内容を、僕は一年かけて考えることにした。
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2025.03.02 もげら
