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【小説】12時間の自由時間――心疲れては戦はできぬ

<まえがき>
昨年、急な思いつきから軽いノリで初めて小説を書いてみたところ、途中でやる気が失せ、そのまま筆を置いた。「私には才能がない、もう二度と小説など書くものか」とその時は本気で思っていたが、人の心は移ろうもの。年が明けたらまた書く気が湧いてきた。クオリティには自信がないが、せっかく書いたし、勇気を出して公開してみることにした。

テーマは「時間」。時間に追われる現代人へ贈ります。(8000字超えです笑)



【小説】

『12時間の自由時間
――心疲れては戦はできぬ』




腕時計をチラッと見る。よかった、今日はお迎えに間に合う。改札を抜け、駅前の本屋を横切る。派手なPOPの文字が視界に入る。どうやらあの小説家が数年ぶりに新作を出したらしい。読みたい。でも、レジに並ぶ時間は、ない。

心のつぶやきに返事をするように、ポケットのスマホがブーッと鳴った。夫からのLINEだ。

《ごめん、残業と飲み会になった。ご飯は大丈夫》

ああ、またか、事後報告。
返事を打つ前に、一瞬だけ画面を見つめる。

《分かった》




時短勤務からフルタイムに戻って、もう半年。いつからか、夫とのLINEはただの業務連絡ツールと化した。

18時に私の仕事が終わる。駅に直行して、保育園へ向かう。まだ3歳の息子。寂しい思いをさせていることは分かっている。

けれど、正社員の椅子をそう簡単に手放す勇気は、私にはない。







眠い。時計を見ると、朝の6時。隣では夫が気持ちよさそうな顔で眠っている。昨夜はベロベロに酔った姿で帰ってきた。もちろん終電で。

今日は土曜日なので早起きする必要はなかったのだけど、息子に顔を叩かれて起こされてしまった。なぜ子どもは、休みの日に限って早起きなのだろう?


二度寝は諦めて、リビングへ行く。息子はすでにおもちゃで遊んでいた。ソファに座り、スマホでニュースアプリを開く。平日の習慣が休日も抜けない。見出しを目で追うものの、いまいち頭に入らない。あぁ眠い。


テーブルの上に、保育園の連絡帳が無造作に置いてあった。何かのお知らせだろうか、紙が挟まっている。二つ折りの紙を開くと、上部には「保護者各位」の文字。


《ケアラーリフレッシュ制度開始のお知らせ》


聞き馴染みのない言葉だった。また新しい子育て支援サービスかな。本文を読もうとしたその時、

「ママー!」
息子に呼ばれ、顔を上げる。
「はーい」
返事をして立ち上がった時には、すでに紙への関心を失っていた。まだ、夫は起きてこない。






「はあ……」
私はソファにドサっと倒れ込んだ。

仕事中に保育園からの呼び出しの電話があったのが14時。息子がまた発熱したのだ。今月は夫の仕事が忙しいので、何かあれば私が休む約束になっていた。やりかけの仕事を急いで切り上げ、チームのみんなに何度も頭を下げて謝りながら、保育園へ向かった。


息子の顔色は思ったより良さそうだったものの、確かに熱は高かった。すぐに小児科に連れて行けたが、混んでいたので30分ほど待たされた。まぁ、子育て世帯が多い地域なのでいつものこと。もう慣れっこだ。

薬を受け取り、ようやく帰宅できたのが17時過ぎだった。熱があるわりには元気そうで、息子は帰るなり早速おもちゃで遊び始めた。


「疲れた…ちょっと休憩…」


まだ熱が高いので明日も保育園は休まなければならない。そうだ、明日も休むこと、職場にも連絡しないと。あー気が重い。早く夜ご飯も作らないと……でも面倒だなぁ。今日は息子用のご飯だけ作って、大人は出前にしちゃおうか。


ふと、ソファの下に何か落ちているのに気付いた。手を伸ばす。何日か前に見たリフレッシュなんちゃらの紙だ。

「ああ…なんだっけこれ」

軽い眠気に襲われながら、ぼんやりと紙の文字を眺めた。「12時間の自由時間」や「休息」の文字が目に飛び込んできた。


「12時間か…いいなぁ…」


12時間あれば、ぐっすり朝まで眠れるし、ゆっくりドラマを見ることもできるな……でも、きっと私は対象じゃないんだろうな。私より大変な人は、たくさんいる。


自分は対象外だと思いながらも、ぼんやりした頭のまま、最初から目を通してみた。別に興味があったわけじゃない。職場への電話やご飯のことを考えるのが嫌で、それを少しでも先延ばししたかっただけ。


