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展示を作るたび、“来てくれる”の重さを知る

二人展「在るとき」を終えて


展示が終わった次の日って、毎回少し変な感覚になる。

沢山の人が楽しそうに会話していた空間が、急に静かになる。

会場に残っていたテープの跡とか、少し曲がった虫ピンとか、撤収後に出てきたゴミ袋とかを見ながら、「あ、本当に終わったんだな」と思う。

今回の展示、
村田雄平 × ハラヒロシ 二人展「在るとき」も例外ではない。

5月22日〜24日の実質2日半。

最終的には約160名ほどの方が来てくれた。

数字だけ見ると「たくさん来てくれた」で終わるかもしれないけど、HuBaseで普段いろんな展示をやっているからこそ、その160人という数字の重さを、自分は結構ちゃんと分かっているつもりだ。

予定を空けること。
電車に乗ること。
お金を使うこと。
疲れていても足を運ぶこと。

それって、当たり前じゃない。

関東以外から来てくれた人もいた。

「今日のために長野から来ました」
「夜行バスで来ました」
「仕事終わりでギリギリ間に合いました」

そういう言葉を聞くたびに、嬉しいというより先に、「ちゃんと作らなきゃな」と思う。

展示って、自分たちが見せたいものを並べるだけじゃ成立しない。

そこへ時間を使って来てくれる人がいて、初めて成立するものなんだと思う。

だから今回も、ただ「良い写真を並べる」だけにはしたくなかった。

今回、展示方法を変えた理由


この二人展は、今回で3回目だった。

毎年やっていると、当然だけど「去年と同じ」にはしたくなくなる。

でも、奇抜なことをやりたいわけでもない。

展示方法を変えること自体が目的になると、急に薄っぺらくなる。

今回、自分たちがやりたかったのは、
“二人で展示する意味”を、もっとちゃんと空間に出すことだった。

だから今回は、
お互いの写真を一枚ずつ並べて、
「二枚で一つの作品になる」
みたいな展示方法を試した。

最初は、どうなるか未知数だった。

写真って、一枚で成立させることを考えて撮っている部分も大きい。

そこへ別の人間の写真を並べるって、下手すると両方良さを失ってしまう。

でも実際に並べ始めた時、変なことが起きた。

「え、なんでこんな繋がるの?」

それが何枚もあった。

東京と長野。

別々の場所で、
別々の時間を過ごして、
お互い約3年間撮り続けてきた写真なのに。

視線の向き。
立っている距離感。
光の入り方。
人との間にある空気。
撮っている側の迷いみたいなもの。

そういうのが、不思議なくらい噛み合う瞬間が何度もあった。

搬入中、
壁に写真を仮置きしながら、
二人で何回も立ち止まった。

写真って、一枚だけで見ている時と、隣に別の写真が来た時で意味が変わる。

今回それをかなり強く感じた。

しかも、自分の写真だけでは絶対に出なかった空気が、隣にハラさんの写真が来ることで急に立ち上がる瞬間がある。

あれは結構不思議だった。

たぶん、自分たちは「似ている写真」を撮っているわけじゃない。

でも、写真を見る時の温度とか、
人との距離感とか、
“何を残したいと思ってシャッターを切っているか”
みたいな部分が、どこか近いんだと思う。


「在るとき」というタイトルについて


このタイトルには、明確な答えみたいなものはあまりない。

ただ、自分たちが写真を撮っている時って、
“何かを証明したい”
というより、
「確かにそこに在った」
みたいな感覚の方が近い。

人でも、
光でも、
会話でも、
沈黙でも。

その瞬間は確実に存在していたのに、時間が経つと少しずつ形が変わっていく。

でも写真だけが、その断片をギリギリ留めている。

そんな感覚が、ずっとあった。

今回展示していた写真たちも、別に特別な事件が写っているわけじゃない。

でも、「この時、確かにここに居た」という痕跡みたいなものは残っている。

それを並べ続けた空間だった気がする。


OHPフィルム展示をやってみて


今回かなり反応が大きかったのが、
OHPフィルムへ複写した展示だった。

透明なフィルムへ写真をコピーして、それをハンガーパイプに吊るして展示した。


