張り切って妄想小説を書こうとしたものの
先日シャワーを浴びていたら、ふと、こんなアイデアが降りてきた。
私が独裁者なら、世のお母さんに月1回、12時間のひとりの時間と、自分のために使っていい5000円をプレゼントする
12時間あれば、結構好きなことができる。
例えば、朝9時から夜9時まで。家族に外出してもらって家でのんびり読書をしてもいいし、逆に自分が出かけてもいい。
またある時は、夜10時から朝10時まで。朝までぐっすり寝てもいいし、夜中3時まで夜更かしをしたとしても、7時間も寝られる。
月に一度の自由時間。1回きりじゃないから、次回を楽しみに、また1ヶ月頑張れる。お母さんがご機嫌だと、家族もハッピー。
ああ、いいなぁ。
私も自由な12時間、欲しいな。
(もうすぐ5歳になる娘の子育て中)
細切れのトータル12時間では意味がない。誰にも邪魔されない、中断されない、自由を確約された12時間が欲しいのだ。子育ては常に「中断」との戦いなのだ。
↓ネットニュースで見て共感したやつ
家事育児の何がしんどいって「中断」よな。洗い物してる途中で「ママ!」「ママー!」洗濯物干そうとした瞬間「ママ見て!」で、全部ストップ。没頭できる幸せなんて考えたこともなかったのに、子育てで初めて知ったわ……。
— ズボラかーちゃん (@zubora_kachan) February 16, 2025
いや、そんなの、子供が大きくなるまでの辛抱だ。子供が大きくなったら、自由時間なんてまたいつでも作れる。
しかも、その時は想像以上にあっという間に訪れる、らしい。先輩ママ達は口々に言う。
「もっとたくさん抱っこしてあげればよかった」
「家事なんてテキトーでいいから、もっと話を聞いてあげればよかった」
「5歳の時の息子にもう一度だけ会いたい」
後悔を漏らす。その目はちょっぴり寂しげで、こっちまでちょっと切ない気分になる。どれほど惜しんだって、もう二度と戻らない、かけがえのない日々。今しかない子供との時間よりも自分の時間を優先したいだなんて、母親失格なのだろうか…
あっ、そうだ。お母さんだけじゃなくて、シングルファザーや介護を頑張っている人たちも対象にしなきゃ!子育てに限らず、「自分以外の誰かのお世話を頑張っている人たち」が対象。
「今日、飲み会になった。ご飯いらない」と事後報告できちゃう人、時間を気にせず思いつきでふらっと本屋やカフェに立ち寄れる人は、男女問わず対象外にするのはどうか?うん、そうしよう。なんせ私は、この世界では独裁者なのだ。
5000円の使い道も、意外と幅広い。豪華ランチを食べてもいいし、文庫本を買い漁ってもいい。ちょっとしたエステに使ってもいいし、映画館で映画を2本続けて観るのもいい。子供のためにおもちゃを買うのもいいし、使わないで貯金するのでもいい。12時間もいらないなら、3時間で帰ってきて、残りの9時間はいつかのために繰り越してもいい。
有給のようにまとめて取るのもOK。
2回分なら、24時間、1万円。
しかし、合算は6回分まで。
上限72時間、つまり3日間の3万まで。
上限がないと、さすがにキリがない。
「1年我慢して、6日間、6万使う!」はナシ。
日頃の疲れを溜め込みすぎる前に、ちょっとリフレッシュしてもらうこと。それが目的だからだ。我慢されちゃあ、本末転倒。有給を真似して、年に6回の取得は義務化しよう。
そうなると、その間の保育や介護や仕事や家事はどうしようか?どうしたら子供や介護される人たちに皺寄せがいかず、誰もが気持ちよく過ごせるだろうか。どんな制度ならば、抜け穴や矛盾が少ないだろう?
考え出すと、あれこれ設定が思い浮かぶ。
ああ、こんな世界だったらいいのにな。あ、そうだ、こうしたらどうだろう?こういうのはどうだろう!?
妄想が止まらず、だんだん楽しくなってきた。
ああ、楽しい!自由だ!想像は、自由だ!!
いっそのこと、この設定で妄想小説にしちゃうのはどうだろう!AIに添削してもらえば、ちょっとは小説らしくなるかも。うん、やってみよう。ああ、考えるだけで楽しい!書けるぞ!きっと書ける!!