制度の目的だとか、社会的背景だとか、難しい言葉がいくつも並んでいた。正直そこはあまり頭に入らなかった。ただ「12時間の自由時間」というワードだけが、やけに印象に残った。


介護や育児などで、いつも誰かの世話をしている人が、有給のように、月に一度だけ12時間、自由な時間をもらえる制度が始まるらしい。手当として5,000円も支給される。詳しいことはよく分からなかったが、思ったより現実的な数字だと思った。

ただし、誰でも使えるわけではなく、条件があって審査や面談もあると書いてあった。


やっぱり私には関係ないかな。立ち上がり、紙をゴミ箱に捨てようとして、手を止めた。


……いや、でも。

「もしかしたら私も…?」という淡い期待が、ゆっくりと胸の中に広がっていく。



「お問い合わせはこちら」と書かれた連絡先を見ると、行政の子育てサポート課だった。保育園からお知らせが配られたのは、保育園側も行政と密に連携する必要があり、そのサポート体制がようやく整ったからだとか、そんな理由だった。



試しに電話してみようか……
そんな考えが頭をよぎる。

いや、今はそれどころじゃない。まずは職場に電話しないといけないし、息子のご飯も作らないと。

少し迷った末、とりあえず今度、ダメ元で電話してみようという結論に至り、冷蔵庫に紙を貼った。


スマホを取り出して、職場に電話をかける。
ああ、有給は残り何日だったっけ……。



気づけば、あれから三週間が経っていた。あの後、半信半疑のまま電話をした。言われるがまま何枚か書類を書き、簡単な面談を受け、審査が通った。覚悟していたよりも、あっさりだった。


面談の時、担当者の男性が説明していた。夫婦の退勤時間や残業、送り迎えの記録なんかを、AIがまとめて判断するらしい。正直、細かい仕組みはよく分からなかった。



ただ、「お母さんの場合は、ほとんど通りますよ」と言われて、少し安心して、少しだけ、何かが引っかかった。




担当者曰く、子育てや介護を一人で背負い込んでストレスや過労で心身が限界になる前に、少しでも休んでもらうための制度で、国が進めている施策の一環らしい。



「限界になる前」という言葉が、なぜか耳に残った。



そうして、あっという間に制度利用の初日がやってきた。スタートは何時からでもいいらしい。ひとまず私は、朝9時から夜9時までを選んだ。


「じゃあ、よろしくお願いします。迎えは夫が来ますので」

「はーい!今日は気兼ねなくリフレッシュしてきてくださいね!」

保育園の先生はそう言うと、息子と手を繋いだ。

「ままばいばーい!」

息子は笑顔で私に手を振りながらドアの向こうに消えた。そういえば、入園当時に比べて、朝のバイバイで泣くこともずいぶん減った。



保育園を出る。いつもなら駅に急ぐ時間。でも、今日は急がなくていいんだ。今日だけは、電車の時間を気にして走らなくてもいいんだ…!


なんだか不思議な気分だった。育休も時短勤務も、全ては子どものためだった。でも、今日は違う。子ども向けの場所へ行く必要もないし、お迎えの時間を気にする必要もない。


好きなところで、好きなことをしてもいい。

「でも、何をすれば…?」


あれだけ欲しかった自由時間のはずなのに。昨日までは「あれしようこれしよう」とワクワクしながら考えていたのに。

……あれ、おかしいな。



とりあえず、あの駅前の本屋に入ってみることにした。確か先月くらいに、私の好きな小説家が新作を出していたはずだ。

一人でふらっと本屋に入ることなんて、子どもを産んでからはおそらく一度もない。この、本屋独特の空気。懐かしい…独身の頃はよく仕事帰りに立ち寄ってたっけ。

新作コーナーでお目当ての一冊を見つけ、手に取る。なかなか分厚い。パラパラとめくり、物語の雰囲気を見る。今回も殺人系か…。好きだけど、ちゃんと読めるだろうか。


しばらく、立ったまま迷った。ページ数からして、今日中に読み切ることはいくらなんでも無理だ。けれど、今日は私だけの日。読みきれなければ来月の12時間だってある。せっかくのリフレッシュ、好きなことをしないでどうする!


