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意識における自己中心性/アドラー「他者に合わせる人こそ自己中」の補足


自分でも忘れかけていた自分の言葉が、知らないところで誰かの役に立っていることがある。

1年以上前に書いた記事に、今でも時々スキの通知が届く。例えばこれ。


それだけ共感してくれる人がいるということなのかな〜とは思っていたが、別にそこまで深い内容でもないし、斬新な視点でもない。ただ『嫌われる勇気』のアドラー心理学について、私なりの解釈や感覚を言語化してみた、という程度の認識だった。


その記事に先日、こんなコメントを頂いた。

今までずっと抱えてきた解決できない問題のヒントをもらえました。
嫌われる勇気も読んだけれど読み方が浅かったのかmomeさんのような解釈まで辿り着けなかった。ありがとうございます。

Mieさんのコメント


何者でもない私の解釈が、少しでも誰かの役に立てたと知ることができ、嬉しかった。人の役に立つことについては、アドラー心理学でも重視されている。

人は感謝の言葉を聞いたとき、自らが他者に貢献できたことを知ります
(中略)
たとえば、どうすれば人は"勇気"を持つことができるのか?アドラーの見解はこうです。「人は、自分には価値があると思えたときにだけ、勇気を持てる」。

『嫌われる勇気』p.205

共同体、つまり他者に働きかけ、「わたしは誰かの役に立っている」と思えること。他者から「よい」と評価されるのではなく、自らの主観によって「私は他者に貢献できている」と思えること。そこではじめて、われわれは自らの価値を実感することができるのです。

p.206


感謝されることそのものが重要なのではない。それは分かりやすいきっかけに過ぎず、大事なのは「役に立てた」と主観的に実感できることだ。

極端に言えば、たとえ「ありがとう」と言われなくても「私は誰かの役に立てている、貢献できている」と自分が思えるだけで良い。


それでもやっぱり、感謝の言葉をもらえると「役に立てた!」と自信を持って言えるし、何も言われないよりは言われた方が誰だって嬉しいものだ。


なのでMieさんには、こちらこそありがとうございます、と言いたい。スキを押すだけでも十分なものを、わざわざコメントまでしてくださって。言葉にしてくださって、ありがとうございました。


とはいえ、コメントでは「解決できない問題」の中身までは分からなかったので、「他者の目を気にしすぎて、周りに合わせてしまうことが悩みなのかな」と思った。職場の人間関係とか友人関係とか、そういう社会での関係性の話かなと。


その後、Mieさんが新しい記事を書かれていたので読んだら、私が思っていたよりももっと距離の近い関係性の話だったことが分かった。

「他者に合わせる」と聞くと、職場の人や友達や恋人など一緒には住んでいない「少し距離のある他者」のことだとなぜかイメージしていたが、確かに「他者」とは距離感や同居の有無に限らず、自分以外の人を意味する。どうして私はそんな思い込みをしていたのだろう?新しい気づきを得られた。


Mieさんが本気で変わろうとしていることが、文面から伝わってきた。私も全振りで相手のことを考えられる人になりたい。


そして、改めて今、自分の書いた記事を読んでみると「自己中」という言葉だけでは、まだ説明が足りていないような気がした。なんだか掘ればもっと新しい何かに気づけるような気がするというか…。




こういう時は、言葉の定義の深堀りに限る!

最近、ドラマ『舟を編む』に感化されて大型辞書『大辞林』を買ったので、早速意味を引いてみた。「自己中心」と言う項目はなく、「自己中心性」という項目が載っていた。

「自己中」というと普通は「自分勝手、わがまま、利己的」というネガティブな意味を頭に浮かべると思う。

【自己中心性】
物事を自分を中心にしてとらえ、他人を考慮しないこと。エゴイズムとは異なる。

大辞林 第四版より
(太字は私の独断で)

利己的とは書いてなかった。

エゴイズムとは異なる…?
じゃあ、エゴイズムの定義は?

【エゴイズム】
自分の利益だけ重んじる考え。自分本位の考え方。利己主義。


自分の利益を重視するのがエゴイズムで、単純に自分中心に物事を考える自己中心性とは違うらしい。

エゴイズムはズルさや狡猾さを含んでいる感じ?悪い印象。要はスリザリンか。(ハリポタに置き換えがち)

自己中心性は利益や善悪は関係なく、どちらかというと幼稚性に近い感じがした。シンプルに判断基準が自分の経験や感覚、という感じ?

では、「利己主義」とは?

【利己主義】
自分の利益を最優先にし、他人や社会全般の利害などを考えようとしない態度。身勝手な考え方。エゴイズム。自己主義。↔︎利他主義


「利他主義」も一応。

【利他主義】
自分を犠牲にしても他人の利益を図ること。②〔仏〕自己の善行の功徳によって他者を救済すること。↔︎自利

仏教では自己犠牲の意味は含まないのかな?



