花調宵之奏(はなしらべよいのかなで)〜花酔譚
其の十二〜ある出向中の医療従事者
私の名はヒナミ。
ここからだいぶ遠い場所にある、セレニセレス王国の出身だ。
永世中立を掲げる、小さな民族自治国で、
私は宮廷医師の家系に生まれた装具士である。
セレニセレスの王族は、「白い力」と呼ばれる力を持つ。
病を治す力だ。
死者すら蘇らせると信じられてきたその力によって、
王族は国を治め、同時に神の代理でもあり続けてきた。
研究が進んだ現在では、
それは体内成分や電位、水分やミネラルを
自由に操作する能力だと理解されている。
奇跡ではない。
だが、十分に奇跡と呼ばれるだけの力だ。
王の血が濃ければ濃いほど、
肌も、髪も、瞳も、色を失っていく。
とりわけ白い力の強い王は、
ピンクの瞳を持つアルビノとして生まれることが多い。
日光を避け、白いマントと白いベールを纏い、
王は「国の至宝」と呼ばれる存在である。
その姿はあまりに神秘的で、
かつては、卑しい者が近づくことすら許されなかった。
王に触れれば命を落とす、
あるいは正気を失う――
そう信じられていた時代もある。
実際には、
王は体内成分や電位を自在に操る。
無防備に近づけば、
生理機能を乱される危険があったのは事実だ。
だがそれもまた、
奇跡と畏怖の言葉で包まれ、
「神聖さ」として語り継がれてきた。
ただし――
白い力で治せるのは、病だけである。
欠けた手足や、潰れた関節、
失われたものそのものは、取り戻せない。
そのため、宮廷医師の技術は、
必然的に外科へと特化していった。
こうした国柄ゆえ、セレニセレスは血縁を重んじる。
王族にしか伝わらない白い力を途絶えさせぬため、
王家は同族婚を繰り返してきた。
その結果として、
王家や高位貴族には、身体に障がいを持つ者が多い。
だがセレニセレスでは、
それは恥ではなく、
高貴な血筋の徴として敬意を払われる。
障がいを持つということは、
王家に近いという証でもあるからだ。
王侯貴族は病を癒やす。
そのため、国民に愛されている。
王家は多妻制だが、
王となるのは、白い力の強い子どもだ。
同程度の力であれば、母の身分が高い方が優先される。
男であることも、女であることもある。
王侯貴族以外の民の結婚制度は、ずいぶん自由だ。
同性婚も認められている。
けれど王家だけは違う。
白い力を継がねばならないから、
婚姻は異性同士、かつ血族に限られる。
王家とその血族に障がい者が多いという事情は、
この国の障がい者支援と装具技術を発達させた。
世界一だと評されるほどに。
その一方で、
病気に関する医学的知識は、驚くほど乏しい。
王族の力で治ってしまうものに、
学問を割く必要がなかったからだ。
長い間、セレニセレスは外部の者を拒んできた。
だが最近、その扉は少しだけ開かれた。
医療都市モクレンの医師たちが軍医となった結果、
再編された医療班――
ヴァサラ軍が統治する国の六番隊との、相互出向が始まった。
私は、セレニセレス王国医療団の一人として、
統治国に派遣されている。
セレニセレス王国は最新の医療を学び、
ヴァサラ統治国は障がい者支援や装具技術を学ぶ。
表向きは、それだけの話だ。
けれど、
セレニセレスが外部を受け入れるようになった理由を、
知っている者は、宮廷の中でもごくわずかしかいない。
現王の第五王妃が、
子を身籠ったまま、外国人の兵士と駆け落ちした。
貴重な白い力を持つ王妃と王子を探すため、
国は密かに捜索網を広げた。
それが、国が外を向き始めた、
本当のきっかけだった。
王妃は、戻らなかった。
兵士と共に死んだとも、
殺されたとも噂されている。
王子は――
流産していた、ということになっている。

ハナヨイは、鏡に映るギンジの動きから目が離せない。
顔周りの髪を櫛のテールで分けピンで留め、後頭部の髪を何だかんだしていたかと思うと左右に三つ編みができる。
その三つ編みが背後で何だかんだされると、顔周りの髪の一部がとられてまた後頭部で括られる。
それが何だかんだされてるかなと思うと、ギュッと髪留めを止められた。
その間、ほんの十数分。
「カナデの若旦那。どうでやしょう」
手鏡をサッと持ち合わせ鏡にしてくれると、三つ編みが一部見える低めシニヨンになっていた。