薄い紙袋を小脇に抱え、本屋を出る。まだ読んですらいないのに、本を持っているだけで、楽しかった。新刊の小説を買うなんて、いったい何年ぶりだろう。



カフェで読むか、家に帰って読むかで迷って、カフェで読むことに決めた。出産前によく夫と行っていたあのお店、まだあるかな。


駅から少し歩いていくと、そのカフェはまだあった。数年前の記憶と変わらない姿で。

店に入る。店内は空いていて、窓際の席に座ることができた。時計を見ると、まだ9時半。コーヒーを注文し、早速本を開いた。久々に、子どもの頃のようにワクワクしているのを感じた。



読書の素敵なところは、一瞬で別世界へ連れて行ってくれるところだと思う。活字を目で追っているだけなのに、意識はまったく別の場所にある。まるで、心だけテレポーテーションしているような気分になれる。


サスペンス系は私が一番好きなジャンルだ。日常で犯罪に巻き込まれるのはもちろんごめんだ。なのに、フィクションだとなぜか楽しい。犯人は誰なのか、動機はなんなのか、この後何が起きるのか、スリルを感じながらハラハラするのが楽しい。


現実で一番ハラハラするのは、仕事が繁忙期の時の息子の体調不良と、残業でお迎えに間に合うかどうかの瞬間だ。スリルを楽しむ余裕などない。現実のハラハラは、ただ胃にくる。




店員さんにコーヒーのおかわりをお願いし、ふと時計を見る。10時半。え、すごい。1時間も集中して読書ができた。嬉しい。思わず口元が緩む。


さりげなく周りを見ると、新聞を読むお年寄りと、話に夢中なマダム達がいるだけだった。駅近のカフェなのに、平日はこんなに静かなのか。


おかわりのコーヒーが来た。一口飲み、窓の外に目をやった。駅の方へ早足で歩く大人や学生らしき若者の姿が見えた。あの光景が私の日常だなんて、今はまるで他人事のように感じられた。




手元の本へ目線を戻す。物語はまだ序盤だ。けれど、焦って読み進める必要はない。まだ、時間はたっぷりとある。職場や保育園から電話がかかってくる心配もない。もし何かあっても、今日は夫に連絡がいく。





フルタイムになってまだ半年。だけど、この半年間はずっと気が張っていて、息苦しい感じがしていた。仕事が休みの日も家事や育児に追われて、余裕がなかったし、いつもいつも時間を気にしていた。そのことに気づいてすらいなかった。


…バカみたい。

まるで、この半年間「時間を守るためだけに」仕事や子育てを頑張ってきたように思えてきた。そんなの、おかしい。何かがズレている。

私はただ、大好きな人たちと明日も生きていくために頑張ってきたはずなのに…




なんだか、胸の奥が静かに沈んでいくのを感じた。

時間ばかり気にしていた自分。
いつも何かにハラハラしていた自分。

大人というのは、こんなにも息を詰めないと、平凡にさえ生きられないものなんだろうか。





静かなカフェでひとり、そんなことをぼんやり考えた。まだ初日なのに。一時間ひとりになる時間くらい、これまでもあったはずなのに。


目を閉じて、深く息を吸う。
ゆっくりと、息を吐く。


それだけで、胸の奥がほんの少しだけ軽くなったのを感じた。






ふと、面談の時に聞いた「限界になる前」という言葉が脳裏に浮かぶ。


私はまだ、全然限界じゃない。朝まで眠れているし、体も元気だ。夫や保育園や職場の協力もある。恵まれている方だ。

だけど、この生活をこのまま2年、3年と続けていけるか、本当はずっと不安だった。常に時間に追われていて、こうして立ち止まって振り返る余裕すらなかった。

今はまだ大丈夫でも、あのまま走り続けていたら、いつか限界が来るのは、明らかだった。


ーーー限界が来てから休めばいい、じゃ、遅いことだってあるんですよ。


担当者は静かな声でそう言っていた。この人自身も、きっといろんな経験をしてきたのだろう、と思った。詳しいことは聞かずとも、それを感じさせる表情だった。



スマホを取り出す。20:30にアラームをセットした。今日はもう、このアラームが鳴るまで時計を見ないようにしようと決めた。時間を気にせず、思いきりのんびりしてやるんだ。




小説は、すでに中盤に差し掛かっていた。殺人事件の現場にいた私は、カランカランと鳴る優しいドアベルの音と「いらっしゃいませ〜」という店員の声に、自分が今、本来はカフェにいたことを思い出す。


