見出し画像

【長編】山猫軒のオーダーシート(9)

「壺のなかのクリームを顔や手足に
すっかり塗ってください。」

宮沢賢治『注文の多い料理店』

 比留間ひるまというのが、男の名前だった。車の中で名刺を渡され、後部座席でモクバと並び、それを見る。
『リンクス・プロダクション マネジメント部門 比留間 恭平』。添えられた会社の住所は、黒川の家から電車で数駅分、都心とは反対方向に進んだところの地名だった。

 運転席に比留間、その後ろにモクバ、助手席の後ろに俺の配置。車は動き出してすぐ、大通りに。窓越し、夜の景色が後ろへと流れる。

「ミノルとはどういう関係だ」

 ハンドルを握りながら、比留間が問う。

「友達の友達」
 まず、モクバ。
「……小学生時代の同級生です」
 一度モクバの顔を見てから、俺もそれに続いた。

 ミラーに映る比留間の目元が、訝しげに歪む。

「さして深い仲にも思えないな。どうしてあそこにいた」
「昨日の夜、こいつがたまたま街で黒川と会って。飲んで騒いでいるところにオレも呼ばれただけ。な」
「……はい」
 モクバの返答に、俺は相槌を打つ。

 オレに合わせろ。

 車に乗る直前、比留間が視界から外れた隙を狙って、モクバにそう囁かれた。以降、その指示を守り続けている。何か訊かれたら、先にモクバが答え、俺がそれをなぞる。その段取りを貫いていれば、二人の話が食い違うことはない。

「飲んだ後で徹カラやって、そのまま部屋で寝て起きたら、荷物だけ残して黒川が消えていて。何か連絡来るかな、と思ってたけれど来ねぇから、心配になって。カバンの中に財布と鍵があったから、とりあえず行ってみようか、って二人で」
「……電気も点けず、コソコソ写真を撮っていた理由は」
「なんか、そっち方が雰囲気出るじゃん?」

 しばらく無言の間が空いた。やがて車が減速して路肩に停まり、運転席から比留間が顔を突き出す。

「それで納得すると思うか」
「やっぱり駄目?」
「次、舐めた真似してきたらぶちのめすぞ」
 眉根を寄せ、険しい顔。しかしモクバに怯む様子はない。
「黒川の居場所を知らない、ってのは本当だよ。だけど、それ以上はまだ教えられない」
「何だと」
「情報が欲しいんだろ。なら、そっちのネタも十分にもらった上でないと」

 比留間はしばらくモクバを睨んだ後、悔しげに舌打ちをして、再び車を発進させた。

 上手いな、と思う。

 黒川の居場所を知らない。その本筋の嘘を、荒唐無稽な嘘に紛れ込ませることで、比留間に真実と信じ込ませた。
 その嘘こそが、今、俺たちを守っているかなめだ。もしここで真実が露見し、黒川が俺の家でかくまわれていることが知られたら、その時点で比留間の目的は達成される。事務所の人間が我が家に押し寄せ、黒川が強制的に連行され。俺たちに事情を知るすべはなくなり、ハッピーエンドかバッドエンドかもわからぬまま、一連の騒動は幕を下ろす。

 だけならば、まだいい。

 黒川をかくまったことが、後々の俺たちの生活に、どんな尾を引くかわからない。この荒っぽい連中からその後も目をつけられ、あらぬ不自由を強いられる可能性もゼロではない。

 何が起こっているかわからない。だからこそ、何が起こるかわからない。
 きちんと事情を把握してからでないと、どのように動くのが最適であるか、判断がつかない。

「ちょーっと、気になってたんだけどさ」無言で運転を続ける比留間に対し、モクバが語りかける。「あんた、黒川のこと『ミノル』って呼ぶんだな」
「……それがどうした」
「いや、そうなんだぁ、と思って。それって、おたくらの事務所の社風? タレントも含めみんなファミリー、みたいな」

 さすがに心配になり、俺はモクバを見た。執拗に、神経を逆撫さかなでするような物言いを続けている。何か思惑があるのだろうが、そろそろ危険だ。次あたり、本当にぶちのめされてもおかしくはない。

