息子が「おいしい」と言ってくれるまで6年かかった。
息子とお風呂に入っている途中、ふと息子が夕飯を完食したことを思い出した。
「今日、お夕飯いっぱい食べてくれたね。うれしかったよ。ありがとう」
私は息子を褒める時、なるべく「偉かったね」とは言わないようにしている。えらい偉くないという基準は上下関係がある場合において使う言葉だからだ。事実私は彼の人生の先輩である訳なので息をしているだけでどうしたって上下関係が発生する。しかし私は思想家アルフレッド・アドラーを敬愛しているので子との関係性をなるべく「横の関係」で進めたいと思っているのだ。夕飯を食べてくれたから、何かしてくれたからえらいとかえらくないとか、そういう判断をする思考の奥にはえらいと褒めて彼を誘導したい、という私的な願いが多分にこもっている。夕飯を食べてくれて嬉しかったのは私なのだから、そこはありがとうでいいのだ。
離乳食が終わってから息子はハンバーグに特別好意がないようだった。夕飯がハンバーグだから喜ぶこともなければ、下手したら一口も手をつけないこともあった。特に私の作るハンバーグは。外食でもファミレスのハンバーガーは食べないが、マクドナルドのハンバーガーは進んで食べたので彼の中で何か基準があったのかもしれない。マックかそれ以外か、みたいな。
どちらにせよ、私が作るハンバーグは息子の中で最下位に位置していた。
息子が6歳間近になって、目に見えて食べる量が増えてきた。これが男の子の食べ盛りの始まりなのかもしれない。
食べる量に比例して彼の中で食べてみようかなと思えるものも増えてきたようだった。テレビのグルメ番組で見た料理を食べてみたいと言ったり、夫が食べているものを一口ほしいと言ったり、食の世界が広がっているようだった。
そして私にも作ってほしいとリクエストをしてくれるようになってきた。息子は麺が大好きなので麺料理をリクエストされることが多い。大好物の麺料理でさえ、私が作るものよりかははるかに外食や市販品の方が彼のテンションを上げているようだった。
「ハンバーグおいしすぎたからね」
冒頭の私の声かけに息子は何でもないような、さも当然ような言い方でそう言った。
「は…ハンバーグおいしすぎたから…いっぱい食べてくれたの?」
私の声が少し震える。
「ママの作るハンバーグ、おいしいの当たり前じゃん」
赤子の頃からは少し硬くなった彼の髪を洗いながら、少しだけ息を止め、言われたことを反芻した。
おいしいと思ってくれたのだ、私が作る料理を。
私が作るハンバーグを。
シャワーで彼の頭を流しながら涙が溢れそうになった。
やっと私の作るものが彼においしく受け入れられるようになったのだと思って。
特別おいしいと思ってもらえなくても、彼の健やかな生育のために日々やることは変わらない。それでもハンバーグがおいしいと思ってもらえたことで、おうちのご飯で彼にしてあげられることを増やせる予感がした。
「またママの作ったチョコレートケーキ食べたい」
バレンタインの時に作ったチョコレートケーキのことだ。
二人でチョコを割った。卵をとく係を請け負った息子は「混ぜすぎて手が痛くなった」と早々にキッチンから逃げだしていた。思い出してちょっと笑ってしまった。その時はうまくいったのか、彼にとって楽しかったのかわからなくてもちゃんと彼の心に届いている。
子育てとは自分のやったことが時を超えて反映されることが多いと思う。
今日の愛情が伝わるのは、今日すぐじゃなくて明日かもしれないし何十年後かもしれない。
もしかしたら私が死んだ後かもしれない。
いつでもいいから私が彼に捧げたすべての気持ちが、彼の人生の一助になりますように。
そう祈って今日も食事を用意するのだ。
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