軽く息を吐きながら、本をぱたんと閉じた。続きが気になるけれど、今日はここまでにしよう。また次の時に読めばいい。


そう、今の私には「次」がある。またこうして、のんびり読書できる時間は、必ず作れるのだ。「今日中に読み終わらないと」と焦る必要はない。


なんだか…不思議。たったそれだけの小さな希望があるだけで、こんなにも心に余裕が生まれるなんて。




少しお腹が空いてきたので、場所を変えて何か食べることにした。確か、この近くに美味しいラーメン屋があったはずだ。お昼はそこにしよう。

ラーメン屋にひとりでふらっと入るのも、何年ぶりだろう。



ラーメンを待つ時間さえも、今日はなんだか楽しい。カフェとは正反対の騒がしい空間なのに、それが不思議と心地よかった。



しかし、注文したラーメンがなかなか来ない。隣の席の女性が食べながら何度もスマホに目を落としていた。それにつられるように、私も無意識にスマホを取り出してしまった。待受にしている息子の写真。否応なく目に入る、大きな時間表示。

ーーーいけない。今日は見ないと決めたんだった。




「お子さんですか?可愛いですね」

突然、隣の女性が話しかけてきた。40代前半くらいだろうか。美人だけれど、少し疲れた印象だった。

「あ、はい。ありがとうございます」

こういう時、なんと返したらいいのかいつも分からない。お礼を言いながら、スマホを鞄にしまった。


顔を上げる。女性はまだこちらを見ていた。私はあまり社交的なタイプではないので、正直それ以上会話を続ける気はなかったのだが、ラーメンも来ないし、今日は急いでいるわけでもないし、まぁいいか…と思えた。何を言うべきか言葉を探していると、女性がまた口を開いた。

「育児はいいですよね。可愛いし、終わりがあるし。うちは介護で…親がもう八十を過ぎて色々大変で。育児と違って、あと何年って目安もないし」


責める口調でも、怒っているわけでもなさそうだった。ただ、事実を置いただけ、という感じだった。私は「そうですよね」と言うのが精一杯だった。


私たちの会話を遮るように、私のラーメンが来た。女性は「あ、初対面なのにすみません、いきなりこんな話…。忘れてくださいね」と言い、伝票を手に取り席を立った。去り際、少しバツの悪そうな顔で軽く会釈をされたので、私も同じように会釈を返した。



熱々のラーメンを食べながら、私はさきほど言われたことを考えていた。


「育児には目安があり、終わりがある」と彼女は言った。確かに育児は「あと4年で小学校入学」「あと3年で高校卒業」といった分かりやすい区切りがある。

一方、介護は「あと何年で一区切り」といった目安がない。終わりはいつか必ず来るだろうが、この生活がいつまで続くのか先が見えない。明日か、はたまた20年後か。

成長していく子どもと違い、老いていく過程で出来ないことも少しずつ増えていくだろう。そんな親の姿をそばで見続けるのは、色々と胸に来るものもあるだろう。

何より、私の育児は自分で選んだ道だ。
でも、彼女の介護は……たぶん、そうじゃない。


ーーあの人、リフレッシュ制度の申請したかな。


そういえば、「腹が減っては戦はできぬ」なんて言葉があったな、と思い出す。

仕事も、育児も、介護も、なにかとずっと踏ん張り続ける毎日だ。一人ひとりの、内なる戦だ。腹が減っては戦えないのと同じように、心がすり減って疲れていては、やっぱり全力でなど戦えない。


今日のリフレッシュは、また明日から始まる戦へ立ち向かうための、ひとときの休戦なのかもしれない。

ラーメンをのんびりすすりながら、そんなことをぼんやり考えていた。



私は、すでに手持ち無沙汰になりつつあった。ラーメン屋を出たあと、やりたいことが特に思いつかなかったのだ。小説の続きを読むのもいいかなと思ったけれど、なんとなく読書の気分でもない。満腹で、少し眠かった。


今、何時くらいだろう。カフェを出たのが昼過ぎで、ラーメン屋に30分ほどいたから、まだ13時前後だろうか。


自由時間を切り上げて、息子のお迎えに行ったっていい。そう思いながらも、自然と足は保育園とは反対の方向に向いていた。


結局、普段はなかなかゆっくり見られない洋服を見ることにした。子どもを連れていると試着も落ち着いてできない。今日は時間がある。気に入ったものがあれば、買えばいい。

駅前の大きなショッピングモールを、目的もなく歩いた。洋服だけでなく雑貨や靴も眺めて、気がつけば、久しぶりに「買い物を楽しんでいる自分」がいた。


外に出ると、ランドセルを背負った小学生たちが下校していた。

——もう、そんな時間か。

時計を見なくとも、太陽の位置や街の雰囲気でだいたいの時間は分かる。



なんとなく、また本が読みたくなった。駅の反対側に、最近オープンしたばかりのカフェがあったはずだ。朝からずっと駅周辺をうろうろしているけれど、今日はリフレッシュ初日だ。まずは駅前から攻めよう、と開き直る。




