他者に関心を寄せ、寄り添う技術
昨日の続きで考えたこと。
まず前提として、アドラー心理学での「尊敬」とは、相手を見上げて敬う態度のことではなく、また別の意味らしい。
まずは、ありのままのその人を見るのです。あなたはまだ、なにも見ていないし、見ようとしていない。自分の価値観を押しつけようとせず、その人が「その人であること」に価値を置く。さらには、その成長や発展を援助する。それこそが尊敬というものです。他者を操作しようとする態度、矯正しようとする態度には、いっさいの尊敬がありません。
ただ「子どもたちの関心事」に関心を寄せるのです。あなたの目から見て、どんなに低俗な遊びであろうと、まずはそれがどんなものなのか理解しようとする。自分もやってみて、場合によっては遊ぶ。「遊んであげる」のではなく、自分自身がそれを楽しむ。そのときはじめて、子どもたちは自分たちが認められていること、子ども扱いされていないこと、ひとりの人間として「尊敬」されていることを実感するでしょう。
この本は『嫌われる勇気』よりも教育がテーマになっていることもあり、まさに子育てにも当てはまるな〜と思う。
「尊敬」は言い換えると、「対等に扱う」という感じだと思う。自分を下げることもなく、相手を見下すこともなく、相手も自分も対等で、自分の意見や評価や価値観を持ち出すことも、相手に押し付けることもせず、ただそのままの相手を見つめて、受け入れ、接する。相手の課題には介入しない「課題の分離」も関係している。
そして、アドラー曰く、教育に限った話ではなくあらゆる対人関係で求められる、尊敬の具体的な第一歩となるのが、「他者の関心事」に関心を寄せることだという。
「他者の目で見て、他者の耳で聞き、他者の心で感じること」
「もしもわたしがこの人と同じ種類の心と人生を持っていたら?」
それこそが共感であり、他者に寄り添う技術。技術である以上、努力次第で誰もが身につけられるものだと。
他者の目で見る
他者の耳で聞く
他者の心で感じる
あなたの目で見る
あなたの耳で聞く
あなたの心で感じる
もしも私があなただったら、世界はどう見えるだろう。どう聞こえるだろう。どう感じるだろう。
もしも私があなたと同じ心を持っていて、
あなたと同じ人生だったら。
私はあなた。あなたは私。
自分の価値観を持ったまま、相手と同じ立場に立つんじゃない。自分の目で、耳で、心のまま、相手の心を想像するんじゃない。それは、本当の共感じゃない。
自分自身の情報はなにもかも横に置き、存在すべてが相手になるということ。自分も他者も関係なく「この人間」だったらどう感じるかだけを、一生懸命に想像すること。
そのためにはまず、相手の事をしっかり見る必要がある。尊敬の心でフラットに、ありのままの相手を見て、観察して、まずは相手を知ろうと努めること。
何が好きなの?どうして好きなの?どんなところが面白いと感じるの?何に怒っているの?どうして怒りが湧いたの?怒りの奥にどんな悲しみが隠れているの?いま何を感じているの?あなたの関心事は何?何を見て、何を聞いて、何を感じているの?
本気で知ろうと思えば、聞きたい事、相手への興味はいくらでも湧いてくる。相手から明確な答えを得られなくても、一生懸命考えて関心のベクトルを相手に向ける。相手に関心を寄せる。その態度が、本当の意味での共感。
世間一般で考えられている共感、つまり相手の意見に「わたしも同じ気持ちだ」と同意することは、たんなる同調であって、共感ではありません。共感とは、他者に寄り添うときの技術であり、態度なのです。
辞書で「共感」の意味を引くと、2つの意味があることが分かる。
①他人の考え・行動に、全くそのとおりだと感ずること。同感。
②〔心〕〔sympathy〕他人の体験する感情を自分のもののように感じとること。
例えばSNSで、誰かがつぶやく。「分かる!」「同じです」と同感することは、確かに日本語的には共感で正しいのだけど、心理学的には同調しているだけらしい。相手を自分の経験と重ね合わせて同意しているだけ。
本当の意味での共感とは、たとえ相手と同じ感情を自分が経験したことがなくても、「同じ立場に立ったら、きっとこう感じるだろう」と想像し、その感情を感じとること。自分の経験や価値観は関係なしに、ただひたすらに、相手になりきって相手の心に寄り添うこと。
「この花、可愛いね」に対して「そうだね」とただ同調するだけでなくて、「この人は今、この花を可愛いと感じているんだな」と寄り添う。
同調できない時は、嘘をついてまで迎合せずに、「そう思うんだね」と相手の気持ちをただ尊重する。
相手に意識のベクトルを向けるって、そういうことなのかな、と思った。
映画を見ても、物語を読んでも、まずは主人公に心を寄せてみる。
「自分だったらこんな風に言わないけどな」「なんでそんな行動するんだろう」とかいちいち自分を出さないで、まずは自分を忘れ、その人になりきってみる。その人の目線に立ち、その人の世界に没入する。
「自分がその人として生まれていたら。生きていたら」を常に意識する。
藤井風の歌に、よく「あなたとわたしは同じ」といった意味が出てくる気がする。すべての人間を分け隔てなく、性別も年齢も国籍も超えて対等に見ている感じの人類愛を感じる。
あなたはわたし わたしはあなた
みんな同じと気付いた時から
僕らは みな等しく光ってる
君は誰なの 僕は君だよ
何も違わないよ
藤井風、相手の心にスッと入るのうまいのかな。
徹子の部屋でも楽しそうだったもんな。
誰とでも遊べて友達になれそう。
私は大人になってから、すっかり友達の作り方を忘れてしまった気がするよ。
ありのままの相手を見る、相手に関心を寄せるってだけなのに、どうしてこうも難しいんだろう。
4歳の自由奔放な娘に、その辺りのコツ、教えてもらおうと思う。
