お風呂の壁で交換日記したら、めちゃくちゃいい暇つぶしになった
浴室のドアを開けたら、目の前の白い壁に大きく
黒鯛
と書かれていた。
予想外の単語に、右手に持っていた掃除用のスポンジを落としそうになる。
「え…?」と小さな声もでた。
ひとり首をかしげながら「黒鯛」の文字をスポンジで擦って消していた時、まさかこの黒鯛をきっかけに、夫婦の奇妙な交換日記が始まるだなんて、思ってもみなかった。
そういえば兆候はあったのだ。
2日前から、我が家の浴室の壁には水で消えるクレヨンで書かれた「黒」の文字が出現していた。
私は息子の落書きにまじっているその「黒」を
「夫と息子で色を覚える練習をしたんだろうか、ふふふ」
「それならせめてひらがなで書いてあげたらいいのに、ふふふ」
などと思いながら消していた。
それが、ここにきて唐突な「黒鯛」。
ちょっと事情が違う気がしたので、寝かしつけを終えてリビングに戻ってきた夫をつかまえて、さっそく聞いた。
「黒鯛って何、あれどうしたの?」
すると夫は「ああ、あれね。」と照れたように微笑んだ後
「黒いペンとか持つと無性に黒って書きたくなるじゃない?それで黒を使った熟語を考えたんだけど、黒鯛しか思いつかなくて。」
と、ほしい答えからぜんぶ絶妙にズレた言葉を返してきた。
夫は最近仕事が忙しく、平日は多分、2-3時間も寝ていない。もしかしたらアホにならないとやっていけないのかもしれない、と心配した私は、色々つっこみたい気持ちをおさえて「でもちょっとおもしろかったよ」と優しく伝えた。
すると夫は少し考えるそぶりを見せた後、何かをひらめいたようにハッと目を輝かせて、こんなことを言い出したのだ。
「そしたら俺、明日から壁にゆりちゃん宛のメッセージ書くよ!!」
夫の思いつきで突如始まった風呂の壁交換日記、
初日である翌日の夜。正直、私はそんなに期待をしていなかった。
こちらの記事にも書いた通り、夫はとにかく口下手なのだ。口頭でもLINEでも気の利いたことを言うタイプではないので、たとえそれがお風呂の壁だろうと「今日もお疲れ様!」なんてメッセージは期待できない。
浴室のドアを開けた。
壁にはこう書かれていた。

メッセージってそういう…?
と頭の中をハテナが3周くらいしたけれど、
あまりに斜め上なメッセージと、湿気によってちょっと事件性を感じる風体になってしまった文字が可笑しくて、私は裸の身体にバスタオルをぐるぐると巻いて、わざわざリビングまでスマホをとりに行って写真を撮った。
次の日もまたその次の日も、壁には「メッセージ」が書かれていた。
夫の調子がいい時は2問書いてある時もある。出題は、今日に至るまで続いている。



