モハメッド・アリと二人きりになった長い廊下で
これは30年前の写真だ。
先日、家人が山荘に保管していた古いアルバムを運んできてくれた。湿気で傷み始めているからという。
ページをめくると、一枚の写真が目に留まった。
当時、僕はアントニオ猪木さんの撮影でロサンゼルスに同行していた。モハメッド・アリ夫妻と食事をご一緒する機会に恵まれた時の写真である。
食事を終えた後、アリは猪木さんをホテルまで見送ってくれた。
長い廊下を猪木さんはいつものようにズンズンと先へ歩いていく。パーキンソン病を患っていたアリとの距離は少しずつ開いていった。
気がつくと、英語の話せない僕は、少し戸惑いながら、アリとともに長い廊下で立ち尽くしていた。
するとアリは、突然、こちらへ手を差し出した。
拳を握り、ゆっくりと開く。
その掌の上には、一輪の花があった。
もちろん手品の花だ。
けれど、その瞬間、僕は不思議な衝撃を受けた。
世界最強と呼ばれた男。
数々の激闘を戦い抜き、歴史に名を刻んだ伝説のボクサー。
その男が、言葉も通じない異国の若者を前にして見せたのは、ただ相手を楽しませようとする、小さな手品だった。
あの瞬間、僕はモハメッド・アリの強さの根源を見た気がした。
どんな状況にあっても、他者を喜ばせようとする心。相手を笑顔にしようとする優しさ。
それこそが、アリという人間の本当の強さだったのではないだろうか。
30年経った今でも、あの長いホテルの廊下の光景だけは鮮明に思い出す。
【2024年9月28日の日記より】
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