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小説「ヤングケアラーな私の闇は深くて愛しい」第8話[最終話 私のパレットの色は]

第8話

 私が線路の上の橋から身を乗り出して向こう側へ行きたくなったその日、母は学校に呼び出された。無事発見された私に付き添ってくれた眞由子と佑は、先に帰ることになった。
「佑さん、うのさんがいないことをすぐに教えてくれてありがとう。眞由子さん、うのさんのサポートをしてくれて本当に感謝しています」
 と村松先生は帰って行く二人に言った。私も二人にお礼を言った。
 母は仕事が休みだったので、すぐに学校に駆けつけてくれた。応接室で、校長先生、担任の村松先生、自分と母の四人で話をすることになった。母が緊張している様子が伝わってきた。村松先生から、今日あった出来事が母に伝えられた。
 私が取った行為は、自分の命を終わらせる覚悟であったと位置づけられ、母親に今の私の状況は自分の命を傷つけてしまうような油断のならない状況にあることが伝えられた。本来ならば、児童相談所に連絡をして、一時保護してもらうような状況にあるのだと言う。
「お母さんも、一人で子育てをしながら仕事をされていて本当に御苦労されているのは伝わってきます。ですから、おばあちゃんを介護施設に預けられてはいかがでしょう?差し出がましいようですが、それがうのさんを守る、唯一の手立てだと私たちは考えています」
 校長先生は、母の表情を読み取りながら話を進めた。
「ですが、私たちは家庭の中のことまでは踏み込めないもので、SSWスクールソーシャルワーカーさんにケアマネージャーさんと話をして頂き、おばあちゃんの施設への入所を早急に進めてもらおうと思っているんですよ」
 母は驚いた様子で
「いつからですか?」
 と質問した。すると黙って聞いていた村松先生が少し微笑みを浮かべながら言った。
「実は、私の知り合いの施設で、ちょうど空きがありまして、そこで体験入所という形であれば今晩からでも大丈夫だと言うんですよ。お母さんどうですか?」
「あの、私が心配しているのは、実は入所にかかる費用なのです」
 母が、本音で話し始めた。
「介護施設にも色々あるようですが、そこは初期費用がかからず、公的施設で良心的価格になっています。所得によって自己負担額の上限額も決められているようです。きちんと判定を受けて手続きをすれば安心ですよ」
 母の顔は少し明るくなった。
「所得に応じて上限があるの助かります」
 校長先生がさらに話を進めた。
「今日この後、SSWさんと森山さんの担当ケアマネージャーさんがお宅を訪問してもよろしいでしょうか?よろしければ、こちらでその連絡もさせて頂きたいと思いますが・・・・・・」
「はい、お願いします」
 母も困ってはいたが、どこに何をお願いしたら良いのかすらも分からなかったのかもしれないと思った。村松先生は、早速、その二人に連絡をすると言って席を立った。校長先生は、あたたかい表情で母に話し掛けた。
「森山さんは、ひょっとすると子育てについても何か、育てにくさのようなものを感じていらっしゃるのかもしれませんね。うのさんに席を少し外してもらって、良かったらお伺いしたいと思うのですが?」
「校長先生、うのにもできれば聞いて欲しいのです」
「そうですか?そういうことならば、差し支えない範囲で構いませんから、お母さんの心の内側に溜まっていることを出して頂くと、少し楽になるかもしれませんよ」
 母は下を向いて考えていたようだったが、決心が付いたらしく話し始めた。
「私自身が、今のうのと同じように育てられたのです。母は厳しくて、一切、甘えることはできませんでした」
 私は、驚きを隠せなかった。祖母が痴呆になる前は私に対して、惜しみない愛情と優しさを注いでくれていたからだ。
「私の両親は、離婚こそしていませんでしたが、家庭内別居のようなもので、母は一人で仕事や家事や子育てをしなくてはいけませんでした」
 母は、何かを思いだすかのように窓の外の夕焼けを眺めた。
「毎日、私は自分で食事の用意をしたり、家族分の洗濯をしたり、家事全般を任されていたのです。こんな夕焼けの時分には、ちょうど夕食作りをしていました。みんなはまだ外で遊んでいるような時間から家事をしていたのです。だから、母が、孫のうのに優しく接している姿を見ると、『偽善者』に見えてしまい、余計に好きになれませんでした」
 校長先生は、じっと母の話に耳を傾けて頷いていた。
「そういう過去の上に成り立っている今の生活だったので、うのが母から優しくされているのを見ると、どうしても素直に喜べない自分がいました。娘の私には優しくしてくれなかったのに、なぜ、孫のうのには優しすぎるくらい親切に接しているのか私は疑問でなりませんでした」
 私は母の話の続きを聞きたいような聞きたくないような複雑な気持ちがした。でも、母と祖母がどんな関係だったのか気になっていた。