 しかし、

「ミノルは、家族同然だ」

 比留間の声は低く、落ち着いていた。

「いや、家族は言い過ぎだな。付き合いが長い、というのが正しい」
「へぇ」モクバの口の端が上がる。「長い、って、あいつが喋れなかった子供時代から?」
「そこまでふるくはない。見つけたのは、あいつがアナウンサー学校にいた頃だ。同じ声優科にいたハジメの噂を聞きつけて、どんなものかと観に行った。たまたまそのときに存在を知った」
「ハジメって、瀬野はじめ?」
「そうだ」
「青田買いでスカウトしたわけか」

 瀬野はじめ。昨日から何度か聞く名である。どうやら事務所の看板タレントらしい。そう言えば黒川が、同じアナウンサー学校に通っていた、と話していた。

 比留間はウィンカーを出し、車を右折レーンに入れる。そのまま減速、ブレーキを踏み、信号待ちの列に加わった。
 もう一度、ウインカー。規則正しい音が時を刻む。

「実力も華もあるハジメとは違って、当時、ミノルはようやく人並みに喋れるようになった頃だった。滑舌がいいわけでも、声量があるわけでもない。プロの声優やナレーターを目指す生徒の中、明らかにスキルが追いついておらず、悪目立ちしていた」

 だが、だからこそ、誰かに何かを伝えようとする熱意は、人一倍感じられた。
 フロントガラスを見つめながら、比留間は続ける。

「たどたどしくも、声を枯らして。技術が追いついていない分、内に秘めたものが剥き出しになっていた。エチュードが良かったな。表現力はなかったが、感情の流れがスムーズで、きちんと役に没入しているのがわかったよ」

 口調から、物言いから、芸能プロダクションの人間として、多くのタレントを見てきた歴史が垣間見える。無骨な見た目や粗野な振る舞いから、まともな事務所ではないのでは、とも感じていたので、少々意外だ。

 比留間は続ける。

「どうにも気にかかり、あれはなんだ、と講師に聞いた。母親からネグレクトまがいの扱いを受け、幼少期から声が出なかった、とあけすけもなく教えてくれたよ。当初、リハビリ目的でスクールに通っていたが、急に芝居に興味を持ち始めた。分不相応にも声優科を希望し、体験入学のような形でカリキュラムに参加していた」ハンドルを握ったまま、人差し指で弧をなぞる。「回復の見込みがあるのかを確認すると、このまま声帯が鍛えられれば、との話だった。なら、買いだ。逆境から生まれるハングリー精神。喉や肺と違って、そればかりは鍛えられない。むしろあいつに与えられたギフトと言える」

 ウインカーの音が続く。

「ミノルをウチに連れてきたのは、俺だ。社長に掛け合って、籍を置くことをゆるされた。同時期、鳴り物入りでデビューしたハジメとは違い、もちろん仕事など来ない。身内からの援助も最低限のものだった。何度も飯を食わせたし、数ヶ月だが、一緒に暮らしたこともある」
「なるほど。それで、家族同然、ね」
「事務所に所属して以降も、スクールには通わせ続けた。一年経ってようやく、気持ちに実力が追いついてきたが、仕事が来るかは別問題だ。オーディションにはすべて落ち、どこからもオファーは来ない。現場の雑用や小間使いを手伝わせ、食いつなぐ日がさらに一年続いた」

 そのミノルが、今度デビューする。

「はずだった」

 車が発進する。大通りを右折して、四車線から二車線へ。流れる景色の明度が下がり、喧騒が背後で遠ざかっていく。

「はず?」
 俺が問う。
「朗読の仕事だ。録音したものを加工され、ドラマのワンシーン、断片が流れる程度の。はっきり言って、誰がやろうと変わりがない。ミノルがアサインされたのも、スケジュール的にあいつしかいなかったからだ。それでもミノルは涙を流して喜び、俺に報告してきた」

『「うわあ。」がたがたがたがた。』
『「うわあ。」がたがたがたがた。』

 今朝方、『注文の多い料理店』の一節を情感たっぷりにそらんじてみせた、黒川の姿が思い出される。

「誰がやろうと変わらない。そう思っていた。だが違った」比留間は鼻息を漏らす。「先方から、より知名度のあるタレントを起用したい、との申し出があった」
「誰でもいい仕事なのに?」モクバが訊ねる。
「たとえ数秒使われるだけの音声であっても、いやそういう細かいところだからこそ、有名どころを起用すれば話題になる。『贅沢すぎる』だとか、SNSに上げられたりしてな。それがそのまま宣伝に繋がる。見たことあるだろう」

 あるある、と応じるモクバの横で、俺はピンとこない。そういう情報に触れる機会がない。

「うちの事務所でその手のニーズに応じられる声優など、一人しかいない。早い話が、ハジメと変われ、ということだ」
「やっぱ、瀬野はじめか」
「それでどうしたんですか」
「決まっている。ミノルに対し、変われ、と告げた」
「え」

 どういうことだ。黒川は、今日も収録に臨むべく準備をしていた。
 その仕事が、他人のものになった?

