【居なくなって気づいた事】私は母がこんなに好きだったんだ
やっとパソコンでnoteできるようになりました・・・!
もぐたんママです。
場所の確保、配線の確保(たこ足 笑)諸々で
こんなにかかるとは><
一応、仕事で使うので、
なんちゃってブラインドタッチですが
スマホ打ちよりは早いです。
これまで、100%スマホでした^^;
約5年前の寒い日、母が倒れ、1週間程昏睡の後、
帰らぬ人となりました。
原因は、くも膜下出血。
倒れた時に1回大きな出血、
その後病院で2回目の出血があり、
脳幹が機能しなくなって、
そのまま、でした。
倒れた時には父が一緒だったので、
すぐに救急車を呼び、
病院に運んでもらいながら
私に連絡してくれました。
私は仕事中で、たまたま昼休みのタイミング
だったので、すぐに気づけました。
(昼休みは自分のキリが良い時に取るスタイルの会社です。)
電話での父の声は、明らかにいつもと違う。
良くない予感がする。
姉に連絡したり、仕事抜ける段取りしたりしながら
冷静なようで内心少しパニックでした。
その時、母が倒れたことを伝えた先輩に言われた事。
「救急車で病院に向かっているなら、
ちゃんと処置してくれているから大丈夫。
あなたが焦らなくても大丈夫だから、
落ち着いて病院に行けばいいのよ。」
言われてハッとして、落ち着けました。
車の中で呼吸を整えて、
落ち着いて病院へ向かいました。
幸い、私の家の近くの病院でした。
到着したときは、救急車も到着したところで、
父が救急隊の方とお話していました。
あとから知りましたが
父は消防団をやっているので、
その関係でお知り合いの方だったようです。
結構待って、検査や処置が終わって、
説明を受けましたが、
状況はとても悪いとのこと。
そのあと、看護師さんが
入院の説明をしてくださったんですが、
今時はおむつがサブスクだそうで、
「おむつ、使い放題ですよっ☆」
って言われました(笑)
面倒じゃなくていいけど、
そんな使いたいもんでもない(笑)
↑もっと色々難しい説明もありましたが、
これだけ覚えてますww
ICUで面会させてもらえて、
手を握ったり話しかけたり。
麻酔は切れているはず、という時間になっても、
まったく目を覚まさない母。
なんとなく一瞬、
少し顔をしかめたような気がしたけど、、
麻酔は切れているので頭が痛いという
感覚はあったのかもしれません。
その日は、
もう本人の回復力を信じるしかない
との事で、帰宅。
食欲はなかったけど、親戚に促されてご飯を食べ、
いつも通りお風呂に入って、
寝る準備をして布団に入った。
いつ呼び出しがあるかわからないから、寝なければ。
・・・考えてしまって、涙が止まらない。
声を出さずに、号泣していました。
夫は静かに、肩を貸してくれました。
明け方、病院から連絡。
「血圧が下がっているのですぐに来てください。」
さすがにパジャマは着替えたけど、
コンタクトだけ入れてすっぴんで
すっ飛んで行くと、
落ち着きましたと。。。
人騒がせな・・・😅
ほっとしたのも束の間、
私が一番家が近いので、一番乗り。
父が来るまで、今日も休むことになるであろうと
会社に連絡したり遠方の姉に連絡したり。
父が来てから、先生に現状を説明していただいた。
2回目の脳内出血が起こり、
脳幹が機能しなくなったかもしれません。
目を覚ます可能性は無いとは言えないけれど、
このまま、体がもたない可能性の方が高い。
(脳幹は、生命維持に不可欠な機能を制御している部分だそうです。)
頭に浮かんだのは『絶望』でした。
近しい親族も来てくれて、
産後一カ月も経っていない遠方の姉も駆けつけて。
そこから、
少し悪くなったり持ち直したりしながら
数日を過ごしました。
病院内の親族用待合室で待ったり、
交代で家事しに帰ったり。
落ち着いたら帰宅したり、
病院で夜を明かした日もありました。
父とも、親族とも、
今までしたことがなかったような話を