これが予想以上に人が立ち止まっていた。

かなり近くまで寄って見てくれる人も多かったし、

「これどうやって作ったんですか?」

と聞かれることも本当に多かった。

でも、自分はこういう展示方法って、別に囲い込まなくていいと思っている。

むしろ、いろんな人が試した方が絶対面白い。

「展示ってこうあるべき」
みたいなものは、本当はそこまで強くない気がしている。

額装して、白壁に並べる。
もちろんそれも良い。

でも、もっと自由でもいい。

写真を重ねてもいいし、
透かしてもいいし、
床に置いてもいい。

今回OHP展示をやっていて面白かったのは、
“写真そのもの”というより、
「どう見せるか」で空気がかなり変わることだった。

しかも、それによって写真の意味まで少し変わる。

展示って、プリントした時点で完成じゃない。

空間に置かれて、
光を受けて、
人が歩いて、
距離を変えながら見ることで、
初めて成立する。

改めてそれを感じた。


フォトブックを紙で選んでくれる時間


今回作ったフォトブックも、ありがたいことにほぼ完売した。

しかも面白かったのが、
ちゃんと紙を触りながら選んでくれる人が多かったこと。

「あ、こっちの紙好きです」
「質感全然違う」
「この黒の沈み方いいですね」

みたいな会話が自然に起きていた。

あれは結構嬉しかった。

最近って、写真を見る場所のほとんどがスマホになった。

もちろんそれ自体は悪いことじゃない。

自分もSNSをやっているし、そこから繋がる出会いもたくさんある。

でも、紙で見ると全然違う写真って確実にある。

黒の深さとか、
光の柔らかさとか、
紙のざらつきとか。

スマホでは飛んでしまうものが、紙には残る。

今回、それを改めて感じた。

展示期間中に起きていたこと


展示中、自分は結構ずっと会場にいた。

来てくれた人と話したかったし、
どこで立ち止まるのかも見たかった。

面白かったのが、
人によって全然見る場所が違うこと。

ずっと一枚を見続ける人もいるし、
二枚の関係性をずっと考えている人もいる。

OHPの前から動かない人もいた。

あと、写真を見ながら急に自分の話をしてくれる人もいたりした。

写真って、説明を押し付けるものじゃなくて、
見る人の記憶を勝手に引っ張り出すものなんだと思う。

だから面白い。

正直、展示ってめちゃくちゃ大変だ。

お金もかかるし、
時間もかかるし、
準備期間はずっと不安になる。

「本当に人来るかな」
「これ成立してるかな」
「伝わるかな」

毎回思う。

でも、会場で誰かが写真の前に立ち止まっているのを見ると、「やって良かったな」と思う。

その瞬間だけ、全部報われる。


展示後の静けさの中で


撤収が終わったあと、
壁が空っぽになった会場を見ながら、少し変な気持ちになった。

さっきまで人が居て、
会話があって、
笑い声があって、
写真の前で立ち止まる人が居た場所なのに、
急に静かになる。

展示って、残らない。

でも、だからこそ記憶に残るのかもしれない。

今回、「来てよかった」と言ってくれる人が本当に多かった。

もちろんそれは嬉しい。

でも個人的には、
「なんかまだ残ってる」
みたいな感覚を少し持って帰ってもらえていたらいいなと思う。

今年の秋頃、もしかしたら巡回展をやるかもしれない。

もし実現するなら、
今回の展示をそのまま持っていくんじゃなく、
映像とか、
空間演出とか、
もっと別の形も混ぜながら、
さらに面白いものにしたいと思っている。

展示って、完成しない。

たぶん毎回途中なんだと思う。

でもその途中を、
誰かと共有できるのは結構幸せなことだ。

「在るとき」は終わったけど、
たぶんまだ続いている。

そんな感覚が、今も少し残っている。

いつも僕の突拍子も無いわがままに笑顔で応えてくれるハラさんには感謝しかない。

本当にありがとうございました。

貴重な時間を使って足を運んでくれた皆様、行けないけど開催おめでとうと連絡をくれたかた、今回の展示に際して関わってくれた全ての方に感謝をこめて。



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