ギンジ自身も左右を確認し、シニヨンからちょっと髪を引き出したり横や後頭部を少し整えたりしている。
おかげで、いい感じに崩れた、さらに色気あるスタイルに仕上がった。
ハナヨイは思わずギンジの両手を取ると、表裏とじっくり見る。
確かめるように撫でさすると言った。
「…はぁー…お前さんの手は魔法の手だな。このデケェ手からあの宝石みてぇな寿司が握られて、美術品みてぇな髪型が生まれるんだからなぁ」
「そりゃあ言い過ぎでございやしょう」
恥ずかしがりながらもギンジはされるがままで、手を引っ込めることもない。
ハナヨイよりも一回り大きな手は意外と肉厚だが、指が長く関節が目立つ。良く使っていることがわかるザラっとした肌触りで、爪はかなり短く切られていた。ネタが傷むことを嫌い、寿司を握る時ギンジは、この温かい手を少し水で冷やしてから握る。
「いーい手だねぇ。俺ぁやっぱりこの手が好きだぜ」
「何の手入れもしてねぇ無骨な手でごぜえやす」
その顔を覗き込みククッと笑ったハナヨイは、持っていた両手をギュッと握った。
「なんだよ、照れてんのかい。相変わらず可愛ヤツだねぇ」
それから、その手をそっと放して言った。
「今回の潜入もいつもと同じだ。俺が襲われようと怪我しようと手を出しちゃぁなんねぇ。殺されたとか死んだとか聞いても動揺するんじゃねぇぞ。動くのは『夜叉姫』の時だけだ」
「へぇ。承知しておりやす」
いつもハナヨイのことを考えてくれている優しいギンジのことだ。
ハナヨイがどんな目に遭っても見守るだけで手を出さないというのは、随分辛いことだろうと分かっている。
だがこれは、隠密活動をする忍者であるギンジだからこそ、頼めることだ。
ウキグモやメイネももちろん、信頼している。
だが二人だと、心配してくれる分だけハナヨイを、どうしても助けたり守ったりしてしまうだろう。
ハナヨイは五感全てで、ギンジの不安と心配を感じ取っている。
息をつくと、微笑んだ。
「俺ぁ絶対に、生きてお前さんのトコに戻る。知ってんだろ?」
この先のことはしばらくは、ハナヨイとギンジ二人の間だけで止めることになる。
アサヒにもヴァサラにも、詳しいことは知らせられない。
ギンジがパッと窓を見た。
かと思うと、目にも止まらぬ速さで窓を開け飛び降りた。
ハナヨイも追おうとするが、生憎潜入用の女装だ。
チッと舌打ちをすると、階段から外に向かった。
兵舎の表から出ると、土地と道を区切る植えこみの間からギンジが
「ハナの字」
と声をかけて来た。
ということはどうやら、ギンジが知らない人間らしい。
…が、気の毒にも取り押さえられているその女性を、ハナヨイは知っていた。
こりゃ確か、相互出向で来てる六番隊の装具士だったかな。
障がい者治療や支援で有名なルミジナ王国の、医療団の一人だった。
このルミジナ医療団が来た時は、障害がある隊員たちが一人ずつ呼ばれて色々と話をした。
ハナヨイは義肢や義手が必要なわけではないので面談は別の人間だった。
だから密かに同行してくれていたギンジでも、この団員は知らない。
だがチラリと見た時に女性で片眼鏡というのが気になったハナヨイは偶然、覚えていたのだ。
自分が今、女装していることを考えて、ハナヨイは女性の声色を作って言った。
「放してやれ。私はこの女性を知っている」
「かしこまりやした」
とギンジは羽交締めを解いた。
「悪かった。怪我はないか?」
ハナヨイが言った時、女性はギョッとしたように顔を向けた。
駆け落ちをした第五王妃。
それは、王の近衛騎士団の団長でもあった。
上級武官貴族のソウレン家出身で、結婚前の名前はルカ・ソウレン。
王との婚姻により、ルカ・ハクタ・セレニセレス第五王妃となる。
美しく強いだけでなく頭も良く、教養豊かで技芸万能。
ミス・パーフェクトとして、幼少期から名を知られていた。
そんなルカであったから、身籠った際はお腹の子どももその資質を期待され、王から早々に名前をもらった。
その名はラネル。「音階の人/調和の位置に立つ者」を意味するセレニセレスの言葉だ。
ラネル・ハクタ・セレニセレス第七王子は生まれる前から、王たる兄を支える良き右腕になるべく期待されていた。
情が深い頭領タイプであったルカは、国民に近しく親しみやすい王侯貴族だった。
