僕がアメリカに密入国した日 ―1979― (2)「カマタです。よろしく」
前回のお話
(2)「カマタです。よろしく」
出発の日。
僕は心だけはいっぱしのバックパッカーのようだった。
もちろんあのプランに不安はあったが、それ以上に初めての海外への期待が勝っていた。
夜のフライトだったが、はやる気持ちを抑えきれず昼過ぎに家を出た。
私鉄と地下鉄、バスを乗り継いで、まだ華やかに輝いていた箱崎の東京シティエアターミナルへと向かう。
当時は航空会社によっては、ここで搭乗手続きを済ませることもできた。
日本で唯一、国際空港の出先機能を持つターミナルで、中にはちょっと高級そうなレストランなどもあり、海外旅行への玄関口らしい雰囲気が漂っていた。
箱崎には、2時半には着いてしまった。
ここからオレンジ色の空港バスで成田空港へ向かうつもりだったが、それにしても早過ぎた。
この先を考えると無駄な金は使いたくなかったが、仕方なく喫茶店に入って時間を潰すことにした。学生とはいえ、喫茶店で珈琲を飲むことくらいは何でもない日常だった。それでもこの先の旅を思うと、珈琲代がやけに重く感じられた。
隅のテーブルから少し甲高い大きな話し声が聞こえてきた、僕は何気なく顔を向けた。
そこでは、いつもリング上で血まみれの抗争劇を繰り広げているアントニオ猪木と上田馬之助が、仲良く談笑していた。
この前年、大学入学直前のキャンパスで行われたオリエンテーションで、僕はいきなりヘルメット姿のゲバ学生たちに囲まれ、
「君、なかなかいい身体してるね。いっしょに、もうすぐ開港する成田空港、壊しにいこうよ」
そう誘われたことがあった。
その一週間後、成田の管制塔は過激派に占拠、破壊され、開港は延期されてしまう。
その空港へ今、海外へ出掛けるために向かう。
胸が高鳴ったのを今もうっすらと覚えている。
今の第一ターミナルは、まだヘキサゴンを半分に割ったようなシンメトリーの形で、旅客ターミナルと呼ばれていた。南北合わせて四つのサテライトしかない、今から見ればとても小さなターミナルだった。
もちろん第二ターミナルなどその影さえなく、滑走路も一本のみだ。
空港入口の大掛かりなゲートには機動隊が張り付き、入場者をひとりひとりチェックしていた。
日本の翼が日本航空なら、アメリカの、いや世界の翼はパンアメリカン航空の時代だった。
そのパンナムのジャンボ、ボーイング747の機上にいるんだ。
それだけで僕は舞い上がっていた。
ビザのことも、サインボードを持って待っている人のことも、もはや気にしていない。
今は機内食で「ビーフ プリーズ」「カフィ プリーズ」と間違いなく言うこと。ただそれだけに集中していた。
夕食のあと、50歳近い男性の客室乗務員が僕に近づき、デッカイ手で僕の肩を揉みながら、柔和な笑みを浮かべて言った。
「リラックス、リラックス」
よっぽど緊張して見えていたのか、と思うと今でも赤面してしまう。
外国人の彼の体臭が、なぜか嫌ではなかった。
ひと寝入りすると、小さな箱に入ったサンドイッチの朝食が配られた。
やがてサンフランシスコへの着陸態勢に入った。
もう機内食に集中する必要もなくなると、今度は現地と本当に話が通っているのか、俄かに不安が高まった。
到着ロビーに着くと、ひと目で無愛想を通り越して明らかに不機嫌そうな、40歳くらいのこれでもかと言うくらい太った白人おばさんが、サインボードを持って立っていた。
ボードには僕の名前のほかに、三人の日本人の名前が汚いローマ字で記されていた。
(なんだ、独りじゃないんだ)
そう思った瞬間、僕はもう敗戦国の無垢な青年ではなかった。
見知らぬ四人が揃った。同じ年頃だった。
みんな不安だったのだろう。簡単な挨拶しか交わしていないのに、昔からの友達のような、根拠のない連帯感が生まれていた。
そんな僕たちを見てボードのおばさんが、はぁーと溜息を吐く。
きっと、(やってられない)とでも思っているのだろう。
だが、こちらは四人だ。
いちばんガタイの良い彼が、かなりはっきりと言い放った。
「なにが、はぁーだよ、このデブ」
ボードおばさんがキッと睨んだ。
(やばい、デブが分かるんだ!)
僕らはまた敗戦国の青年に戻ってしまった。
ボードおばさんは「カモン」と言うと、僕たちを入国審査場とは反対の方へ、まるで捕虜兵のように引き連れて歩き出した。
ボードおばさんとそのフロアを10分ほども歩いただろうか。
僕らはまた元気を取り戻し、互いの大学のことなどを紹介し合っていた。
『RESTRICTED AREA』と赤い文字で書かれた扉があった。
ステンレス、もしかしたらジュラルミンだったかもしれない。とにかく頑丈そうな金属製の扉だった。
その前でボードおばさんが振り向き、僕らを睥睨するように見た。
人差し指を顔の前で細かく左右に振りながら、チっ、チっ、チっと軽く舌打ちをする。
そして一語一語区切りながら、ゆっくりと言った。
「ビィー……クワイエット」
扉の鍵を開けると、僕らを顎で中へと促した。
東京裁判にでも掛けられるような不安を感じながら、おとなしくその中へ足を踏み入れた。
幅が2メートルくらいの薄暗い廊下が続いている。
小声で喋ったつもりでも、やけに響く。
そのたびにボードおばさんは、人差し指を口の前に立てて(喋らないで)と合図を送った。
階段を何回か降りると、やがて廊下の壁は両側とも金網のフェンスになった。まるで、いつか見たアクション映画の世界だった。
その先に日本の守衛所のような小屋があり、ボードおばさんが拳銃を持った警備員らしき屈強な男と何か話をしている。
じきに僕たちは、ボードおばさんの管轄から拳銃屈強男の手に引き渡された。
その時だった。四人の中でいちばん色白の彼が言った。
「僕たちの荷物はどうなってんだろう」
たしかにそうだ。
いくら初めての海外とはいえ、入国審査を受けて荷物を受け取るくらいの知識は持っている。
さっきボードおばさんをデブ呼ばわりした彼が言った。
「なんとかなるんじゃないの」
僕らには、いったんそう思うしか術がなかった。
荷物カルーセルの上を寂しくいつもでも廻り続ける、僕の真新しいバックパックが頭の中に浮かぶ。
拳銃屈強男に連れられて歩いたところは、どうやら貨物の集積場のようだった。かなり広い。騒音の中をくねくねと10分ほど歩いただろう。
やがて寂しげな雰囲気のだだっ広い駐車場に出た。
そこには、グレーのよれよれのステンカラーコートを羽織った、やせぎすで貧相な顔立ちの、30代半ばくらいの日本人らしい男が立っていた。
やせぎす男は、拳銃屈強男と笑いながら、流暢な英語で何か話した。
彼は拳銃屈強男が差し出した書類にサインをした。
そして、やせぎす男は僕たちに近づいて言った。
「おつかれさまです、カマタです。よろしく」
つづく
