幼稚園最後の運動会、泣けなかった。
幼稚園最後の運動会、泣けなかった。
一生懸命走る我が子がゴールテープを切った時も、リレーでバトンをうまく繋げた時も。
よさこいの演舞を入園児とは段違いに大きくなった体躯を目一杯使って踊っている時も。
全く泣かなかった。泣けるとも思わなかった。
「もう今から当日号泣しちゃうかもって心配です」
運動会を数日後に控えた日の午後、幼稚園にお迎えに来たママ友が冗談めかしたように言った。わかるー絶対感動しちゃうよね!と周囲の人も笑っていた。私もハハハと笑いながら「きっと自分は泣かないんだろうな」と思った。薄情な母親なのかもしれないと思った。
思えば周りが言う「もう一度赤ちゃんの頃に戻ってほしい」「赤ちゃんじゃなくなるのが寂しい」という言葉にも、ずっとピンと来なかった。過ぎ去ったものは帰ってこない。その事実を自分が受け入れすぎいる。我ながらもう少し感傷的でもいいんじゃないかと思う。その場で思い出を振り返って感動できるママ友が、少し羨ましくもあった。
運動会当日、保護者として運動会の運営の手伝いをしつつ、息子の出番になれば優先観覧スペースに走って駆けつけ息子のかけっこやよさこいの演舞を見守った。横を見たら他の学年のママ友が年長のクラスの演技を見て泣いていた。「ほんと大きなったねえ…」と涙を拭う彼女の隣ですごい!自分の子がいない学年の子の勇姿にも感動している!と驚いた。
運動会最後は年長児によるリレーである。足の早い子遅い子関係なく全員が参加しバトンを繋ぐ。年長のリレーはバトンを受け取った後トラック半周ずつ走ることになっている。入園してからの運動会で一番長い距離を走るのだ。転ばずにきちんとバトンを渡すという任務を遂行できるか、会場にいる全員が固唾を飲んで見守っていた。
リレーが始める前、ウォーミングアップで年長児全員がトラックをゆっくり一周する。列の中間で走っている息子の顔はかなり険しい。緊張しているのだ。心なしか顔色も白い。運動会始める前も途中もそんな様子は全く見せていなかったが彼はリレーのプレッシャーと戦っていたのだ。彼ももう自分の不安を何もかも親にどうにかしてもらおうとするわけじゃないんだなと思った。
スタートの合図と共に第1走者が飛び出す。息子は第2走者。大きくなったとはいえ大人からみたらまだ短い手足を一生懸命動かして子供たちは走る。最初はどこを走って誰に渡すかもおぼつかなかったリレー。無事バトンを受け取って走り出す息子。真剣な顔。隣を走る子を追う。バトンを渡す次の子が見える。渡せた!
息子のチームのアンカーがゴール寸前で相手チームを抜いて会場からワァ!という歓声が上がる。出番が終わった息子は同じクラスの子と笑い合いながら園児席に戻って行った。誰かを抜くとかドラマチックな展開があったわけじゃなくても、彼は彼の仕事を全うしたのだ。それで十分だった。
チラリと横にいる夫を見る。目が赤く潤んでいるように見えた。その隣で私はやっぱり泣けなかった。ファインダー越しに見つめた我が子の姿に、胸が熱くならなかったわけではない。けれど、そこに湧き上がったのは感傷ではなく、「よくやった!」という称賛だった。
私は彼のことを、自分が産んだ赤ちゃんの延長線上としてではなく、どこかで「一人の仲間」として見ているのかもしれない。同じチームの仲間が任務を無事遂行したとき、私たちは「よくやったな!」と肩を叩き合うことはあるが、「新人の頃より立派になって……」と涙を流すことはないように。
私は彼を一人の独立した人間として、対等な敬意を持って見つめていたいとずっと思っている。その思いが強すぎて感傷的な視点が欠けているという自覚もある。成長は喜ばしいけれどもう決して戻れないという感傷はきっと子育ての醍醐味の1つだろうから、卒園式では味わえるといいなと思う。
それとも、卒園式でも「よくやった」と肩を叩き合うのだろうか。それもまた、私たち親子のかけがえのない未来である。
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