第10話 もう、誰にも人生を預けない —引き受ける側に立った日—
昔の俺は、ずっと誰かに人生を預けていた。
中田英寿に。
正しさに。
結果に。
これは、サッカーで勝った話ではない。
誰かの正しさや結果に自分の価値を預けていた男が、少しずつ自分の人生を引き受け直していくまでの話だ。
※登場人物名・団体名など一部は仮名で記載しています。
※記憶をもとに再構成しており、プライバシーに配慮して一部表現を調整しています。
中田英寿には、あの人が貫いてくれれば、自分も救われる気がしていた。
地方勤務では、正しさに預けた。
正しいことをしていれば、いつか意味は残ると思っていた。
大人サッカーチームでは、結果に預けた。
活躍すれば、価値が証明されると信じていた。
全部、他人軸だった。
自分で戦っているつもりだった。
自分の意志で選んでいるつもりだった。
でも実際は、何かに寄りかかっていただけだった。
誰かが正しさを証明してくれること。
誰かが自分の価値を認めてくれること。結果が、自分の存在を肯定してくれること。
それを待っていた。
待ちながら、ずっと苦しかった。
2019年。
気づけば俺は、チームを回す側に立っていた。
若手に声をかける。
空気を整える。
誰が詰まっていて、どこで流れが止まっているのかを見る。
昔の俺は、自分の証明で頭がいっぱいだった。
どう使われるか。
どう見られるか。
どうすれば評価されるか。
ずっと、そこにいた。
でもこの頃は違った。
「俺が点を取る」より先に、
「どうすれば回るか」が来ていた。
誰が残るのか。
何が残るのか。
どうしたら、このチームがまだ続いていくのか。
考えていたのは、前よりずっとそっちだった。
ある試合の日、ベンチの空気が沈んでいた。
誰かのミスがあった。
うまくいかない時間が続いていた。
みんなが少しずつ黙っていくのが分かった。
昔の俺なら、たぶん内心で苛立っていたと思う。
なんでそこで失うんだ。
なんで走らないんだ。
なんで分からないんだ。
そうやって、自分の中の正しさで人を裁いていた。
でもその日は、先に声が出た。
「大丈夫。次、行こう」
たったそれだけだった。
綺麗な言葉でもない。
誰かを救うほど立派な言葉でもない。
試合の流れが劇的に変わったわけでもない。
でも俺にとっては、小さくない一言だった。
自分の正しさを証明するためではなく、誰かを責めるためでもなく、
チームを止めないために出た一言だったからだ。
その時、少しだけ分かった。
動かすのは、特別な誰かじゃない。
引き受ける人間だ。
強さは、ブレないことじゃない。
正しさを語ることでもない。
堂々としていることでもない。
しんどくても、重くても、
「じゃあ自分はどうするか」を持つことだ。
アベがいた。
サトシがいた。
刺してくれる人も、支えてくれる人もいた。
でも、いつまでも誰かが前提で残ってくれるわけじゃなかった。
得点王も、王様も、キャプテンも、逃げ道を塞ぐ正論も、いつまでもそこに残るわけじゃなかった。
それでも、チームは動く。
いや、動かさなきゃ止まる。
誰かがやってくれる。
誰かが空気を変えてくれる。
誰かが自分を分かってくれる。
そう思っているうちは、たぶん何も変わらない。
自分の番が来た時に、逃げずにそこへ立てるか。
結局、それだけだった。
もちろん、綺麗に変われたわけじゃない。
負けた試合もあった。
悔しい夜もあった。
思うようにいかないことも、何度もあった。
人に腹も立てた。
自分にも腹が立った。
何も結果が出ないまま、ただ疲れだけが残る日もあった。
でも、もう前みたいには戻れなかった。
「誰のせいだ」と言い続ける場所には、いられなかった。
成長した、というより、預ける先がなくなっただけかもしれない。
誰かが背負ってくれる前提が消えた時、やっと自分の足で立つしかなくなった。
たぶん人は、そこからしか始まれない。
中田英寿に憧れた少年は、ようやく自分のピッチに立った。
観る側じゃない。
預ける側じゃない。
誰かの物語に自分を重ねて安心する側でもない。
自分の足で、自分の重さを持って立つ側だ。
俺は特別じゃない。
スターでもない。
得点王でもない。
絶対的なリーダーでもない。
それでも、続ける側に回った。
回す側に立った。
引き受ける側に立った。
この物語は、勝った話じゃない。
上手くなった話でも、報われた話でもない。
預けていた人生を、少しずつ自分の手に戻していった話だ。
誰かに認められたから変われたわけじゃない。
結果が出たから救われたわけでもない。
ただ、もう預けたままではいられなくなった。
自分の人生なのに、誰かの正しさを待っている。
自分の人生なのに、結果が出るまで自分を認められない。
自分の人生なのに、誰かが意味を与えてくれるのを待っている。
そういう時間を、俺は長く生きてきた。
でも、もういい。
誰かが証明してくれなくてもいい。
誰かが正解を出してくれなくてもいい。結果がすぐに返ってこなくてもいい。
俺は俺の足で立つ。
間違えながらでも、迷いながらでも、
自分で引き受けた人生なら、そこから先へ進める。
第1部は、ここで終わる。
でも俺の人生は、ここからやっと自分の番になる。
第1部 預けていた人生
〜2019〜 完
次回予告
第2部 取り戻していく人生
2019〜2025
第2部・第1話 決めたのに、動けなかった。
2026.5.25 20時公開
脚注
大人サッカーチーム:社会人サッカーチーム。名称は仮名です。
本稿は記憶に基づくノンフィクションであり、個人・組織が特定されないよう一部を調整しています。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
第1部は、誰かに預けていた人生を、少しずつ自分の手に戻していくまでの記録でした。
次は、第2部「取り戻していく人生」を書いていきます。
連載本編は、マガジンに順番どおりまとめています。
