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他者に関心を寄せ、寄り添う技術

昨日の続きで考えたこと。


まず前提として、アドラー心理学での「尊敬」とは、相手を見上げて敬う態度のことではなく、また別の意味らしい。

まずは、ありのままのその人を見るのです。あなたはまだ、なにも見ていないし、見ようとしていない。自分の価値観を押しつけようとせず、その人が「その人であること」に価値を置く。さらには、その成長や発展を援助する。それこそが尊敬というものです。他者を操作しようとする態度、矯正しようとする態度には、いっさいの尊敬がありません。

岸見一郎・古賀史健『幸せになる勇気』p.44


ただ「子どもたちの関心事」に関心を寄せるのです。あなたの目から見て、どんなに低俗な遊びであろうと、まずはそれがどんなものなのか理解しようとする。自分もやってみて、場合によっては遊ぶ。「遊んであげる」のではなく、自分自身がそれを楽しむ。そのときはじめて、子どもたちは自分たちが認められていること、子ども扱いされていないこと、ひとりの人間として「尊敬」されていることを実感するでしょう。

p.42


この本は『嫌われる勇気』よりも教育がテーマになっていることもあり、まさに子育てにも当てはまるな〜と思う。

「尊敬」は言い換えると、「対等に扱う」という感じだと思う。自分を下げることもなく、相手を見下すこともなく、相手も自分も対等で、自分の意見や評価や価値観を持ち出すことも、相手に押し付けることもせず、ただそのままの相手を見つめて、受け入れ、接する。相手の課題には介入しない「課題の分離」も関係している。


そして、アドラー曰く、教育に限った話ではなくあらゆる対人関係で求められる、尊敬の具体的な第一歩となるのが、「他者の関心事」に関心を寄せることだという。

「他者の目で見て、他者の耳で聞き、他者の心で感じること」

「もしもわたしがこの人と同じ種類の心と人生を持っていたら?」


それこそが共感であり、他者に寄り添う技術。技術である以上、努力次第で誰もが身につけられるものだと。



他者の目で見る
他者の耳で聞く
他者の心で感じる

あなたの目で見る
あなたの耳で聞く
あなたの心で感じる

もしも私があなただったら、世界はどう見えるだろう。どう聞こえるだろう。どう感じるだろう。

もしも私があなたと同じ心を持っていて、
あなたと同じ人生だったら。

私はあなた。あなたは私。



自分の価値観を持ったまま、相手と同じ立場に立つんじゃない。自分の目で、耳で、心のまま、相手の心を想像するんじゃない。それは、本当の共感じゃない。

自分自身の情報はなにもかも横に置き、存在すべてが相手になるということ。自分も他者も関係なく「この人間」だったらどう感じるかだけを、一生懸命に想像すること。



そのためにはまず、相手の事をしっかり見る必要がある。尊敬の心でフラットに、ありのままの相手を見て、観察して、まずは相手を知ろうと努めること。


何が好きなの?どうして好きなの?どんなところが面白いと感じるの?何に怒っているの?どうして怒りが湧いたの?怒りの奥にどんな悲しみが隠れているの?いま何を感じているの?あなたの関心事は何?何を見て、何を聞いて、何を感じているの?

本気で知ろうと思えば、聞きたい事、相手への興味はいくらでも湧いてくる。相手から明確な答えを得られなくても、一生懸命考えて関心のベクトルを相手に向ける。相手に関心を寄せる。その態度が、本当の意味での共感。


世間一般で考えられている共感、つまり相手の意見に「わたしも同じ気持ちだ」と同意することは、たんなる同調であって、共感ではありません。共感とは、他者に寄り添うときの技術であり、態度なのです。

『幸せになる勇気』p.55


辞書で「共感」の意味を引くと、2つの意味があることが分かる。

①他人の考え・行動に、全くそのとおりだと感ずること。同感。
②〔心〕〔sympathy〕他人の体験する感情を自分のもののように感じとること。

大辞林 第四版


例えばSNSで、誰かがつぶやく。「分かる!」「同じです」と同感することは、確かに日本語的には共感で正しいのだけど、心理学的には同調しているだけらしい。相手を自分の経験と重ね合わせて同意しているだけ。

本当の意味での共感とは、たとえ相手と同じ感情を自分が経験したことがなくても、「同じ立場に立ったら、きっとこう感じるだろう」と想像し、その感情を感じとること。自分の経験や価値観は関係なしに、ただひたすらに、相手になりきって相手の心に寄り添うこと。


「この花、可愛いね」に対して「そうだね」とただ同調するだけでなくて、「この人は今、この花を可愛いと感じているんだな」と寄り添う。

同調できない時は、嘘をついてまで迎合せずに、「そう思うんだね」と相手の気持ちをただ尊重する。


相手に意識のベクトルを向けるって、そういうことなのかな、と思った。



映画を見ても、物語を読んでも、まずは主人公に心を寄せてみる。

「自分だったらこんな風に言わないけどな」「なんでそんな行動するんだろう」とかいちいち自分を出さないで、まずは自分を忘れ、その人になりきってみる。その人の目線に立ち、その人の世界に没入する。

「自分がその人として生まれていたら。生きていたら」を常に意識する。


藤井風の歌に、よく「あなたとわたしは同じ」といった意味が出てくる気がする。すべての人間を分け隔てなく、性別も年齢も国籍も超えて対等に見ている感じの人類愛を感じる。

あなたはわたし わたしはあなた
みんな同じと気付いた時から
僕らは みな等しく光ってる

藤井風『grace』

君は誰なの 僕は君だよ
何も違わないよ

藤井風『ロンリーラプソティ』


藤井風、相手の心にスッと入るのうまいのかな。
徹子の部屋でも楽しそうだったもんな。
誰とでも遊べて友達になれそう。

私は大人になってから、すっかり友達の作り方を忘れてしまった気がするよ。


ありのままの相手を見る、相手に関心を寄せるってだけなのに、どうしてこうも難しいんだろう。

4歳の自由奔放な娘に、その辺りのコツ、教えてもらおうと思う。


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