早速、Chat GPTに相談する。
小説を書くことにした。矛盾を指摘したり、批判して、一緒にブラッシュアップしてほしい。
もちろん、即レスである。
いいね。喜んで一緒にやるよ。
できることは、たとえばこんな感じ↓
設定の矛盾チェック、不自然な点や説明不足の指摘、率直な批評など、できることの例を一瞬で出された。
はっや。編集者の仕事も将来AIに奪われてしまうのだろうか。
アイデアを伝えて、指摘をもらい、ちまちまと素直に修正。
独裁者目線でのストーリーはあっさり却下され、その制度を利用する一人のお母さんの目線で小説を書くことになった。自由時間を通して、自分の本当にやりたいことや好きなことはなんだったっけ、と自分の心を見つめ直す。よくある、ありきたりなストーリーである。
冒頭は、ある程度まとまった文章になった。
① 冒頭:いつもの“逃げ場のなさ”
腕時計をチラッと見る。よかった。今日はお迎えに間に合う。改札を抜けて、駅前の本屋を横切る。派手なPOPの文字が視界に入る。どうやらあの小説家が数年ぶりに新作を出したらしい。読みたい。レジに並ぶ時間は、たぶんない。心のつぶやきに返事をするように、ポケットのスマホがブーっと鳴った。夫からのLINEだ。
「ごめん、飲み会になった。ご飯は大丈夫」
ああ、またか、事後報告。返事を打つ前に、一瞬だけ画面を見つめる。
「分かった」
時短からフルタイムに戻って、もう半年。いつからか、夫とのLINEはただの業務連絡ツールと化した。
18時に仕事が終わる。駅に直行して、保育園へ向かう。まだ3歳の息子。寂しい思いをさせていることは分かっている。けれど、正社員の椅子をそう簡単に手放す勇気は、私にはない。
おお!ぽいじゃん?ちょっと楽しい。もし上手いこと書けたら、noteで公開してみるか!?イケるか!?
指摘を反映させながら、その続きを書く。
② 転:通知 or 張り紙 or アナウンス
眠い。隣では夫がまだ寝ている。当然だ、なんせ夜中にベロベロになって帰ってきた。二次会後の終電で。今日は土曜なので早起きする必要はなかったのだけど、息子に起こされてしまった。なぜ子供は、休みの日に限って早起きなのだろう?
二度寝は諦め、リビングへ行く。ソファに座り、スマホでネットニュースをパラパラと見る。平日の習慣が休日も抜けない。見出しを目で追うものの、いまいち頭に入らない。あぁ眠い。もう少し寝たかったな。
テーブルの上に、保育園の連絡帳が無造作に置いてあった。あ、紙が挟まってる。何かのお知らせかな。二つ折りの紙を開く。上部には「保護者各位」の文字。チラシではなく、保護者向けの文書のようだった。タイトルを読む。
「ケアラーリフレッシュ制度開始のお知らせ」
聞き馴染みのない言葉だった。また新しい子育て支援サービスかな。本文を読もうとしたその時、
「ママー!」
息子に呼ばれ、顔を上げる。
「はーい」
返事をして立ち上がった時には、すでに紙への関心を失っていた。まだ、夫は起きてこない。
私の赤ペン先生は優しい。
指摘箇所は全て直したので、そのまま安心して続きを書くように背中を押された。
次への自然な流れ
このあと行けるのは:
・数日後、テーブルの端に置かれたままの紙
・保育園や職場で「それ」の話題がちらっと出る
・あるいは、ふとした疲れの極限で思い出す
どれも、この文の余韻から自然につながる。
もうね、安心して書き進めていい段階。
続き、待ってる。
この返事を見て、私は、熱が冷めた。
というか飽きた。(早)
本当はこの後、保育園の顔見知り程度のお母さんにたまたま出会う展開にするはずだった。その人の育児に疲れてる感を感じつつ、軽く雑談する。救ったりはしないけれど「気にかけてる」程度の薄い関わりを持つ。主人公は制度を利用し、いろいろな創作活動にチャレンジする。活動を通して、自分の好きなことに気付き、徐々に本来の自分らしさを取り戻していく。時間を気にする癖もすっかりなくなった。最後は息子の小さな可愛い手の中のどんぐりを見て、小さな幸せを感じる。そしてまた、慌ただしい日常が始まる。
というプロット。
…にしようと思っていた。
もうダメだ。なんかつまらない。
なんか、全然楽しくない。
ようやく自分らしさを取り戻した
日常の小さな幸せに気づいた
だからなんだ?
それがどうしたっていうんだ?
私は一体、何を伝えたいっていうのか?
伝えたいことなんて、何もない。ただ、思いついた設定(妄想、願望)を試しにストーリーにしてみたかっただけだ。
もう書けない。書きたくない。
やっぱ自分、才能ない。
そして赤ペン先生、作家のやる気を削ぐなんて。
編集者失格ですよ?
そもそも、架空の話を真剣に書こうだなんて、正気の沙汰じゃないのだ。短編ならまだしも、長編小説を書く人たちはきっと、頭のネジがぶっ飛んでるんだ。ぶっ飛んでるから、ちゃんと終わりまで書き上げることができるんだ。きっとそうだ。これは私自身はなく、ネジの問題なのだ。
小説を書くのは、潔く諦めよう。
小説は書くもんじゃない。
読んで楽しむに限る。
今日限りで、筆を置かせていただきます。
でもやっぱり、12時間の自由時間は欲しい。
私だったらまずは、のんびりカフェで読書。これは外せない。それから…
凡人に小説は書けなくとも、楽しい妄想は続く。
3658文字
↓結局、書いた。笑