それから、他者に合わせてしまう態度は、「迎合」という言葉が適切ではないかと思った。

【迎合】
相手の気に入るように努めること。相手に合わせて自分の意見や態度を変えること。

【迎合主義】
相手の意向に従おうとする生活態度。

相手軸



自由、自律も調べた。

【自由】
からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意志や本性に従っている・こと(さま)。自らを制御する自律性、内なる必然から行為する自発性などがその内容で、これに関して当の主体の能力・権利・責任などが問題となる。

他ではなく自分!

【自律】
からの支配や助力を受けず、自分の行動を自分の立てた規律に従って正しく規制すること。

自分で自分をコントロール



つまり自由とは、迎合の真逆ではないかと思われる。

他は関係なく、自分の意志で自分の行動を選び、決めること。その責任を負うこと。責任を負う勇気を持つこと。

そういう意味では、自由もまた、自己中心的なものと言える。自己中、万能ワード。



前置きがかなり長くなったが、私が引用したアドラーのいう「自己中」は、利己主義でも利他主義でもない。他者に合わせる人が「自分の利益最優先」だとか「自分を犠牲にしている」とかそういう意味ではない。

ワガママや狡猾さといった"人格"や性格"に関する話ではなく、シンプルに"意識や関心の方向"の話。

「他者を目の前にしたとき、自分の"意識の矢印"がどちらの方向を向いているのか?」という意識や関心の向け方の話。(私は"矢印"より"ベクトル"という表現のほうがしっくりくるので以降は"ベクトル"と呼ぶ)

①私→他者(そのもの)→他者への関心
自分ではなく他者に意識のベクトルが向いている

②私→他者(が私をどう思うか)→私への関心
自分にベクトルが向いている=自己中心的

私なりの解釈


私たちが他者に合わせてしまうとき、自分では優しさから他者のことを思っているつもりでも、実際は「自分は嫌われていないか?私はどう思われているか?」といった、他者の中の「自分の評価」ばかり気にしていることが多い。

意識のベクトルが自分に向いているのであれば、それは他者への優しさなんかではなく、自分への関心、自分のため、つまり「自己中心的」ということではないか、という意味。




本気で自分の評価がどうでもいいのであれば、「相手は自分のことをどう思っているか」とか「相手は自分を嫌っていないか」とか、全く気にならないはずだ。

生まれたての赤ちゃん相手に「この子は私のことを嫌わないか」と不安に思う人はいないと思う。だって絶対に自分の評価どうこうは無いと分かっているから。自分→赤ちゃんの一方的なベクトルしかないから。だから純粋に「可愛い〜」と安心して見ていられる。


それが相手が大人になった途端、「嫌われないか」と不安になる。他者の目が気になる。

相手に嫌われたくないから、相手に合わせる。
嫌われるのが怖くて、自分の意見が言えない。


だけど、そんな自分を、もう変えたい。
本当は、そんな臆病な自分が嫌だ。

そう思っている人は多いはずだ。
私もその一人だから。


それでは、具体的にはどうしたら意識のベクトルは自分自身から他者のほうへ向けられるんだろう?と、Mieさんの記事を読んで以来、ここ数日考えていた。

その切り替えのコツを、もっとうまく言語化できないだろうか?


何か、良い呪文はないだろうか?
(「人は人、自分は自分」「100年後はみんな死んでる」のように、つぶやくだけで思考を切り替えやすいシンプルな言葉を私は"呪文"と呼んでいる)

『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』に良いヒントはないか?



と、本や辞書を読んではノートに書き、ぐるぐる考えている。明確な答えはまだ出ない。


長くなったので今日は一旦ここまでにするが、たぶん、この辺にヒントがあるんじゃないかと思っている。

・「他者の関心事」に関心を寄せよ
・他者の目で見て、他者の耳で聞き、他者の心で感じること
・共感とは、他者に寄り添うときの技術であり、態度
・技術である限り、身につけられる
・共感を寄せながら、対等な存在として接する、相手を尊敬する

岸見一郎・古賀史健
『幸せになる勇気』より要約


そして思い出した。

ディズニー映画の『マイ・エレメント』で、水のウェイドがこのスキルを持っていた。(彼は天性だが)

いつもウェイドが、あまりにナチュラルに相手の立場に立ち共感するので、炎のエンバーが「それどうやるの!?心に入ってくる」と聞くシーンがあった。たぶんあれ。あれが共感スキル。


自分を忘れ、他者の心にスッと入ってしまうスキル。私の目標はあの人。ウェイド。


またその辺、言語化できたら書く。
今日は一旦、さようなら。

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