「こんな大事なものに、私ごときのサインをしてもいいのですか?」――三國連太郎
以前にも書いたけれど、僕は時々、なぜか45年前の記憶がふっと蘇る瞬間がある。
21歳の頃だっただろうか。新宿駅・東口の雑踏の中、構内をぼんやりとさまようように歩く一人の男が目に止まった。
それが三國連太郎さんだった。一目で分かった。
『飢餓海峡』『神々の深き欲望』『復讐するは我にあり』――
銀幕で見てきた圧倒的な存在が、なぜかあの雑踏のただ中で、呆けたような、あるいは絶望したような、孤独を湛えた表情でふらふらと歩いている。
尊敬の念と、そのギャップに対する戸惑いが胸の奥でせめぎ合いながらも、気づけば僕はもう、迷うことなく三國さんの目の前に立っていた。
鞄の中には、書き上げたばかりの――僕にとって初めての長編劇映画の脚本。
震える手でそれを取り出し、思わず口をついて出た。
「ここにサインをいただけませんか」
三國連太郎さんは、驚くように目を大きく見開き、静かにこう言った。
「こんな大事なものに、私ごときのサインをしてもいいのですか?」
──その言葉を、僕は今でも忘れられない。
あの瞬間、僕は知ったのだ。
一流の人物とは、肩書きでも立場でもなく、人の本質として相手と向き合う存在なのだと。
目の前の若造に対しても、ひとりの創り手として真正面から向き合ってくれた芸術家の姿を、僕は確かに見た。
そしてその光景は、今も消えることなく胸の奥に残り続けている。
【2026年1月19日の日記より】
そして、もうひとつ不思議な縁がある。
今から28年ほど前、僕はプロレスラーの武藤敬司さんがホストを務めるスカイパーフェクトTVのトーク番組『プロレスの砦』でディレクターをしていた。
毎回、各界の著名人を迎える番組だったが、そのゲストとしてお越しくださったのが俳優の佐藤浩市さんだった。
収録の合間、僕は若い日に新宿駅で三國連太郎さんからいただいた、あの忘れられない言葉の話を佐藤さんにお伝えした。
佐藤さんは話を聞き終えると、少し苦笑いを浮かべながら、
「オヤジらしいな」
と呟いた。
その瞬間、佐藤さんの表情に、かすかな嬉しさのようなものが宿ったのを、僕は見逃さなかった。
父親のそんな一面を、見知らぬ誰かが何十年も大切に覚えていた。
そのことが、少しだけ嬉しかったのかもしれない。
45年前の新宿駅で受け取ったひとつの言葉は、時を超えて、その息子さんのもとへも届いた。
人の縁とは、本当に不思議なものだと思う。
三國連太郎さんからサインをいただいてから24年後、僕は当時、城戸賞と並ぶ登竜門のひとつだった日本シナリオ大賞に応募し、奨励賞を受賞した。
あの日、新宿駅の雑踏の中でいただいた一言と、その出来事が何か関係していたのかどうかは分からない。
それでも、あの言葉だけは今も胸の奥で静かに生き続けている。
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