「私は、ある夜、母が弟を膝に入れて抱っこしている姿を見て、どうしても母の愛やぬくもりが欲しくなったのです。母に抱っこをせがみました。小学校低学年の頃でした。すると、こともあろうに母は私を拒んだのです。私には、自分の部屋なんかありませんでしたから、奥の部屋の押し入れに入って、布団にくるまって思いっきり泣きました。泣きながら、もう絶対に母に甘えるのは止めようと心に誓いました。だから今更、母と仲良くなんてできないんですよ」
 校長先生は、大きく頷いた。
「そうなんですね。辛い体験をされていらっしゃる」
 母の体験したことに共感を示してくれた。そしてゆっくりと言葉を選びながら続けた。
「森山さん、お母様が孫のうのさんに親切にしていたのは、ひょっとするとあなたへの罪滅ぼしだったかもしれませんよ。親になるのは誰にとっても初めてのことです。だから、こうしたらもっとうまくいくのにと思っていても、なかなか思うように子供と接することができないのですよ」
 母は、校長先生の顔をじっと見ながら話を聞いている。
「私にも、息子がいるのですがね、『お父さんは父親としては失格だけど、おじいちゃんとしては最高だな』って言われているんですよ。こんな職業に就いているのに、お恥ずかしいことです」
 意外な話の展開に母は驚いている様子だった。
「校長先生でも、息子さんからそんなふうに言われることってあるんですね」
 母は、恐る恐るそう言った。校長先生はさらに話を続けた。
「私は息子にしてあげたかったけど叶わなかったことを、孫にしているのですよ。一緒に散歩に行ったり、宿題をやったり、遊んだり、甘やかせてみたり色々なことを、かつて息子にしてあげられなかった後悔と共に......。孫にはやってあげられる余裕ができたのです」
「息子にしてあげられなかったことを、後悔と共に孫にやってあげる?」
「そうなんですよ。やはり、孫になると自分の子供ではありませんから、責任がない分気持ちも楽でしてね。優しくなれるんです。不思議ですね」
 母は、何か思い当たる節でもあるかのように頷きながら聞いていた。
「私の母親は、口べたで、話も上手じゃないから、校長先生のように語ってくれたことはありませんでした。でも今、お聞きした話から、ひょっとして私の母親も同じだったのかもしれないと思うところがあります」
 母は、目を閉じて深呼吸をした。そしてテーブルに出されたお茶を飲んだ。
「校長先生、ありがとうございます。なんだか心が軽くなりました。きっと、母親のことを少し許せる気持ちになったのだと思います」
 校長先生は、穏やかな笑みを浮かべた。
「森山さん、誰かを許すということは勇気が要るけど、心地の良いものですね」
 優しい落ち着いた声でそう言った。気が付くと、聞いていた私自身の気持ちまで楽になっていた。なぜ、母が私に辛く当たるのか納得できた。母と祖母の関係については、校長先生自身の話から推察すると、どこの親子関係にも起こりうるようなことなのかもしれない。
 連絡のため席を外していた村松先生が戻って来た。
「SSWの方と、ケアマネージャーさんの予定が確認できて、今晩森山さんの御自宅に一緒に訪問できるそうです。その際に、おばあちゃんを介護施設の体験という形で一時預かりができるかどうか確認をしてみて下さいね。うのさんの命に関わるような状況であることはお伝えしていますから。急を要しますよ」
「はい、ありがとうございます」
 母の声は明るかった。私と母は、校長先生と村松先生にお礼を言って応接室を後にした。今日、自分の命を絶とうとしたはずの私は、これまでで一番幸せな気持ちに近づいていた。だから、自分から母と手をつないでみようと思った。母は、私の顔を見て微笑んだ。私の目は涙でいっぱいになった。母が私に微笑んでくれたのはいつ以来だろう?母はつないだ手を離さずに、ぎゅっとはぐをしてくれた。自分から一番遠い存在だと思っていた母は、大人だけど悩んでいて、困っていて、本当は私のことを愛したかったのだということが分かった。
 家に帰ると、弟の稑が母と私の関係が改善している様子を察知して
驚いていた。
「姉ちゃん、一体何があったの?」 
 稑は聞いてきたのだが、説明がしづらかったからそのうち分かるよと言ってごまかした。
 約束の時間になると、SSWの女性と、ケアマネージャーさんが訪ねて来た。祖母の様子も見てもらいながら話をした。認知の症状もひどくなり深夜徘徊も見られ目が離せなくなっていることから、今の判定結果よりも、要介護度が重くなるとのことだった。そして、中学生である私に生命の危険があるという理由で、祖母が介護施設の体験に参加する手はずを整え、緊急に祖母を預かってくれるということになった。特例的な措置は、他機関との連携が成せる稀なケースなのらしい。
 祖母には、毎日お風呂に入ったり、リハビリができたりするところに少しお世話になることを伝えた。
「毎日、お風呂に入れるのかい?」
 お風呂好きな祖母は「毎日、お風呂に入れる」というところだけ耳に入ってきたようだった。環境が変わることに適応できるか不安はあるが、専門家の方々がお世話をして下さるので安心だと思った。玄関先で、SSWの女性と、ケアマネージャーさんにお礼を言い、祖母をお願いした。祖母は少し不安気な表情をしたものの、
「行ってきます」
 と元気に言ってケアマネージャーさんの車に乗り込んだ。私たち親子三人は、車が見えなくなるまで見送った。

