映画「虚空門GATE」のレビューから考える――映画の在り方
このnoteにも、前作『虚空門 GATE』のレビュー記事が今でもときおりあげられている。
公開から何年も経った映画について、いまなお誰かが自発的に感想を書いてくれるというのは、監督として本当にありがたいことだ。
もちろん、絶賛ばかりではない。
「前半は退屈だった。」
「情報が少なくて分かりにくい。」
「詰問シーンで終わっていた方が良かった。」
そんな厳しい意見もある。
実際、技術面だけを見れば、「よくこれで公開したな」と思われても仕方がない。
撮影初期のメインカメラは、当時としては十分実用的なカメラだったが、いまの基準から見れば画質は決して高くない。
音声も、ほとんどカメラのガンマイク頼みで、ノイズが乗っているシーンもある。
当時の僕は、カメラの性能や音質など、正直ほとんど念頭になかった。とにかく「撮る」ことだけに、がむしゃらだった。
今なら、もう少し何とかしたいと思う。
いや、かなり何とかしたい(笑)。
それでも、不思議なことがある。
レビューを読み返してみると、画質や音質について触れている人は、ほとんどいない。
代わりに、みんな別のことを書いている。
「UFO映画だと思ったら違った。」
「モキュメンタリーかと思った。」
「オカルト映画だと思っていた。」
そして最後には、
「人間の映画だった。」
「一組のカップルの映画だった。」
「無償の愛の映画だった。」
「人はなぜ信じるのかという映画だった。」
と、それぞれ違う言葉で締めくくられている。
興味深いのは、その結論は違っても、多くの人が途中で映画そのものの見方を書き換えられていることだ。
最初は「UFO映画」を見ているつもりだった観客が、気づけば別の映画を見ている。
ある人は、「とんでもない映画を観ちまった」と書いていた。
別の人は、「人には積極的には勧められない」と書きながら、数千字に及ぶ感想を書いている。
褒めているのか、けなしているのか、よく分からない(笑)。
また別の人は、「『虚空門 GATE』が傑作すぎて、あれを超えられない」と、日記のような文章の中で何気なく書いてくれていた。
さらには、「これまでの人生で出会ったおすすめ作品」として、『虚空門 GATE』を挙げてくれた人までいた。
そんなレビューを読んでいると、作品を評価する尺度は、技術だけではないのだと改めて思う。
もちろん、映画にとって技術は大切だ。
映像も、音も、編集も、高い水準であるに越したことはない。
だから今制作している映画では、そのあたりにもずいぶん神経を使うようになった。
しかし一方で、前作が教えてくれたこともある。
映画の価値は、見終わったあとに、観客の中に何が残るかということに宿るのだと思う。
レビューを書いた人たちは、UFOについて語っているようで、最後には自分自身の考えを書いている。
人間について。
信じることについて。
共同体について。
愛について。
映画は答えを与えるものではなく、考えるきっかけを与えるものなのかもしれない。
『虚空門 GATE』のレビューを読んでいると、映画は完成した瞬間に終わるものではないのだと実感する。
一本の映画は、観客の中で何年もかけて育ち、思い出され、新しい言葉で語り直されていく。
いま制作している『HIGUMA KARMA』がいつ完成するのか、まだそれを語れる段階でもない。
しかし、完成し公開して、何年後かに、誰かがふと「あの映画のことを書いてみよう」と思ってくれる作品になること。
そんな映画が作れたなら、監督としてこれ以上幸せなことはない。
――
漫画家の文野紋さんがレビューを書いてくれました↓2026.7.27掲載
▼ 映画『虚空門GATE』本編はこちらからご視聴いただけます(Amazon Prime Video)
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0GVN6TG2C
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