僕がアメリカに密入国した日 ―1979― (4)5ドルとアメリカ出国 最終話
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(4)5ドルとアメリカ出国 最終話
昼には、フィッシャーマンズワーフでシーフードランチを食べた。
費用は日本の旅行会社の負担という話だ。
「これは予算外だけど、ぼくからのおごりだよ」
食後、カマタはそう言って、名物だというアイスクリームを買ってくれた。
甘いアイスクリームを食べる頃には僕らの緊張もほどけて、カマタと軽口まで叩くようになっていた。
「カマタさんは日系三世ですか?」
僕は聞いた。
カマタは少し寂しそうな顔をして答えた。
「そうみえるかい? 永住権は持っているけど、僕は日本人だよ。君たちと同じ歳の頃にアメリカに来て、それからずっとこっちなんだ」
その憂いのある顔と言い方に、僕はなぜか、いけないことを聞いてしまったような小さな後悔を覚えた。
カマタは観光の途中、結構頻繁に車を停めた。
「ちょっと電話してくるから、待っていて」
そう言っては、どこかに電話をしていた。
それはほんの1分足らずの時もあれば、10分の時もあった。
僕らは、僕たちのことで途中経過の報告でも義務付けられているのだろうか、と話し合っていた。
午後、どこかの海水浴場のような海辺のベンチで、キリスト教系大学の彼が訊いた。
「カマタさん、僕たちのこと、報告を入れないといけないのですか」
カマタはなんのことか分からず、少しの間黙っていた。
そして笑いながら口を開いた。
「電話のことかい? それはない、ない。電話は仕事のことだよ。あ、今日のガイドも仕事なんだけど、僕は三つ仕事をしているから」
今度は僕らの方が、すぐには意味を飲み込めなかった。それを察したカマタは言った。
「こっちでも、もちろんひとつの会社や仕事だけで生計を立てている人もいるけど、そんな人は却って少ないくらいなんだ。特に黒人や僕たち移民だと、ふたつ、みっつと仕事を持っている人の方が多いかもしれない」
「それって昼の仕事が終わってから夜も別の仕事をするんですか」
色白くんが聞いた。
「そういうケースもあれば、曜日によって変える場合など様々なんだ」
カマタは続けた。
「僕も夢を持ってアメリカに留学してきたけど、卒業後はなかなか現実は厳しかったということさ。永住権はまだ取りやすい時代だったけどね。だからって言う訳ではないけど、学生時代はできるだけ悔いのないように過ごした方が良いと思うよ」
あと二年もすれば、普通に会社に就職して定年まで勤める。
それが当たり前だと思っている僕たちは、カマタの予想外の言葉に、頷きながらも軽いショックを受けた。
「いい旅になることを祈っているよ」
カマタは午後三時過ぎに僕たちを空港の貨物集積所に連れて戻った。
彼が拳銃屈強男と話をしている間、僕たちは秘かにチップについて相談した。当時は1ドル240円前後。マクドナルドのビッグマックが1ドルほどで食べられた頃だから、学生の旅人の僕たちには、1ドルだって粗末にはできない。
幾ら渡せば良いか迷った。ひとり1ドルでは合計4ドルとキリが悪い。そこで育ちの良さそうなキリスト教大学の彼が2ドル、他の三人が1ドルずつ出して、合計5ドルを渡すことにした。ガタイの良い彼が代表してカマタに言った。
「カマタさん、今日は一日ありがとうございました。とても良い思い出になります。これ、僕たちからのお礼です」
カマタは言った。
「僕も正直、楽な暮らしでないから、気持ちは嬉しいよ。だけど、これからみんな旅の始まりだろう。たとえ1ドルでも1ポンドでも大切にした方が良い。その気持ちだけ受け取っておくから」
僕たちは少し目頭が熱くなった。
「さあ、もう行かなきゃ。彼がイライラしているようだから」
カマタはそう言って、拳銃屈強男の方に目を配った。
僕たちはカマタと握手を交わして、また拳銃屈強男の配下にくだった。
途中で引き継いだ背の高い男性職員と、来た時と同じ道順でターミナルへ戻った。今朝到着したのと違うゲートカウンターには、僕たちの名前を書いた紙が貼ってある。
職員がパスポートの名前を確認して、『LONDON』と記された搭乗券と預け入れ荷物控えを渡してくれた。
とてつもなく長い一日だ。
またパンナムのジャンボでサンフランシスコを発ち、ニューヨークでいったん機内待機。
そこから乗り込む乗客を待つ。
ロンドンには現地時間、夜10時過ぎに着いた。
街中で深夜にやっているレストランは中華料理屋しかなかった。
疲れと寝不足で四人とも朦朧としていた。独りじゃなくて良かったと、しみじみ思った。
選ぶのも面倒で、全員同じ、甘じょっぱく煮込んだ鴨肉と中華野菜がライスの上に乗っかったものを頼んだ。
初めてのイギリスの遅い夕飯は、とてもまずくて残した。
たまたま二人ずつ同じ安ホテルを予約していた。明日の朝10時にまたこの店の前で会う約束をして別れた。
三日間、四人はなんとなく行動を共にした後、別れてそれぞれ独り旅を続けた。帰国後も大学を卒業する頃までは、何かの折に会うなど交友があった。就職したその後はそれぞれ転勤などもあり、いつしか連絡は絶えた。
今日のように、遠い昔のことをたまに思い出す。
ボードおばさんはパンナムの職員だったのか、それとも空港関係者だったのか。拳銃屈強男とカマタさんの間では、どんな会話が交わされていたのか。
当時の僕のパスポートには、あの時のアメリカ入国の記録はない。
翌年の夏、ビザを取ってロサンゼルスへ行った時が、初めてのアメリカということになっている。
結局、あの密入国のことは、いまだによく分からないままだ。
おわり