失踪を隠し「事故死」と発表した時は王宮に献花が溢れ、「白蓮月章」の国旗に黒いリボンが靡く半旗が、至る所に掲げられた。

ヒナミは幼い頃、近衛隊長のルカ・ソウレンに会ったことがある。
宮廷医師の母に連れられて城に行っていて、広い宮中で母を見失い、必死で探していた時だ。
廊下の角でヒラリと舞った白い布を母の白衣だと思い追いかけたら、その白い布の持ち主にぶつかってしまった。
白い布は軍服のマントだった。
そしてその持ち主こそが、ルカ・ソウレンだった。
転ばないようにヒナミの体を抱きとめ丁寧に立たせると、女性にしては低めの落ち着いた声で言った。
「悪かった。怪我はないか?」
プラチナブロンドの髪をピチッと結い上げたスラリと背の高いルカは、少しキツそうに見える容貌と凛とした姿勢、それに軍服が相まってヒナミには怖かった。
怒られると思って何も答えられずにいると、怯えるヒナミに気づいたルカは、目の高さに膝を曲げて言った。
「ごめんなさいね。怪我をしなかった?」
ニッコリと微笑んだ時、ルカの表情が劇的に柔らかくなった。
その笑顔につられるようにヒナミは、
「ごめんなさい。お母さんを探してて。…あの、お母さんは、お医者です」
とスラスラっと言えたのだ。
「じゃあ私の行くところと同じね」
ルカがヒナミを抱き上げてくれると、グンと目線が高くなった。
背の低い母親と全然違う景色に興奮していると、
「これはどう?」
と肩車をしてくれた。
二人でキャッキャと目的の場所に着くと、ルカはヒナミを床に下ろした。
イタズラっぽい表情で口の前に指を立てた後、ドアをノックする。
すると出てきたヒナミの母に、うって変わってキリッとした顔で言った。
「お前の娘とそこで会ったので連れて来た」
シッてしたのは、これのことなのか。
さっきと今の違いに感心して見上げた時、ルカもちょうどこちらを見た。
二人だけの内緒よとでも言うようにちょっと笑った口元を、ヒナミはずっと覚えていた。
「悪かった。怪我はないか?」
言われた時、ルカ・ソウレンの姿が目の前の女性にパッと重なった。
子どもの頃のことだから、ルカの顔を隅々まで覚えているわけではない。
けれど何だか、まさにこの女性の顔が、ルカの顔だった気がするのだ。
だがヒナミはすぐに否定した。
目の前の女性は自分と同じくらいの年齢だ。
ルカ・ハクタ・セレニセレスであるわけがない。
…そんなわけない。
ハナヨイは木立の中に、あの片眼鏡が落ちているのを見つけた。
それを拾い、女性の目の高さにしゃがむ。
「これを探してたのか?」
「あ、はい。そうです」
女性は渡された眼鏡をかけると、ハナヨイをじっと見た。
ふっと柔らかい表情になり、立ち上がる。
服の泥を払うと、ぴょこっと頭を下げた。
「ありがとうございました」
そして時々何かに躓きながら、早足で六番隊の方に去って行った。
背中を見送りながらハナヨイが言う。
「やっぱりあいつぁ六番隊にいる装具士で合ってたか」
「若旦那は知ってやしたんですかい」
「セレニセレスってぇ遠くの小せぇ国から来た医療団の一人だよ。六番隊の若手も今、交換で行ってんだろ?」
答えてからハナヨイは、ギンジの顔を覗き込む。
そして、バンと背中を叩いた。
「気にすんなって。たまたま覚えてただけで、あいつと話したのは初めてで名前も知らねぇしな。そんなことよりな、どうでぇ俺の今回の女っぷりはよ」
「町女として潜るってえことでしたら、少し口調が固いんじゃねえかと思いやすが」
「そりゃそうだなぁ。城に繋ぐこと考えちまって、つい固くなっちまったかぁ」
よぉし!
言ったハナヨイは、ギンジを見てニッと笑った。
「となりゃ、今から町女の勉強しに行くぜぇ!ギンジも付き合え」
「今から、その格好でですかい⁉︎」
「おぅ!俺の旦那役としてしっかりエスコートしてくれよ」
とても女性とは思えない力強さで、ハナヨイはギンジと腕を組む。
「まずは太物屋と小間物屋だ!そのナリじゃぁ華麗な俺と釣り合わねぇからなぁ」
「や、あっしは別に服も小物も…!」
抵抗するギンジであったが、ガッシリと組まれた腕が外れない。
こんなところで無駄に気術を使うハナヨイに引きずられ、まるで連行さながらに街へ消えて行くのであった。
→ 花調酔之奏〜幕間其の十三 飲み仲間たちの新年会