「初めてだよ、あいつが暴走したのは」
 車を左折させながら、比留間が言う。いつの間にか鳴っていたウィンカーの音が消える。
「暴走?」
「どの事務所にも、社外秘情報というものがある。中には世間に知られてはマズい類の話もな。よく言われるところの『闇が深い』というやつだ」

 立場上、その『闇』のひとつをミノルは知っていた。
 こともあろうか証拠も保持していた。

「『仕事を自分に譲らなければ、この情報をリークする』。社長に対し直々に、そう脅しをかけてきたんだよ」
「……へぇー」モクバが唸る。「あの黒川が、ねぇ」

 たしかに、あの温厚そうな黒川が、そこまで大胆なことをするとは。
 それを言えばつい先ほどまで、「黒川が人を殺した」という嘘を信じていたわけだが。しかし、今回は勢い任せに投げた瓶が当たった、という話ではない。事務所を相手に、黒川は自分の意志で、歯向かった。

「それで、どうなったんだよ」

 バックミラー越し、比留間は、訊ねたモクバではなく、俺と目を合わせる。

「昨夜、ミノルと会ったと言っていたな」
「……はい」
「頭に傷があっただろう」

 どう反応したものか。モクバの反応を待つが、何もない。知らないのも不自然か、と思い「ありました」と正直に答えた。

「あれは社長がかじったものだ」

 言葉の意味を受け入れるのに、時間がかかった。

 齧った?

「齧った、って……歯で?」
「そうだ。前歯で肉を削いだ」
「……ワイルドだな、おい」モクバは目を見開いている。「どういう社長だよ」
「そういう社長だ」比留間は答える。

 にわかには信じがたい。想像ができなかった。
 猟奇的である、というだけではない。黒川に近づき、前髪を掻き上げ、額に歯を立てる。それら一連の動作を物理的にこなした、ということへの違和感。黒川とて抵抗したはずだ。どのような状況下なら、そんなことが可能なのか。

 そこまで怒り狂うほどの『闇』というものが、一体何であるのかも気にかかる。だが、そちらはおそらく訊いても無駄だ。たやすく教えられない情報だからこそ、黒川は交渉の材料に使おうとした。

 不可思議に重なる不可思議。真相が明かされているようで、肝心なところが何もわかってはいない。

 車は直進を続ける。先ほどよりもさらに暗く、人気のない道。

「社長の方針は一貫している。仕事はミノルに与えない。情報もリークさせない」
「交渉には応じない、ってわけか」
「事務所の方針にタレントが従わない方がおかしい。ミノルには気の毒だが、今回は運がなかった」
「オッサンも、そう思う?」

 モクバの問いに、比留間は答えない。

「それで、黒川はどうしたんですか」
「逃げたよ。血を流しながらな。以来、俺がこうしてあいつを追っている」
「逃げたその場に、あなたはいたのですか」

 何気ない問いだったが、しかし、比留間は虚をつかれたような間を空けた。
 そしてミラー越し、俺を睨む。

「いた。それがどうした」
「……いえ、よく逃げ切れたな、と思って」
「わざと逃がしたんじゃないの〜?」

 不機嫌そうな舌打ちが聞こえる。

「いずれにせよ、今はこうしてミノルを追っている。社長は強気だが、さすがにあの動画が出回るのはまずいんでな。このままだとミノルの要求を呑む形になるだろう。だが、それで終わりだ。その仕事ひとつをやり遂げ、あいつは事務所を辞めざるを得ない」比留間は言う。「初仕事を切望する気持ちもわかるが、ここは大人しく従った方があいつのためだ。耐えていれば、チャンスはまた来る」

 親心だねぇ。呟くモクバを無視して、比留間は運転を続ける。話が続く気配はない。

 俺は窓の外へと目を向けた。

 長年声が出なかったというハンデを背負いながらも、声優を志した黒川。その念願の初仕事が、本番目前で奪われることとなった。事務所に対し、秘匿情報を材料に脅しをかけたところ、逆上され、身を追われている。シンプルに言えば、そういう話になる。