たくさんしました。
父と母が出会ったときのこと。
私と姉の間に流産したもう一人の家族が居たこと。
私は親の会社を継ぐつもりだったこと。
(自由にしたらいいよと言われたので、継ぎませんでしたが)
私が家を建てるとき、
いずれ両親のどちらかが亡くなったときは
残された方を引き取るために
部屋をひとつ増やした事…
統計的に女性の方が長生きするから、
引き取るのは母だと思っていたのに。
初めて見た父の涙。
私も、大人になってからは父の前で初めて泣きました。
救急車で運ばれて一週間たった日の朝、
また血圧が下がり、そのまま亡くなりました。
冷たい雨の降る、寒い朝でした。
遺体と共に実家に戻り、
母が仲良くしていたご近所の方が来てくださったり
親戚が来てくれたり。
今時珍しく、家族葬ではなく一般葬だったので
母のお稽古のお友達やご近所の方、
父の会社関係の方などなど、
色んな方に助けてもらって
まだコロナ禍でしたが
賑やかに見送ることができました。
棺に入りきらないほどたくさんのお花をいただいて、
入らなかった分は我が家に持って帰りました。
葬儀も終わり、バタバタが少し落ち着き、
約2週間休んだ仕事にも復帰し、
いつもの生活に戻ったように思えました。
いつも会社に通っている道。
今まで気にしてなかったけれど、
母が運ばれた病院が見える事に気付いてしまった。
目に入ってしまうと、
思い出してしまって、
しばらく涙が止まらない。
泣きながら運転してました。
その時よく聞いていたのが、
Official髭男dismのアルバム『Editrial』。
2曲目のアポトーシスを聞いてまた、
涙が止まらなくなった。
訪れるべき時が来た
もしその時は悲しまないでダーリン
さよならはいつしか
確実に近づく
落ち葉も空と向き合う蝉も
私たちと同じ世界を同じように生きたの
母が、父に向って言っているように聞こえて。
アポトーシスは、細胞が役目を終えて自死する事で
体内では常に起こっている事です。
突然やってきた別れは、
こういう気持ちもあったのかなぁなんて思ったり。
家に帰ると、
一緒に住んでいたわけでもないので
また実家に帰ったら居たりするんじゃないかと
思いたかったりもしました。
父は毎日、
家に帰ったら居ないという現実を突きつけられる。
辛かったでしょうね。
実家に父が一人になってしまったので
たまに掃除や片付けをしに行ったり、
夫と一緒に晩御飯作りに行ったりしながら
数カ月を過ごしました。
こころの中も落ち着いてきて、
やっと冷静になってから思った事
「私、めっちゃママ好きやったやん」
(我が家はママパパ呼びでした。)
生きているときは、
酔ったら「次はいつ帰ってくる?」なんて
電話してくるし、
習い事の発表会は来てほしそうに教えてくるし、
ちょっとウザいおかんみたいな扱いでした。
もっと優しくしたらよかった
ちゃんと健康に気を付けるようにもっと言えば良かった
もっと一緒に出掛けたりすればよかった
もっと話を聞いてあげたかった
私の子どもを抱かせてあげられなかった
わたし、親孝行、できてたかな
色んな後悔がありました。
母にはできなかった分まで、
父に孝行しよう。
そう思ってこの5年ほど、過ごしてきました。
(あ、父はまだ元気に生きてますよ!
自分で読んでて、死にそうな雰囲気になってるので一応 笑)
皆さんは親孝行、できてますか?
失って初めて気づく事もありますが
出来るのは元気に生きてるうちです。
毒親だったりで絶縁してるとかもあるかもですが
親が元気でそこそこ仲良くされている場合は
ぜひ後悔のないようにお過ごし下さいね☆
暗い重い内容になってしまいましたが・・・・
最後までお付き合いいただきありがとうございました!
スキやコメントいただけると嬉しいです♡
ぜひ次回もよろしくお願いいたします
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