まさか私がサポートを頂けるなんて

起床してメールをチェックすると、noteから見慣れないお知らせが届いていた。

「サポートのお知らせ」なんじゃそりゃ。
寝ぼけまなこでメールを開くと、なんとなんとなんと

スクショして 見ても夢かと 目をこする

混乱して、まだ寝てていいのかと思って再度布団に入ってみる。
で、メールを見る。
読む。閉じる。開く。読む。

うそやん?なんなん?なんでなん??

とりあえず朝で、時間がない現実を理解して、朝食を用意したり息子を送り出したりしてから改めてメールを開く(何回目)

さとりままさん、、、、
お辞儀100回で足りますか?
めちゃめちゃありがとうございます!!!!

実はここ数日、物理的にnoteを書く時間の確保が難しくなったため、しばらくnoteを離れようかと迷っていた。

数日前に、とある問題が勃発。その問題には、関係する全ての人が円満に解決するゴールがない。

その問題に結論を出すのは、私ではない別の人。
理性ではその問題の最適解が見えていても、心情的に正解を選び取ることが大変なストレスになることはわかっている。
なので私はその人のそばにいて、できる限り支えようと決めたからだ。

ど真ん中の当事者ではないのに、その日から問題が道端のガムのように頭にこびりついている。
考える時間ができてもガムはひっついたままで、他の何かを思考するスペースを埋めてしまう。

結論が出ていないのに隙間時間に悪い未来が次々に浮かび、検索の手が止まらない。
ランチタイムのファミレスのように脳みそが常に接客をしている状態で、テーブルの清掃が間に合っていないような感じがしていた。

日中に考えすぎて「考えても仕方がない」とようやく腹を括れるのが入浴後。
そのためnoteを書くのも読むのも日付が変わってからになる。推敲もままならず、短い言葉を綴るので精一杯だった。

そして、外科結びでしっかりと括ったはずの腹が、なぜか朝になるとゆるゆるに解けており、また同じ思考を繰り返すのだ。
(ただし精神的に落ちた感じはまったくないので、そこはご心配なく)

なので、思い上がりかも甚だしいが
「ちゃんとした記事が書けるまで中断したらいいんじゃない?」だとか
「中途半端で誰の役にも立っていないなら、辞めてもいいんじゃない?」だとかいうカンペが、徐々にくっきり読める文字として脳裏によぎっていた。

考えてみれば私の独り言など、役に立たないことは大前提で始めたのだった。
なので、「役に立たないから辞める」という理屈は通らないと、書いていて気がついた。

自己満足の前提なので、サポートのシステムも理解しないままスタート。
サポートは、サポートして欲しい人が手動で設定する機能であって、私がサポートを受けられる状態にあったことも知らなかった。なので今朝は本当にびっくりした。

それが。それなのに。
身銭をきって応援してくれる人が現れたのである。
なんだろう、この気持ち。
嬉しいでは足りない。この気持ちに当てはまる名詞が思いつかない。
ただ、書いてよかったと思えた。

コメントをもらった時も同じように嬉しいが、サポートはコメントより、相手にかかる負担が大きい。全然違う。

これだけ嬉しくて有難いということは、この500円は、わたしにとって何か別のものと交換する道具(=お金)とは違う価値がある。

だってライター業のように、情報を売って得た対価ではない。
エッセイストでも、何かの専門家でもない私が書いた日常に報酬が発生することが、どう考えても当たり前とは思えない。

何かの対価としていただくには、あまりにも畏れ多過ぎる。勿体なさすぎて受け取れないのだ。

では、この500円は何なのか。

さとりままさんは、先日初めて有料記事を購入してもらったと記事に書いていた。

さとりままさんは有料記事を買ってもらったので状況は少し違うが、きっと今の私と同じような気持ちになったのではないか。推察でしかないが。

これはきっとエールだ。普段より見えやすくなった心だ。

だって私は今、猛烈に誰かを応援したい。
サポートでこんなに嬉しい気持ちになれるなら、私も誰かにこの気持ちをお裾分けしたいと思っている。

もらったものがただの硬貨であれば、こんな気持ちになるはずがない。

いつ辞めてもいいやと思って始めたnoteを、やれるだけは続けてみようかと思えるはずがない。

今より状況が悪くなり、仮にしばらく書けなくなったとしても、また戻ってこようと思えるはずがない。

このタイミングで初めてのサポートをいただけたことを、天命のように感じる。

思えばnoteを始めた日
「どうか、私の天命がなんなのかを知るために力をお貸しください」
と近所の神社にお参りした帰りに、ふと「noteを書こう」と思ったのだった。

天命が何なのかはまだわからないものの、辞めようとしたタイミングでこんな嬉しいことがあると「まだ書け」と言われているような気がしてしまう。

noteを書くようになって、たくさんの人の人生や思考を覗き見させてもらった。
顔も知らないnoterさんが、いつしか知っている(つもりの)人になり、更新を心待ちにするようになった。

スキをもらい、コメントをいただき、自己完結してきた「書くこと」「考えること」を応援してもらえているような感覚を味わった。

サポートをしていただき、心を受け取る喜びと、この喜びをさらに誰かと分かち合いたいと思える気持ちを教えてもらった。

こうやって誰かから心を受け取ったり、贈ったりする行為が、何らかの形で仕事に繋がれば最高だ。
それが私の天命のかけらなら、とても嬉しいのだが。
それはまだ、今日感じた喜びの正体のように、言葉にならず漂っている。

さとりままさん、本当にありがとうございました。応援していただける気持ちを、確かに受け取りました。
私も、密かに応援しているnoterさんに、この喜びをお裾分けしたいと思います!

-追記-
早速、推しnoterさんお二人をサポートしてみました。
頂戴した500円をサポートに充てる気持ちで250円ずつ…(笑)

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