近道になるので、駐輪場を横切ることにした。少し向こうで、リュックを背負った高校生らしき女の子が、下を向きながらウロウロしているのに気づいた。探し物だろうか。


いつもの私なら、きっと声をかけていなかった。時間に追われて、足早に通り過ぎていたと思う。でも、今日は違う。まだ時間はある。小説の続きは、また今度でもいい。



「どうしたの? 探し物?」

私が声をかけると、少女は顔を上げた。今にも泣き出しそうな表情をしている。

「あっ…はい…自転車の鍵、なくしちゃって」
「え、それは大変。どんな鍵? 私も探すの手伝うよ」
「えっ、いいんですか? すみません…ありがとうございます。赤いリボンがついてる鍵です」
「最後に見たのは、いつか分かる?」
「今朝、鍵を閉めたあと、カバンに入れた覚えはあるんですけど…今出そうとしたら、見つからなくて」


彼女にはもう一度カバンの中をよく見直してもらい、その間に私が地面を探すことにした。


高校生の頃、私もよく自転車の鍵をなくした。不安で焦る、あの感じ。思い出すだけで胸がきゅっとする。自転車の鍵ひとつで人生が終わるわけじゃないのだけれど、無くし物というのは、何度経験してもやっぱり怖いものだ。それでも、何度鍵をなくしても、どうにかなってきた。

今はただ、一生懸命、探そう。





「あっ!!」


しばらくウロウロして、駐輪場の出口あたりのところで、赤いリボンがついた鍵が落ちているのを見つけた。拾い上げ、すぐに彼女のところへ走る。


「これかな!?」


私の声に、カバンの中を必死に探していた彼女が顔を上げる。パッと表情が明るくなった。


「あっ!そうです!それです!ありがとうございます!!」


私は彼女に鍵を渡した。渡す瞬間にチラッと見えた彼女の手は、高校生にしては随分と荒れているように見えた。


「本当にありがとうございます!急いで帰らなきゃいけなかったので、本当に助かりました!!」

何度も深々とお辞儀をされて、逆に恐縮してしまう。

「お役に立てて良かった。大丈夫?塾か何か?遅刻しちゃう?」

「いえ、母と弟が家で待ってるので、早くスーパーに寄って帰らないといけなくて」

「そうなんだ。気をつけてね」


高校生がスーパー?と一瞬思ったが、それ以上は聞かないでおいた。あの手荒れといい、何か事情があるのだろう。もしかしたら、彼女もまたケアラーなのかもしれない。


「本当にありがとうございました!!」

最後に彼女が、またお礼を言う。今時珍しい、しっかりお礼が言える良い若者だ…などと急におばさん目線になりながら、自転車に乗って去っていく少女の背中を見送った。



それにしても。
意外とすんなり鍵が見つかって本当に良かった。
役に立てて、本当に良かった。


「時間に追われない」というのは、ただ心が穏やかでいられるというだけじゃなくて、誰かのために、立ち止まれる余裕を持てることなのかもしれない。


そういえば、あの子は、リフレッシュ制度のことを知っているだろうか。いや、赤の他人の私が踏み込むことじゃないか。そもそもケアラーかどうかも分からないし。

それでも、そんなことを考えてしまうくらいには、今日は少しだけ、心に余裕があった。




高校生のあの若々しい元気な笑顔を見たら、なんだかカフェに行く気がなくなってきて、代わりに、無性に息子と夫の顔が見たくなってきた。

そうだ。
今夜はふたりの大好きなものを作って、家で待っていよう。「おかえり」って出迎えよう。

それが良い。
私が今一番やりたいことは、それだ。


スマホを取り出して、20:30のアラームを解除した。





よし、スーパーへ行こう。

駐輪場の出口へ向かう私の足取りは、
いつもより軽やかだった。


〔完〕




<あとがき>
やっぱり、小説は難しい…。内容はほぼ自分で決めて、細かい点はAIに相談しながら修正したけれど、文字数が多くなってしまった。(短編小説ならこんなもんか?)

最後に。この小説を通して伝えたいことは…

ときには、時間に縛られない時間を過ごそう!

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