 ならば、何故そう言わない。

 わざわざ「人を殺した」などと大仰おおぎょうな嘘をついて、ツクルや俺を巻き込む理由がどこにある。追われている、助けてくれ、と頼んだ方が、まだ協力を得る可能性が高かったのではないか。

 わからない。
 そして、それがわからない状態で、俺は今からどうすればいい。

「着いたぞ」

 比留間の言葉と共に、車が徐行に入った。

 事務所というので、街中のビルをイメージしていたが、見えてきたのは住宅地にある低層マンションだった。三階建てほどの高さ、打ちっぱなしのコンクリートの壁に、木製の扉がついた殺風景なデザイン。手前に駐車スペースがあり、車はそこに停車した。

「出ろ」

 促され、ドアから外へ。建物正面の壁には、細長い窓が三本縦に並んでいるだけ。洒落てはいるのだろうが、硬質的で、冷たい印象を受ける。
 これが本当に芸能事務所か。疑いたくなるが、左手、ドアの側に『Link’s Pro.』と筆記体で彫り抜かれた薄い鉄板が見えた。奥側から表札灯で照らされ、彫られた文字が、闇に浮かんでいる。

 ゔ、と鈍いうめきが聞こえ、右へ顔を向けた。車体の向こう側、暗闇の中で、比留間の坊主頭が見える。モクバの姿は死角にあるのか、苦しげな声だけが届く。

「調子に乗りすぎだ」

 仏頂面の比留間が、車体の前を周り、こちらへ。身構えるが、何かされる気配はない。「ついて来い」と表札横のドアへ向かい、備え付けのインターフォンを押す。

ってぇ……」

 いつの間にか、モクバが俺の背後に。前屈みになり、鳩尾みぞおちの辺りをかばっている。大丈夫か。声をかけようとしたところで、モクバの顔が耳元に近づいた。

「そのままオッサンの方を見てろ。そして後ろに手を回せ」
「後ろに?」
「いいから」

 従う。
 目の前、比留間がインターフォンのやりとりを終え、ドアの取っ手を握る。

「そのままだぞ」

 手首に何かが巻きつく感覚。すぐさま、巻きついた何かが締め付けられる。
 鋭い摩擦音と共に、痛みが走った。

 なんだ。

「もういいぞ」

 両手が固い紐のようなもので括り付けられ、離れない。身体を捻り、木馬を見る。

「なんだ、これは」
「結束バンド」

 結束バンド?

ほどけ。動けない」
「当たり前だろ。動けなくしてんだから」
「ハジメ、早く入れろ」

 呼吸が止まる。
 咄嗟のことで、意味がわからなかった。

 声の元をたどり、体の向きを戻す。比留間がドアを開け、こちらを見ながら立っている。

「へいへい」モクバが答える。「ほら行け」

 背中を押され、俺は足をもつれさせながら前進した。開かれたドア、数メートルの距離を進み、比留間にも背を押される形で、建物の中へ。白く眩しい照明に、頭上から照らされる。

 後ろで、足音と共に扉が閉まる音。外部の空気が遮断され、音も途切れ。一気に違う空間に迷い込んだような感覚に襲われる。

 鼓動がようやく、テンポを上げる。
 背筋がようやく、寒くなる。

「ミノルは今、どうしている」
「こいつの家で寝てるよ。いつものやつ飲ませといた」
「動画は」
「あいつの端末からは消しといたよ。一応調べて脅しもしたけれど、クラウドに上げてそうな形跡はなかった」
「そうか」
「もう、とっととあんなやつ退所させりゃあいいのに。売れてもないくせに、【ママ】に迷惑ばっかかけやがって」

 俺たちのうち、俺以外の二人の会話。それが水中で聞いているかのように、遠くから耳に響く。

 どういうことだ。
 一体、何が起こっている。

「お前は……誰だ?」

 俺はモクバに、否、モクバと認識していた男に向け、訊ねた。

「はは。この事務所でそれ訊くやつ、初めてだわ」にやけづら。その口がみるみる開き、犬歯を剥き出しにして、笑う。「瀬野はじめだよ。情弱が」

 そして、明日の練習でもしとくか、と大袈裟に肩をすくめ、両の二の腕を反対の手で掴んだ。

 顔は笑ったまま。見開いた目をこちらに向けて。

「『「うわあ。」がたがたがたがた。
 「うわあ。」がたがたがたがた。』」


(10)はこちら

いいなと思ったら応援しよう!