 リビングに戻ると母は私と稑に言った。
「これまで、色々ごめんね。母親らしくない母で」
 稑が一番驚いていた。こんな言葉が母の口から出てくる日が来るなんて思いもしなかったから。
「今日、学校で校長先生の言葉を聞いて、本当に心が軽くなったのよ。今の母さんがそうであるように、おばあちゃんも子育てに悩んでいて、私に愛情をしっかり示せなかっただけで、本当は愛されていたんだなっていうことが実感できた。愛情がなかったら、習い事だって、大学進学だってさせてもらえなかっただろうし、実は応援されていたんだって気付いたの」
 私と稑は初めて聞く母の話に耳を傾けた。
「なんか今日の母ちゃん、表情が明るくて楽しそう」
 母は、稑にそう言われて喜んでいた。私から見ると、今日の母は表情が少し緩んで優しく見えた。私が望んでいた母の表情でもある。
「ねえ、今日はさ、リビングに布団を敷いて三人で寝ようか?」
 母が嬉しそうに提案をしたので稑と私は大きな声で
「さんせーい」
 と叫んで笑った。いつまでも笑いが止まらなかった。 翌日は、中学校の体育大会だ。私は練習不足なんて気にしないで参加しよう。足りない所は、周りの誰かがきっと補ってくれるに違いないから。私は、これまで自分の考えで自分の行動を縛ってきたことに気付いた。「こうしなければいけない」とか「相手にこうされるべきだ」という思いばかり強くて、自分の心も行動も自由にしていなかった。だからうまくいかなかったことがたくさんある。でも、明日からはこれまでと少し違う人生を歩んで行けるような気がした。
 私が抱えていた深い闇は、私自身の闇のようで、その大部分は介護によるものだった。つまり、家族や親友や先生だけで埋める類いのものではなかったのだ。それは、社会の制度によっても補われるべきものだったから、個人には重たすぎた。でも、そこに気付かせてくれて、手はずを整えてくれたのは、幼馴染みの佑だったり、親友の眞由子だったり、担任の先生や校長先生だった。
 そして社会の制度は、学校が繋いでくれたSSWさんやケアマネージャーさんが取り付けて補ってくれた。
 私の心に深い闇があったから、みんながそれぞれの色を思い思いの場所に補ってくれた。闇がなかったら、こんなにも様々な人と深く関わることも、助けてもらうこともなかった。だから自分が抱えていた闇は、今は愛しいもののように思えてならない。
 私のパレットに今ある色は、黒や灰色に茶色、そして群青色、天色あまいろ、空色や、紅色、紅緋色べにひいろ、桃色、紅梅色こうばいいろに檸檬色まで揃っている。嬉しいことも、哀しいことも、楽しいことも、辛いことも様々な感情を味わうことでパレットに色が一色、また一色と増えていくことが私の楽しみだ。きれいなパステルカラーにならなくたっていい。発光色のようにきらめかなくたっていい。漆黒のような黒があれば、淡い色がより一層引き立つように、大きな哀しみがあるからこそ、楽しいことがより一層輝くのだから。今なら、自分が高校生になっているイメージも浮かんでくる。

 私は今、明日の体育大会が誰よりも楽しみになっている。佑に元気な姿を見てもらいたいと願う。佑は、私の闇を誰よりも優しい色で補ってくれた。「私の闇は深くて愛しい」のは佑のおかげなのかもしれない。

                  (了)