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書けてない自分を、許せるように


少し、ちゃんとしようとしすぎてたのかもしれない。気づいたら、息が浅くなっていた。


ここ最近のわたしは、
noteが書けない自分に、
うまく言葉が出てこない自分に、
どこかでずっとダメ出しをしていた。



「次はこんなこと書こう」と考えてた日もあったし、
「書かなきゃ」って義務感が少し湧いた日もあった。


そんなふうに、気持ちだけが揺れながら、
実際にペンを持つまでにはいかなくて
書かない自分を、自分が責めていた。


でもそれは、
書きたい時に書こう、
書きたくない時は、書かなくてもいいんだよって
自分に許可を出せている証拠でもある。

書きたくない日、わたしは、
その時、自分がやりたいと思ったことをして過ごしている。



わたしは、長年、
空気を読んで、周りに合わせることで
生き延びてきた。


否定されないように、
傷つかないようにするために、
自分を守るため、
わたしなりに、長年かけて身につけた生き延び方。


そんな生き方を続けていたら、
いつの間にか、自分の本心はどこかに置きざりで、
どこにあるのかわからなくなってしまっていた。



でもそれが、今は少しずつ、
わかるようになってきている。

あの時の自分より、
心の中の本音が、聞こえやすくなってきている。


だからこそ、
書きたいときに書いて、
書きたくない日は、他の好きなことをやる。


これは、紛れもなく
わたしが自分の声に沿って動けるようになった証拠。


周りの声によって、行動を決めていたわたしが、
今少しずつ、自分を生きる道に進もうとしてる途中。


この前進が、自分にとっての
何よりの喜びになってる。



それでも、どこからか
モヤモヤした気持ちが湧いてくる。


自分の気持ちに沿って動けてるはずなのに、
心のどこかに「noteを書けてない自分」を
許すことができない自分がいる。


そんな「書けてない自分」は
周りからはどう見えるのかが気になってしまう。



わたしの中では
書けてない自分=ちゃんと出来てない自分になってしまっている。


そんな自分は、
周りからはどう映ってしまうのかという不安がある。


「ちゃんとしている自分」でいなければ、
否定されてしまう。

傷つきたくない、
自分を守らなくてはいけない。



そんな気持ちが発動して、
自分の気持ちより、周りの反応を気にして
自分を生きる道に進んでいた足が、
止まってしまった。


立ち止まりながら、書けてない自分のまま、
無理に書くことはしないで、静かに見つめてた。



見つめながら、思ったことがあった。


自分の本心に沿って、自由に自分を生きていいと
頭でわかっていても、

そんなにすぐ自由になれないのは当たり前だと思う。



こうして迷いながらも、
自分がやりたいこと、
モヤモヤして立ち止まってしまう不安、
全部ひっくるめて、
自分の声を聞こうとしてるのが
「今のわたし」だから。

そんな自分を、
責める必要はないのかもしれない。



そんな心の中の気持ちを、声にして話したら
少し重たかったものが軽くなった。


▼つむはの森ラジオ



すると自然と、noteが書きたくなって、
こうして今書くことができた。




今の願いは
もっと、自由に、気楽でいたい。


まだ難しくて、揺れてしまうけど、
そうありたいと思ってる。



最後まで読んでくださりありがとうございました。



▼無理はしないように。



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紬羽(つむは) お読みいただきありがとうございます🕯 そのあたたかさが、また次のことばを灯す力、わたしの書く力になります。 これからも一緒に素敵なあかりを灯せたらうれしいです。