問題の内容から夫のその日の気分が読み取れたりして、なかなか面白い。
ただ一つ残念なのは、私が返事を書けたのがたった2回だけ、ということ。
恥ずかしながら、本当に答えがわからないのだ。
夫は私より、数段頭がいい。
でもこのメッセージをきっかけに、私は以前から感じていた夫と自分の「知識に対するスタンスの違い」を強く意識するようになった。
その「違い」は端的に言えば
私の知識は消費するもの、
夫の知識は蓄積するもの。
私は試験やら受験やら、目的がないと積極的に何かを覚えよう、とは思わない。そしてそれが達成されたら日常で使わないものはさっぱり忘れて、その余白はまた何か別のことをインプットするために使う。
一方夫は、一度知ったことは使う使わない関係なく、興味がある知識はそのまま捨てず、ずっと覚えているみたいだ。
多分この知識への愛着の差が、そのまま学力差につながっているのだろうなとは思いつつ、日常生活で困ることもなく、自分はこれでいい、と思って生きてきた。
でも、先日夫に「緯度とか覚えてていいことある?」と聞いたら
「あるよ。だって旅行とか行く時、この地域はここよりどのくらい寒いかな、とか想像するの、ちょっと楽しいじゃん」
と言われた。
その時私は、自分の中で何十年も守ってきた城壁が、少しだけ崩れたのを感じた。
そんなこと、Yahoo天気に聞けば秒で教えてくれる。最近は適切な服まで解説してくれている。
でも、なんだかそういうアナログな感じに少し、憧れを抱いてしまったのだ。
自販で手軽に買った自分のお茶より、夫の"自分でいれたお茶"のほうが、ずっと美味しそうに見えた。
それからというもの、私は出された問題の答えを携帯で調べることをやめ、本屋に出向いて、ちゃんと学んでみることにした。
別にスマホでも勉強することはできるけれど、本にしてみようと思った理由は、
ひとつめ、ちょうど息子とのお出かけ先を探していたから。
ふたつめ、むかし電子辞書が出始めたくらいの時期、誰かが言った「紙辞書のほうが、調べた単語のまわりの単語や熟語も見ることができて、楽しいから好き」という言葉を思い出したから。
せっかく学び直すなら、楽しく広く、学んでみたかった。
でもいざ本屋に行ってみると、
「地軸の話って小学校の理科?」
「この問題って算数?数学?」
「緯度と経度って地図のどこに載ってんの…」
と、答えはおろか目的地にすら辿り着けない。
それはまるで、知識の海に溺れるような感覚。
あまり時間をかけるとカートの中の息子が自分にも本を見せよと怒り出すことがわかったので、2回目からは息子用に自宅から絵本を持参して臨んだ。
結局全ての問題の答えを見つけるまで4、5回本屋に通うハメになったけれど、息子のうにゃうにゃと格闘しつつ、知識の海から生還した時の爽快感は、決して悪いものではなかった。無駄に地元、静岡の緯度を覚えたりして、無駄に母にクイズを出したりもした。
学び直して感じるのは、
卒業アルバムを見ているような懐かしさ。
テストで理解を試されることがない気楽さ。
現役時代は余裕がなくて面白がれなかった豆知識を、楽しめるよろこび。
今まで学び直すくらいなら現役の時にちゃんとやれ、と何度も言われたし、その指摘に関して「おっしゃるとおりです」とひれ伏して生きてきた。
本屋からの帰り道、大人になるとやたら学び直したくなる理由はこのへんにあるのかもしれない、と、バスに揺られながら、ぼんやりと思った。
その日の夜、夕食をとりながら夫に私の学び直しの成果を発表した。前日の夜完徹した夫は、目の下にクマをつくり、無精髭を蓄えながらふんふんと話を聞くと、私の努力を労うでもなく
「ふふん、じゃあ今日の問題何にしようかな」
と楽しそうに笑った。
夜じゅう仕事をし、朝が来たらまた仕事をする。
そんな中息子の世話をしながらお風呂に入り、私への問題をせっせと壁に書く。
夫は仕事と知識で飽和しているだろう彼の脳みその貴重な領域を使って、毎日私への問題を考えている。それって、なんて可笑しく、なんて愛おしいことだろう。
この間、いつも通り出題される問題の下に、初日の問題の答え「坂上田村麻呂」の文字が書いてあった。
そんなに田村麻呂が好きなのか!と思った私は、わからない問題の答えは保留にして、坂上田村麻呂のイラストを書いてやった。

絵心がないなりに数回書き直した渾身のイラストは、
「あれじゃ全然、坂上田村麻呂じゃないよ。ジブリでいうところの…ほらあれ、〈山の上のマロ〉って感じ」
と、辛辣で、またしてもやや斜め上な評価を下されて終わった。
さて、今日はどんな問題が出題されているだろうか。
夫よ、浴室のドアを開ける瞬間、こんなにわくわくしている妻、きっとほかにはいないと思うぞ。

