紳士か、山猫か、猟犬か #創作大賞感想
物語を書く人の中でも、とりわけ”ミステリー”を主戦場にしている人たちが、僕はなんとなく怖い。
エッセイなどを読めば、その人となりが分かるものだけれど、それがなければ、狂気じみたキャラクターや、身の毛もよだつ設定の妙に唸るどころか寒気がするのである。
僕は、ミステリー小説を読むことが苦手だと自覚している。
緊張と弛緩の幅の広さや、既知が増えていくことによって明るみになる闇が、どうにも恐ろしいのだ。ありえない人たちの、想像もできない凄惨な物語ならばまだしも、すぐそばにいそうな人たちが絡め取られていく、そんなミステリーに出会うと震えるほどに没入していく。
じゃあ読むなと言われそうだが、そうはいかない。怖い怖い物語には、裏返すと現実の安らかさがあるからだ。周囲の平和で温かな関係性を信じることができるからだ。
白鉛筆さんの長編を読んだ。
まるで映画のようだと思った。実を言うと僕は、あらすじを読み飛ばして、物語の入り口に立ってしまった。だから、死体がどうのこうの言及される部分でも、しっかりハラハラドキドキしてしまった。やられた。
まるで豆腐を切るように、ステージが暗転するように、画面の様相が鮮やかに変わっていくことで、読み手は置いて行かれないように必死になる。すると登場人物たちの考えていることが少しずつ見えてくるような、そんな描き方だった。
大学生になった主人公たちと、転校してしまった同級生の再会は、とてつもない緊張感から始まっていた。転校生という存在は、出会いこそあれ、転校する人物が物語において主要な登場人物になることは、あまりない。記憶から消えていく存在だからだ。
完璧な「嘘」を目指そうとしても、さまざまなところから顔を出す綻び。それらは、主人公たちを待ち受ける結末が、望みのないものであることを暗示させていた。いや、読み進めるたびに、事態は悪化さえしているような気がしたのだけれど、終盤に大きな契機を得て、物語が終結した。
それはまるで、この物語の各章で示される「注文の多い料理店」で登場する”猟犬”のような存在だと思った。むしろ、物語の途中からは、猟犬のような存在が現れてくれるのではないかと、期待しながら読んでいた節がある。
しかしながら、この物語において戒めを受けたのは、主人公かその敵対した存在か、果たしてどちらだったのかと問い直すと、その答えは揺らいでくる。
端的に当てはめれば、主人公とその友人は山猫軒に迷い込んだ“都会の紳士”のようでもある。しかし紳士は、批判されるべき存在として描かれていたはずだ。自然や、あるいは超常的な存在に翻弄される役柄であったはずだ。
しかし本作において、社会という隠れ蓑の中で、弱者を挫き享楽を消費していたのは、主人公と敵対した存在(声優事務所)の方ではなかったか。
山猫が紳士に対して挑んだ企ては、猟犬の出現によって霧消する。「注文の多い料理店」における猟犬は、一度死ぬ。そして、再び姿を現す不思議な存在である。
一度消えて、再び登場する人物は、本作にひとりしかいない。それは猟犬だったのだろうか。果たして、猟犬が守りたかったのはなんだったのだろう。
「注文の多い料理店」の絵本はいくつもあるが、子どもと一緒によく読んだ木版画の作品を思い出す。あまりにリアルだと、子どもにとって怖すぎるし、版画だとある程度デフォルメされているので、幻想的な印象になる。
絵本は、ページを繰るにつれ、二人の紳士の表情がだんだんと弱々しくなっていくのが分かる。木目による背景や、シンプルな景色は、物語の不思議さを際立たせる。
結局、山猫たちは紳士を食べることは叶わないけれど、恐怖に震え上がった紳士たちは二度と山には来ないだろう。
幼い頃から触れていた物語に、こんな形で問い直されるとは。
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最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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