「仕事そのものが喜び」な人の強さ
ある人に、私がこれからやりたい仕事の話をしたら、
「それで、やりたいことは何?」と訊かれたことがあった。
一瞬「???」となったが、
どうやらその問いの意図は、「その仕事をして稼いだお金で叶えたいことは?」
という意味だったらしい。
だが、私にとっては、
そもそも「その仕事をすること自体が、やりたいこと」なのである。
もちろん、「お金持ちになって〇〇したい!」という欲は、とても大切だと思っている。
確かに私にも、今より稼げるようになったら送りたい理想のライフスタイルはある。
しかし根本的には、
「お金」は不快を避け、快適を得るツールにすぎず、
「幸せ」そのものを手に入れる手段ではないと私は考えている。
それゆえに、「その仕事をすること自体が喜びである」という感覚は重要で、人生の幸福度に直結するものだと思っている。
「仕事そのものが喜び」な人の強さ
これはどういうことか。
まず、その仕事をしているだけでうれしくてたまらない、という状態であれば、報酬の多寡にかかわらず、熱量を持ってとことん突き詰められる。
結果的に、その仕事は他の誰にも真似できない唯一無二のものになる。
お客さんからすれば「この人にぜひ頼みたい」と思える存在になる。
「この価格で、ここまでやってくれるの?」という驚きや感動も生まれ、リピートや紹介につながっていく。
そもそも、「仕事が集まる人」とは、
安心して任せられる・期待以上のものが返ってくる・やり取りが誠実で気持ちよい――そんな人ではないか。
そして、「この仕事が心底好きだ」という想いが土台にあれば、強く意識せずともそういったあり方に自然となっていくものだろうと思う。
「〇〇円稼ぐため」の発想の罠
一方で、「〇〇円稼ぎたいからこの仕事をやる」という動機になると、どうしても「〇〇円分の仕事をしよう」となる。
無意識のうちに「効率よく〇〇円得よう」というマインドが生まれる。
それは全く悪いことではないし、経営としてはむしろ健全な感覚とも言える。
しかし顧客視点に立てば、「同じくらいの価格でもっと熱量のある人がいれば、そちらにお願いしたい」となるのも自然な話である。
「このくらいで充分」と自分の中で線を引いてしまったら、圧倒的な感動は生まれない。
私は「完全にやりきる」「参りました、と言われるくらい本気を出す」ような仕事がしたいのだ。
ここで誤解してほしくないのは、「自分を犠牲にして、価格以上の価値を出しましょう」と言いたいのではないということだ。
そんなことをしていては身がもたない。
そうではなく、「これ、仮にお金もらえなくても絶対にやりたい!」と心から思える仕事に取り組むということ。
そこに需要があって、「ぜひお金を払ってでもお願いしたい」という人がいれば、それが自ずと仕事になる。
私はそういうスタイルで働きたいと考えている。
「使命」を生きるということ
ここから少しスピリチュアル的な視点が含まれるので、苦手な方は読み飛ばしてほしい。
「自分が心からやりたいこと」と「世の中に求められていること」が一致する分野が、その人の“使命”なのだと言われている。
その使命を全うすることが、その人が地球に生まれてきた意味であり、その道を歩めば、その人が生活に困らないだけのお金は自然と入ってくるようになっているという。
こんな話を聞いて、それはそうだろうな、と私は思った。
逆に言えば、今満足するだけのお金が入ってきていないのだとしたら、それは単に「本来の使命」から少しズレたことをしている可能性が高い。
だからといって落ち込む必要はなくて、ただ、ズレを修正すればいいのだ。
実際、私はこうなった
私は本当にやりたい仕事を見つけて、準備を始めるようになってから、不思議と臨時収入が増えたり、支出が減ったりした。
特に倹約しているわけではないのに、手元に残るお金が少しずつ増えていくようになった。
これは明らかに、「今の方向で合っているよ!」というサインだと思っている。
まだ準備段階でこれなら、本格的に“使命”としてそれを生き始めたとき、一体どんなことが起きるのか。
今から楽しみで仕方がない。
🖊️🌈✨
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