【長編】山猫軒のオーダーシート(1)
◆ あらすじ ◆
人を殺した、かくまって欲しい。旧友である黒川からの依頼を受け、大学生の時雨は、期間限定で彼を保護することに。同級生であった時分、病気で声が出なかった黒川は今、声優として初仕事を控えていた。「捕まる前に、一度でいいからこの声で社会と関わりたい」。黒川の夢と、それを叶えようとする幼馴染のツクル。それぞれの思いに触れ、協力を続ける時雨だが、黒川が隠したという死体が実は存在しないことを知る。黒川は本当に人を殺したのか、殺していないなら何故逃げてきたのか。声優事務所との接触により、徐々に明らかになる真相。その現実に対し、自分は一体どうすればよいか。状況に翻弄されながら、黒川の初仕事の日が近づいてくる。
◆ リンク ◆
(1)
(2)https://note.com/shiro_enpitsu/n/n6afb9b5865a4
(3)https://note.com/shiro_enpitsu/n/n05017e6a09f6
(4)https://note.com/shiro_enpitsu/n/n6441748726f2
(5)https://note.com/shiro_enpitsu/n/n6e2753b2a34d
(6)https://note.com/shiro_enpitsu/n/nc7172ee59f39
(7)https://note.com/shiro_enpitsu/n/nfa87eb46643d
(8)https://note.com/shiro_enpitsu/n/nb54610386e96
(9)https://note.com/shiro_enpitsu/n/na7f33eae8909
(10)https://note.com/shiro_enpitsu/n/n80e14612fda6
(11)https://note.com/shiro_enpitsu/n/nfe75b4ae8370
(12)https://note.com/shiro_enpitsu/n/nc8cf77b1250c
(13)《最終話》https://note.com/shiro_enpitsu/n/n1a6b3659a9e7
◆ 本編 ◆
「どなたもどうかお入りください。
決してご遠慮はありません」
◆
「ごちそうさま」という言葉を、たとえ一人でも言うようにしている。
どうして、誰も聞いていないのに。
問われたこともあるが、関係ない。
ものを食うことで俺たちは、他の命を犠牲にしている。それは俺たちが生きるためであり、食いものには感謝をしなくてはならない。幼少期の教えにより染み付いた礼節が、自然とその言葉を口にさせる。
誰も聞いていない、は理由にならない。
強いて言うなら、食いものが聞いている。
今夜も一人夕食を終え、俺は「ごちそうさま」を口にした。食器を重ね、シンクへと運び。料理に使ったフライパンや菜箸と共に、水に浸けずにその場で洗う。無人のキッチンに、水音が寒々しく響いた。
風呂を沸かし、風呂に入り。寝巻きのスウェットに着替えて、明日の講義を確認する。金曜日。一限目は休講の知らせが出ていただので、二限目からだ。夕方まで目一杯マスを埋めているため、持っていく書籍が多い。すべてカバンに詰め、準備を終える。
時刻を見る。二十一時。この時間帯になると、特にもうやることはない。
眠りにつこうと明かりを消したら、スマートフォンの光が灯った。低い振動音。ディスプレイを覗くと、めずらしいことにツクルからの着信だった。
『悪い。起きていたか』
暗闇の中で応答ボタンを押し、耳に当て。いつもの淡々とした声の背後で、うっすらと音楽が響いていることがわかった。
「今から寝る」
『そうか。これから出られるか』
寝ると言ったんだ、聞いていたか。返したくなるところ、違和感がそれを押し留める。おかしい。こんな時間に何の用だ。背後の喧騒からして、街中にいるのだろう。そんな場所に、急ぎ自分を呼び出す理由が見当たらない。
「何かあったのか」
『ちょっとな。後で説明する』
「お前一人か」
『いや、もう一人いる』
ツクルだけなら、この格好のまま出ようかと思った。防寒も兼ね、上着を羽織ればなんとかなるだろう。しかし第三者がいるなら話は別だ。
「誰だ」
訊ねると、ツクルはそこで不自然な間を空けた。
『……クロカワ、って覚えているか』
「クロカワ?」
記憶をたどる。ピンと来ない。
しかし、
『小学五年のとき、数ヶ月だけ同じクラスだった転校生がいただろう。男で、その……』一拍言い淀み、ツクルは続ける。『喋れなかった』
その言葉に、"あれ"か、と思い至った。"あいつ、ではなく、"あれ"。喋れない転校生、当人の存在だけでなく、その存在がクラスに落とした不穏な影たちが、塊となり、ぬるりと脳裏を過ぎる。
「あの黒川か」
『そうだ』
「今、そこにいるのか」
『あぁ』
「どうして、また」
それを話したい。答えるツクルを置き去りに、こちらの疑念は増幅する。
先ほどツクルが言った通り、黒川と我々がクラスメイトであった期間は数ヶ月。それも十年近く前のことだ。当時、取り立てて絆を深くした覚えはなく、むしろ絆を深められなかったからこそ、黒川は早々と別の学校へ移ることとなった。
自分やツクルにとってはもちろん、おそらく黒川自身にとっても、再び縁を結ぶに足る土壌を養えていたとは思えない。
そんな黒川が何故、今。
駅前のカラオケ屋で待っている、部屋は二階だ、とツクルは告げる。カラオケなど行ったことがない、そのまま部屋に向かえばいいのか。訊ねると、「受付でツレが先に来ていると話せ」とのこと。
『シグ、たのむ。頼れるやつがお前しかいない』
気のせいか、声音に僅かな震えを感じる。
ここに来てようやく、俺は照明を点けなおした。暗順応しかけていた瞳に刺激。目を細め、壁にかかるハンガー、明日着ようとしていたシャツとパンツを見やる。
「今から行く」
『助かる』
「ひとつだけ答えろ」シャツの隣、上着のブルゾンに目線をスライド。「危険な状況か」
『ある意味で』
答えたツクルはしばらく黙る。やがて悲嘆の混じった吐息を挟んで、黒川が、と言葉が続いた。
『黒川が』
「なんだ」
ツクルは答える。
『人を殺したらしい』
電話を切り、掛かったブルゾンを引き剥がすように掴んで、俺は部屋から外に出た。
